出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
本来は宗教的な神聖観念の一つ。罪と災いとともに日本古代の不浄観念を構成し,これを忌避する,忌(いみ)または服忌(ものいみ)の対象をいう。記紀には穢,汚,汚垢,汚穢,穢悪などと表記され,またケガラワシともキタナシとも読まれる。穢と罪とはきわめて密接な関係があって,多く罪穢(つみけがれ)と熟して用いられるが,罪が広く社会の生業を妨害し規範を犯して集団の秩序を破壊する意図的な危険行為を指すのに対し,穢は人畜の死や出血や出産など異常な生理的事態を神秘的な危険として客体化したものである。罪や災いと同様に共同体社会に異常事態をもたらす危険とみなされて回避や排除の対象となるが,穢は災いとともに,生理的異常や災害など自然的に発生する危険であり,また罪穢は災いとちがって共同体内部に生起する現象だといえよう。
穢が罪や災いと異なる点は,その呪的な強い伝染力にある。そのため死や産の穢には喪屋や産屋(うぶや)を別に建てて隔離し,それとの接触を厳しく警戒して忌避するが,とくに死穢は不可抗的に死者の家族や血縁親族を汚染する。たとえば《魏志倭人伝》には3世紀ごろの倭人の習俗として,死者の遺族が十数日の喪に服し,最後に全員水浴して穢を浄化することを記している。また触穢(しょくえ)という汚染の段階的な規定も早くから制度化されたが,たとえば《延喜式》臨時祭の条には死穢の甲乙丙丁展転の規定がある。甲の家族に死穢が発生した場合,乙が甲の家で着座すると乙の家族全員が汚染し,乙の家に丙が着座すると丙一人が汚染し彼の家族は無事である。しかし乙が丙の家で同座すると丙の家族全員が汚染するが,丁が丙の家で着座しても,もう丁は汚染されない,という論理を示している。さらに同条にはとくに死葬の触穢には30日の忌がかかるので,この期間はたとえ神事の月でなくとも公事に参加できないと規定されており,したがって死穢以外の触穢の場合,神事の月だけ公事を遠慮すればよいと解釈できよう。なお着座する意味は,同火(どうび),共食をさすと思われる。火,食物,水は神聖性を伝染せしめる要素で,穢の汚染源にもなるとともにその浄化の手段にも用いられ,服忌や斎戒には別火,斎食,水浴がとくに重視される。
古代の神聖観念には,清浄,崇高,偉大,有力などから汚穢,呪詛,危険などに至るまで,ともかく凡俗なもの,普通なものから隔離され禁止された非凡で異常なものの意味がある。本来,清浄ばかりでなく不浄も含む。ラテン語のsacerや日本語のイミがこれに当たる。動詞イムは,清浄なものを特別扱いして隔離する意味の〈斎(いむ)〉と,不浄なものを特別扱いして隔離する意味の〈忌(いむ)〉との両方の行為を含む。したがって前者は,人が積極的に神事に慎む意味からやがて〈斎戒〉となり,後者は消極的に神事・公事から隠退する意味の〈服忌〉ないし忌服となった。
不浄を標示する穢には必然的に忌服すなわち忌を伴うことになるが,たとえば貞観儀式と見られる《儀式》巻四の大嘗祭儀における斎戒規定には,喪忌が30日,食宍(食肉)が月内,出産と畜死が7日,畜産3日を服忌の期間としている。ほかに神祇令や喪葬令を見ると,やはり人畜の死と出産に伴う穢を忌む期間が規定されている点は,穢が罪とちがって生命的異常にかかわる事象であることを示している。浄化の儀礼的手段にしても罪は祓除すなわち祓(はらい)として一種の贖い(贖物(あがもの))によるが,穢は一定期間の非日常的な謹慎のあと禊(みそぎ)すなわち水浴による清めを要する。罪と穢は共同体の日常的安定に災いをもたらす原因としても忌避されるが,とくにハレ(晴)の行事すなわち非日常的な神事にあたっては普段にも増して聖浄な状況を要するため,斎戒において罪穢は一体となって禊祓の対象となる。しかしながら穢の浄化には一定期間の忌服を要するため,神事への参与を妨げるばかりか神事の中止や延期など執行の支障をともなった例が六国史その他の記録に多い。
《本朝通鑑》によれば,1027年(万寿4)8月に藤原道長が法華八講を催した際に死穢が問題になったが,藤原実資が〈穢を忌むとは唯本朝の神事のみなり,大唐は猶穢を忌まず,則ち天竺之仏は何ぞ憚(はばか)りあらん〉と主張したという。仏教には妻帯肉食など不浄を忌む戒律はあっても穢の観念からは脱却しているはずだが,密教的な神仏習合の儀礼では在来の穢も不浄とみなされた。また宮中や伊勢神宮などの古伝祭祀の場合,仏事などの仏教的要素はそれが穢を忌まぬがゆえに不浄とみなされて忌避の対象となってきた。貝原益軒は《神儒並行不相悖論(しんじゆならびおこなわれあいもとらざるのろん)》において神儒一致を説き,神道は〈清潔不穢之理〉と規定している。
しかし古来の宗教的生命観からすれば,清浄は心身のみならず社会や自然を通じた健全な生命秩序を示し,不浄は生命の疲弊や死と誕生の危険を示す。だから穢を去って不浄から清浄になることは生命秩序を回復すること,すなわち生マレ清マワルことにほかならない。記紀神話において男神伊弉諾(いざなき)が冥界で汚染した死穢を禊祓によって心身を浄化しつつアマテラス等の三貴子を産むのは女神伊弉冉(いざなみ)の死穢を契機にして生命の新しい秩序を実現したことを示す。習俗的には死穢を黒不浄,血穢を赤不浄ともいうが,赤不浄として女性の出産や月経を穢とするのも,血を忌むと斎むとの両義性の底に生命誕生の神秘を聖別すればこそであった。いわば個体生命の危機を穢と観念することが逆に全体生命の新生への契機となる。女性の生理が一面的な罪障となったのは,仏教の後世的影響とみてよい。
近世以来の習俗語彙を考慮に入れると,穢の観念の生活的意味も拡大する。古伝祭祀では神への御供をミケ(御饌)または大御食(おおみけ)というが,生活習俗ではケ(褻)は生活の日常態をさして,ハレ(晴)すなわちその非日常態に対応する。晴着に対する褻着(けぎ)は普段の衣服をいい,褻稲(けしね)とは雑穀まじりの常食,それを蓄える箱を褻稲櫃または褻櫃(けぴつ),それを炊いて盛る食器をケ(笥)といった。地方によってケツケ,ケウエが田植,ケガリが稲刈りの方言であった。ケゴヤは穀物小屋である。関西では今でも空腹をケカチ(飢渇)というが,古くは飢饉をも意味した。これらの語彙に共通するケが日常の主食をさすとすると,ケカチとはとくに農民社会にとって重大な危機を示す。さらに〈毛枯ル〉という語が雑草に負けて穀物の実りの弱まった田畑の状態をいうことから,ケは作物にこもる霊的な生命力をさし,ケガレとはケ枯レ,すなわち日常生活を支える生命秩序の霊力衰退の危機感を暗に内包したのではないかとする。この説は,共同体生活そのものが全体生命として観念されることを前提に,いわば成員に共有される深層意識の表象として穢をとらえ直す性格のものだけに必ずしも実証が十分ではない。
しかしトシ(年=稔)の再生を祝う正月の年神祭や氏神の予祝と収穫の季節祭を生業暦に沿って行う農民社会が,まず神事の前に物忌の期間を設けて罪穢を強く意識したとすれば,あるいはそれが時節の推移を時間の生命的疲弊,つまりケからケ枯レへの危険と観念した結果とも考えられる。ケカチに瀕せぬようにケの日常にハレの日を配置し,年中行事としてときに豊かな晴膳を囲むのも,ケ枯レを忌む動機が潜んでのうえとも思われる。ただしこの場合に意識されるケガレは,服忌の対象となる本来の生理的な穢よりは,むしろ斎戒の対象として社会的人為的な罪に近い穢,つまり神に接するための積極的な聖別行為の対象をさすと考えるべきである。
→忌,斎 →禊
執筆者:薗田 稔
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身に接し目に触れ、器物衣食に及ぼすいっさいの不浄をいう。記紀には、穢のほかに、汚、汚穢、汚垢、穢悪などと表記され、「けがらわし」「きたなし」などとも読まれる。穢は、罪や災いと密接なかかわりをもつ、わが国古代からの不浄観念で、古代においては、穢と罪の区別が判然とせず、罪も穢のうちとして扱われている。仏教思想をはじめ、外来思想の伝来により、わが国古来の不浄概念に種々の影響がもたらされたことが推測されるが、穢として扱われてきたものに、人体に関しては死・出産・妊娠・傷胎・月事・損傷などがあり、食物については獣肉・五辛(韮(にら)、葱(ねぎ)、蒜(にんにく)、薤(らっきょう)、薑(はじかみ))、および穢火(えか)になる飲食物、行為としては殺人・改葬・発墓・失火、家畜に関しては獣死・獣不具・獣産・獣傷胎などがあげられる。不可抗力の場合も含めて、これらの穢にかかわることを触穢(しょくえ)といって極力避けてきたが、避けえない場合は、穢の主体を隔離したり、禊祓(みそぎはらえ)などを行った。とくにわが国の神々は、不浄を忌み嫌うため、神々に奉仕する者については、『神祇令(じんぎりょう)』や『延喜式(えんぎしき)』などに触穢に関する規定が設けられた。『延喜式』の臨時祭の条には、死穢(しえ)に対して甲乙丙丁の展開の規定がみられる。甲の家族に死穢が発生した場合、乙が甲の家で着座すると乙の家族全員が汚染し、乙の家に丙が着座すると丙1人が汚染、その家族に汚染は及ばない。しかし乙が丙の家で同座すると丙の家族全部が汚染するが、丁が丙の家で着座しても丁はもう汚染されないという。穢の観念は、時代とともに希薄になってきているともいえようが、また一方、全国各地に多様な展開をしていることも指摘できる。主として、全国津々浦々に鎮座する神社の神事や葬儀に関する慣習などのなかに、現代における穢の観念が存続している。
[落合偉洲]
…罪穢(つみけがれ)を祓い清めるときに,その代償として差し出す物品のこと。上代においては,罪穢はともに祓によって消滅すると考えられていたが,律令制度の確立後にはもっぱら罪は刑によって,穢は祓によって解除されると考えられるようになった。…
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[神とカミ]
カミが神と表現され,神道の枠組に入った段階で,一つの特色が生じた。それは穢(けがれ)の観念である。穢は,死穢・血穢で代表されるが,それを極端に忌避するところに,神の存在を求めようとする。…
…刑法刑法理論犯罪【内藤 謙】
【刑罰の歴史】
[日本古代]
西暦紀元前後から3世紀半ばにかけての日本は,氏族国家分立の時代であった。この時代は法と宗教とが未分離であり,神のいみ嫌う穢(けがれ)が〈つみ〉とされた。当時の〈つみ〉の内容を示すものとして《延喜式》の大祓詞(おおはらいのことば)にみえる〈天津罪(あまつつみ)・国津罪(くにつつみ)〉があり,前者は主として農耕に関する罪であるが,後者には疾病,災害等も罪に数えられている。…
…鍛冶,番匠,檜物師などと同様に荘園・公領に給免田を与えられた傀儡の存在や,遊女・白拍子は〈公庭〉に属する人といわれている点などによって,それは明らかである。また,病や罪,死や血に触れるなど,さまざまな理由による穢(けがれ)のために,平民の共同体から排除・差別された非人・河原者(かわらもの)の場合にも,清目(きよめ)をその職能とする寄人・神人の集団があり,やはり公的に職人と認められていた。さらに異国人(唐人)の商工民についてもまったく同様であった。…
…つまり,ハレを日常性を示すケと対立させた場合には,特別な状況は祝儀も不祝儀も含むことになる。 一方,ハレは神聖性を意味することもあり,その場合はケガレ(穢)あるいは不浄性と対立する。宗教的なものに対する人間の認識にはおおまかにいって2方向あり,一つは神聖性,清浄性を尊び,そこに人間の存在を超えた力の源があるとする考え方であり,もう一つは不浄なもの,穢れたものも人間に対して強い力をもちうるという認識である。…
…日本的な気は〈ケ〉あるいは〈気配〉としての気であり,対人関係またはそれに近い関係をもとにしている。たとえば,神道的な考え方では,病気の起こる原因は穢(けがれ)としているが,穢は〈気乾れ〉で,生命力の減退を意味するが,さらにそれは生霊,死霊などのたたり,あるいはタヌキ,キツネ,物の怪などのつきものによって起こるとされている。生霊,死霊などの多くは,怨をもつもの,あるいは怨をいだいて死んだものがたたるのであり,つきものも,対人関係における負い目が背後にひかえているときに起こるものとして説明できる場合が少なくない。…
※「穢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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