バビロン捕囚(読み)バビロンホシュウ(その他表記)Babylonian Exile(Captivity)

デジタル大辞泉 「バビロン捕囚」の意味・読み・例文・類語

バビロン‐ほしゅう〔‐ホシウ〕【バビロン捕囚】

新バビロニア王国ネブカドネザル2世ユダ王国を滅ぼした際、イスラエル人をバビロンに連行・移住させた事件。第1回は前597年、第2回は前586年に行われた。前538年、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キロスによって帰還を許された。

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改訂新版 世界大百科事典 「バビロン捕囚」の意味・わかりやすい解説

バビロン捕囚 (バビロンほしゅう)
Babylonian Exile(Captivity)

バビロニア人が,ユダとエルサレムの住民の大多数を捕らえバビロニアに移した事件のこと。〈バビロニア捕囚〉ともいい,第1次捕囚(前597)または第2次捕囚(前586)から,キュロスの神殿再建許可の勅令(前538)または神殿完成(前515)までをイスラエル史における〈バビロン捕囚時代〉という。アッシリアによる北イスラエル10部族の捕囚(《列王紀》下15)と北イスラエル王国の滅亡(前722)に続く世紀,アッシリアの衰退後,南ユダ王国の国力回復の試みは,ヨシヤ王がメギドで死んで挫折し,代わって即位したその子エホアハズもエジプトに連行されて死に,エジプトは前605年ネブカドネザルによりカルケミシュで敗れた。ヨシヤの子エホヤキムの治世11年バビロニアがエルサレムを攻囲(《列王紀》下23),その子エホヤキンは即位3ヵ月でバビロニアに降服(同,24),王と母,従者のほか神殿と宮殿の宝物とともに1万人が捕囚された。残った者は貧しい者のみであった(第1次捕囚)。さらにゼデキヤ王の11年エルサレムは陥落(《列王紀》下25),王と住民の多くは捕らえられて移され(第2次捕囚),残った貧民はブドウ栽培者,農夫となった。なお〈教皇のバビロン捕囚〉と呼ばれる事件は〈アビニョン捕囚〉の項を参照。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バビロン捕囚」の意味・わかりやすい解説

バビロン捕囚
ばびろんほしゅう
Babylonian Exile

古代イスラエル民族のユダ王国が新バビロニア王国によって征服された際、多くの住民がバビロンへ強制移住させられた事件。紀元前597年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダ王エホヤキンは降伏し、数千人の貴族、聖職者および中産階級の国民とともにバビロンに連行された。その後、ユダは半独立国の地位にとどまり、王位はゼデキアに継承されたが、彼が反バビロニア派に動かされ、反乱に加担したため、ネブカドネザル2世はふたたびエルサレムを略奪し、建物を焼き、砦(とりで)を撤去し、住民の大部分を捕囚の身とした(前586)。逃亡を図ったゼデキアはエリコで捕らえられ、目の前で家族全員が虐殺され、自らは盲人とされ、足械(あしかせ)をかけられてバビロンへ連行されたという(『旧約聖書』列王紀)。その後、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キロス2世が前538年に発した「民族解放令」によって帰還を許された。バビロン捕囚はイスラエル人にとって大きな民族的苦難であったが、この間の精神的労苦はかえって民族の一致を強め、信仰を純化する端緒となった。また、それ以前に書かれてきた『旧約聖書』の律法書歴史書預言書、詩などが集成された時期としても重要な意義をもっている。バビロンから帰還後、国家建設はならなかったが、エルサレムに再建した神殿を中心としたユダヤ教団が成立し、彼らはユダヤ人とよばれるようになった。

[漆原隆一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バビロン捕囚」の意味・わかりやすい解説

バビロン捕囚
バビロンほしゅう
Babylonian Captivity(Exile)

前 597~538年にわたってイスラエルのユダヤの人々がバビロニア王ネブカドネザルによってバビロニアに捕囚となった事件をさす。捕囚民は『エレミヤ書』 52章 30によれば,前 597,586,581年の前後3回にわたって 4600人と記されているが,これは男子のみをさしているので,全体では約1万 5000人ぐらいであろう。当時ユダヤの人口は約 25万人であったが,捕囚民は支配階級に属する者や技術者であったので,残された民は衰退した。バビロニアでは宗教的自由は許されたが,エルサレム神殿において行なっていた祭儀を失ったので,それにかわって安息日礼拝が中心になり,会堂 (→シナゴーグ ) における律法の朗読と祈祷を中心とする新しい礼拝様式が始められた。またこの時期にモーセ時代から彼らの時代までの歴史,すなわち『申命記』から『列王紀』が編纂された。したがって預言活動はやんで,かわって律法学者や書記が祭司と並んで重要な位置を占めるようになり,旧約の宗教は「書物の宗教」の性格を強めていった。そして前5世紀後半にネヘミアエズラが帰国して新しい法典のもとに民族の再建をはかり,ここにユダヤ教が成立することになった。

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百科事典マイペディア 「バビロン捕囚」の意味・わかりやすい解説

バビロン捕囚【バビロンほしゅう】

新バビロニア国王ネブカドネザル2世が南ユダ王国の首都エルサレムを2回(前597年,前586年)にわたって破壊,同地方を属州化し,貴族・軍人・工人等11万人以上をバビロニアに移した事件。前538年新バビロニア滅亡後,捕囚のユダヤ人は解放されたが,大部分は離散した(ディアスポラ)。なお,〈教皇のバビロン捕囚〉とも称される事件については,アビニョン捕囚の項を見よ。
→関連項目キュロス[2世]シナゴーグ新バビロニア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バビロン捕囚」の解説

バビロン捕囚(バビロンほしゅう)
the Exile/the Captivity

バビロニア捕囚ともいう。ユダ王国新バビロニアネブカドネザル2世が攻め,前597年と前587ないし前586年の2度にわたり住民の多くをバビロニアに強制移住させた。2度目にはイェルサレムは破壊されユダ王国は滅亡した。前538年にアケメネス朝キュロス2世に解放され帰還した人々は,イェルサレムに神殿を再建しユダヤ教を成立させた。しかしバビロニアに残留した人も少なくなく,のちにパレスチナ・タルムードとは別にバビロニア・タルムードが編集される遠因となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「バビロン捕囚」の解説

バビロン捕囚
バビロンほしゅう
Babylonian Captivity

新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダヤ人をバビロンに捕虜 (ほりよ) として移住させた事件。2回行われたが,一般的には第2回の捕囚をさす
【第1回】前597年に行われ,ユダ王国の貴族・祭司・工人たちをバビロンにつれていった。
【第2回】イェルサレムを攻囲してヤハウェ神殿まで破壊し,前586年,人々の大部分をバビロンに移住させた。移住させられたユダヤ人は,そこで寛容な待遇を受けたとされるが,前538年には,新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝のキュロス2世(大王)に許されて帰国した。この事件はユダヤ人の信仰を堅固なものとし,ユダヤ教成立の大きな転機となった。

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世界大百科事典(旧版)内のバビロン捕囚の言及

【バビロニア】より


[諸王朝分立時代]
 ウル第3王朝を滅ぼしたエラム人は約10年間ウルにとどまるが,ウル第3王朝の元家臣で,その後イシンに独立王国を建てたイシュビエラ(前2017‐前1985)がこれを追い出し,ウル第3王朝の正統な後継者をもって自認した。この後イシンを中心とした約100年間は,事実上ウル第3王朝時代の継続といえるが,前1900年ころになってラルサ,バビロン(バビロン第1王朝),エシュヌンナなどにアモリ系の王朝が相次いで興り,新しい時代が始まる。ナラムシン以来続いていた王の神格化の慣習が廃れ始めるのもこの頃である。…

【ムルシリ[1世]】より

…祖父ハットゥシリ1世の遺命により王位に就いた。祖父の征討により支配下に入っていたシリアのハルパ(今のアレッポ)に反乱が起こると,同地へ向かって出陣し,その平定ののち,余勢を駆ってさらに兵を南東に進め,故国の王城ハットゥサからは実に1200kmの山河を隔てるユーフラテス河畔のバビロンを急襲して,ハンムラピ王以来の由緒を誇るバビロン第1王朝をついに攻め滅ぼしてしまった。このバビロン急襲は,バビロン側の記録にも記されていて,前1595年ころのことと知られるので,ヒッタイト史の編年を定めていくうえで重要な手がかりの一つである。…

【メソポタミア】より

…またギルス(ラガシュ),ウンマ,ニップール,プズリシュ・ダガン,ウルから無数のウル第3王朝時代文書が出土している。アッカドシュメール
[イシン・ラルサ,バビロン第1王朝時代]
 ウル第3王朝の崩壊後,南部メソポタミアではアムル人を中核とする小国家が分立した(イシン・ラルサ時代)。イシュビエラが創始した中部バビロニアのイシン王朝は,ウル第3王朝の政治理念を踏襲した。…

※「バビロン捕囚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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