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バルチック艦隊(読み)バルチックカンタイ

世界大百科事典 第2版の解説

バルチックかんたい【バルチック艦隊】

ロシア連邦海軍の主要な艦隊の一つ。ロシアの艦隊中最も長い歴史をもつ。正称はバルト海艦隊Baltiiskii flot。ロシアとスウェーデンとの北方戦争(1700‐21)の初期に,ピョートル1世によって創設され,戦争終結時にはバルト海で最強の艦隊となった。1703年,ペテルブルグの建設開始とともに築き始められたクロンシロト(現,クロンシタット)要塞が,後に艦隊基地とされた。04年にはペテルブルグに海軍工廠が置かれ,水兵や下士官の養成も始められた。

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大辞林 第三版の解説

バルチックかんたい【バルチック艦隊】

帝政ロシアのバルト海配備の主要艦隊。日露戦争中、旅順港に派遣され、1905年五月の日本海海戦で日本の連合艦隊に潰滅された。

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世界大百科事典内のバルチック艦隊の言及

【日露戦争】より

…3月の奉天会戦も日露両軍ともに最大限の兵力を結集しての激闘となり,日本側にとってこれ以上戦争を継続することは,軍事力のうえでも,戦費負担の面でも限界をこえるものになっていた。 この間,連合艦隊は旅順港口を封鎖してロシア艦隊の活動を抑制していたが,ロシアがバルチック艦隊を東航させたため,それとの決戦に備える必要から旅順の早期占領を要請した。1905年5月対馬海峡沖での日本海海戦で,東郷平八郎が率いる連合艦隊は圧倒的な勝利を収め,戦局全体の帰趨を決めることになった。…

【日本海海戦】より

…日露戦争中の1905年5月27~28日,日本海で,日本,ロシア両国艦隊により行われた海戦。ロシアは開戦以来の戦勢を挽回するため,ヨーロッパからバルチック艦隊を東洋に増遣することを決め,ロジェストベンスキー中将が指揮して,1904年10月,バルト海のリエパヤ軍港を出港した。途中,日本の同盟国イギリスの監視,圧力,妨害をうけながら,222日に及ぶ長途の遠征の後,05年5月27日早暁,対馬海峡東水道入口に達したが,日本の哨艦〈信濃丸〉はこれを発見,報告した。…

※「バルチック艦隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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