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ハワード ハワード Howard, Sir Ebenezer

16件 の用語解説(ハワードの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハワード
ハワード
Howard, Sir Ebenezer

[生]1850.1.29. ロンドン
[没]1928.5.1. ウェリンガーデンシティー
イギリス田園都市運動の創始者。1872年アメリカ合衆国に渡りネブラスカ州で農業に従事後,イリノイ州シカゴで裁判所の速記係を務めていたが,1876年帰国。ヘンリージョージエドワードベラミーらの著作を読み土地改革論者となった。

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ハワード
ハワード
Howard, John

[生]1726.9.2. ベッドフォード
[没]1790.1.10. ウクライナ
イギリスの社会改良家。監獄改良運動のために,イギリスのあらゆる刑事施設みずから実態調査し,さらにヨーロッパ諸国の監獄をも視察したうえで,1777年,『監獄事情』 State of Prisons in England and Walesを発表して,当時の監獄の腐敗,囚人の悲惨な状態を訴えた。

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ハワード
ハワード
Howard, Leslie

[生]1893.4.3. ロンドン
[没]1943.6.1.
イギリスの俳優。 1917年ロンドンで初舞台を踏み,20年代には舞台での地位を不動のものにしたが,30年代以後はアメリカ映画で活躍。『ピグマリオン』 Pygmalion (1938) では A.アスキスと共同監督も試みた。

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ハワード
ハワード
Howard, Oliver Otis

[生]1830.11.8. メーンリーズ
[没]1909.10.26. バーモントバーリントン
アメリカの軍人。 1854年陸軍士官学校卒業。南北戦争で北軍に加わり,義勇軍大佐からテネシー軍団司令官に昇進。 62年バージニア州フェアオークスの戦いで右腕を失った。同年陸軍少将。 65~72年解放黒人局局長。

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ハワード
ハワード
Howard, Sir Robert

[生]1626
[没]1698.9.3.
イギリスの劇作家,政治家。バークシャートマスの6男。清教徒革命では王党派に属して戦い,共和制の期間中は入牢。王政復古後,国会議員,次いで枢密顧問官として活躍。文学者としては,戯曲における脚韻の使用に反対して,義弟ドライデンと論争した。

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ハワード
ハワード
Howard, Roy Wilson

[生]1883.1.1. オハイオ
[没]1964.11.21. ニューヨーク
アメリカのジャーナリスト,新聞経営者。『インディアナポリス・ニューズ』の記者を経て,1907年 UP通信社の設立に加わり,12年社長。 21年辞任してスクリップスマクレー系新聞 (のちのスクリップス=ハワード) の経営を支配,また 31年からは『ニューヨーク・ワールド・テレグラム』 (1950年以降『ワールド・テレグラム・アンド・サン』) の社長兼編集主幹。

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ハワード
ハワード
Howard, Sidney Coe

[生]1891.6.26. カリフォルニアオークランド
[没]1939.8.23. マサチューセッツ,ティリンガム
アメリカの劇作家,小説家。カリフォルニア,ハーバード両大学卒業。第1次世界大戦に従軍後,1919~21年『ライフ』誌編集者。『彼らはほしいものを知っていた』 They Knew What They Wanted (1924) でピュリッツァー賞を得,その後『銀のきずな』 The Silver Cord (26) などの喜劇で劇作家としての地位を確立。

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ハワード
ハワード
Howard, Trevor (Wallace)

[生]1916.9.29. クリフトンビル
[没]1988.1.7. ブシー
イギリスの俳優。人妻とのせつない恋を描いた映画『逢びき』Brief Encounter(1945)で,心優しい医師を演じたことで最もよく知られる。ロイヤル演劇アカデミー在学中の 1934年にプロとしてデビュー

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ハワード
ハワード
Howard, John Winston

[生]1939.7.26. シドニー
オーストラリアの政治家。首相(在任 1996~2007)。1961年にシドニー大学で法学士号を取得し,1962年ニューサウスウェールズ最高裁判所弁護士になった。その後政界入りし,1974年の連邦議会下院選挙にオーストラリア自由党から立候補して当選。

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ハワード
ハワード
Howard, Ron

[生]1954.3.1. オクラホマダンカン
アメリカ合衆国の映画制作者,監督,俳優。子役として 1歳半で映画デビュー,2歳で初舞台を踏む。やがてロニー・ハワードという芸名で活動,シチュエーションコメディや映画で主要な役を務め,テレビドラマに多数出演した。

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百科事典マイペディアの解説

ハワード

英国の詩人。サリー伯として知られる。反逆を理由に処刑された。ウェルギリウスの《アエネイス》を5脚無韻詩で翻訳,叙事詩や劇詩の発達を招いた。またソネットを導入し,貴婦人ジェラルディンを歌った詩が有名。

ハワード

英国の刑務所改良運動家。青年時代の獄中体験からヨーロッパ各地の刑務所を視察後,1777年《監獄事情》を出版。特に雑居拘禁の弊を説き,作業を伴う独居拘禁を提唱,ベッカリーアとともに近代的行刑政策に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ハワード【Ebenezer Howard】

1850‐1928
田園都市理論を提唱・実践したイギリスの都市計画家。ロンドン生れ。21歳で渡米。滞米中に,F.L.オルムステッドが計画した田園都市リバーサイドから影響を受けたものと思われ,1876年帰国後,速記者兼田園都市啓発家となった。さらにE.ベラミーらのユートピア思想から啓発を受けて都市と田園の各利点を統合した理想都市を構想し,それを《明日――真の改革に至る平和な道》(1898)と題して発表(1902年に《明日の田園都市》と改題,再刊。

ハワード【John Howard】

1726‐90
イギリスの刑務所改良運動家。1755年,リスボンの地震被災者救済のために渡航の途中,フランスの私掠船に捕らえられ,投獄されて過酷な獄中生活を体験し,刑務所改良に関心をもつに至った。73年,ベドフォードシェリフに選任され,刑務所の惨状を見て,刑務所改良運動に乗り出すことになった。イギリス各地の刑務所を視察するのみならず,ヨーロッパ諸国の刑務所をも熱心に視察し,その成果を,77年,《イングランド及びウェールズの刑務所の状態並びに諸外国の刑務所及び病院について》と題する書物にまとめた。

ハワード【Luke Howard】

1772‐1864
イギリスの気象学者。ロンドンに生まれる。父は工業家で熱心なクエーカー教徒。私立学校で学び,薬剤師のもとに奉公し,のち薬店を開いて成功した。自然観察が好きで,気象観測,とくに雲の観測を余技として行った。1803年には《雲の種類についてOn the Modifications of Clouds》という論文を発表している。彼の分類は,その後の国際的な雲の分類の出発点となった。21年にローヤル・ソサエティの会員になった。

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大辞林 第三版の解説

ハワード【Howard】

〔Ebenezer H.〕 (1850~1928) イギリスの都市計画家。大都市の弊害を除くため、職住一体となった共同体である田園都市を構想。著「明日の田園都市」
〔Luke H.〕 (1772~1864) イギリスの気象学者。雲級を研究し、雲の分類の基礎を築く。

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世界大百科事典内のハワードの言及

【住宅問題】より

…そして,1909年の都市計画および住居法において,(1)都市公共施設の整備,(2)不良住宅地区の改善,(3)新しい不良住宅抑制のための建築制限,(4)人間の居住に適さない住宅についてその持主に対する閉鎖・改善命令を規定した住居監視員制度,(5)低所得者に対する公営住宅の直接供給という住宅政策の体系をつくりあげた。 一方,1898年E.ハワード田園都市論を提唱しニュータウンの理論的基礎を提供した。その影響を受けて第2次大戦後各国は,戦災で失われた住宅を供給するため,数多くのニュータウンを建設した。…

【田園都市】より

…イギリスの社会改良家E.ハワードは1898年に発表した《明日――社会改革への平和的進路》(1903年《明日の田園都市》と改題)のなかで,産業革命以降の都市労働者の悲惨な労働・居住環境を改善するため,都市および農村の魅力を併せもち,均衡のとれた社会の形成を目指す田園都市構想を提案して非常な注目を浴びた。ハワードの田園都市提案は次の三大特色をもっている。…

【都市問題】より

…さらに,こうした都市問題の広がりに対し,それを解決する改良主義的理想都市案も,R.オーエンの〈工場村〉案をはじめ19世紀を通じ各種出された。とくにE.ハワード田園都市構想(1902)は,労働者を健康な郊外で美しい花園(住宅)を所有させながら,そこにある工場で働かせるものとして,後世の大都市における衛星都市建設案に影響が大きい。 以上の流れに対し,産業革命,資本主義の展開,都市への富の集中とともに他方の極に不可避的に増大する貧困,労働者生活の崩壊に都市問題の本質をみたのがF.エンゲルスの《イギリスにおける労働者階級の状態》(1845)である。…

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