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パリ大学 パリだいがく Universités de Paris I à XIII

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パリ大学
パリだいがく
Universités de Paris I à XIII

大部分パリに所在する 13の単位キャンパスから成るフランスの共学制大学。国庫によって維持されるが高度に自治的である。単位キャンパスはI~XIIIの番号が付けられ,たとえばIには経済学・法学など,VIには数学・物理学など,それぞれ固有の学部もしくは学科を擁する。

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デジタル大辞泉の解説

パリ‐だいがく【パリ大学】

Université de Paris》パリ市にあるフランス最古の国立大学。1150年、ノートルダム大聖堂付属神学校を母体として設立。1896年に各単科大学を合併してパリ大学となるが、1968年に解体され、13の独立した大学に再編された。特に、第1・第3・第4大学をソルボンヌ大学とも称する。

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百科事典マイペディアの解説

パリ大学【パリだいがく】

フランスの国立総合大学。パリ,クレテイユ,ベルサイユの3大学区にある13の大学の総称。1150年ころに,神学研究の機関として創立され,のち大学の組織の面でヨーロッパ州諸大学の模範とされた。
→関連項目ウィーン大学クラクフ大学コレージュ・ド・フランスサラマンカ大学大学(教育)プラハ大学ボローニャ大学

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世界大百科事典 第2版の解説

パリだいがく【パリ大学 Université de Paris】

フランスの総合大学の一つで,パリおよびクレテイユ,ベルサイユの3大学区にある13大学の総称。他の大学区と同じように,教育課程は3段階に分かれ,第1課程(2年)と第2課程(2年,医学系では4年)の前半が,日本の教養・専門課程に該当し,第2課程の後半と第3課程(3年)が大学院に該当する。1996年現在の在籍者数は,全13大学で約30万人。国立行政学院(ENA),エコール・ポリテクニク(理工科大学),高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)などは〈グランドゼコール〉とよばれ,大学とは別個の組織である。

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大辞林 第三版の解説

パリだいがく【パリ大学】

パリ・クレテイユ・ベルサイユの三学区にある一三の国立大学の総称。旧パリ大学を解体し1968年に再編。シテ島の教会付属学校をもとにして一二世紀中頃に発足。ボローニャ大学に次ぐ古い起源をもつ。通称、ソルボンヌ大学。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パリ大学
ぱりだいがく
Universit de Paris

13世紀に創立されたフランス最古の大学。「ソルボンヌ」の通称で知られる。ボローニャ大学イタリア)やオックスフォードケンブリッジ両大学(イギリス)などと並ぶヨーロッパ屈指の名門大学として発展したが、20世紀なかばには単一の大学で学生数20万人を擁するまでにマンモス化したため、1968年に解体され、パリ第一~第十三大学までの13の新制大学に再編され、現在に至っている。[井上星児]

歴史

パリ公教会の付属学校などを母体として、1215年に正式に創立。当初、ともに聖職者身分である教授と学生との研究・教育を目的とする同業組合(ギルド)であったが、13世紀中の前後数回に及ぶ自治権獲得闘争の結果、ローマ教皇と国王から自治権をかちえた。以後、中世全体を通じて、学士課程(自由学部)では3学(文法・修辞学・論理学)と4科(数学・幾何学・天文学・音楽)を教え、学士号取得者にはさらに修士号・博士号への道を開く専門課程(神学部・法学部・医学部)に進ませるなどの制度で、ヨーロッパ全域から学びにくる英才の指導・育成にあたった。なかでも神学部は有名で、その中心的存在であったソルボンヌ学舎(13世紀に僧侶(そうりょ)ソルボンRobert de Sorbon(1201―74)が建設した学寮兼研究棟)は、のちにはパリ大学全体の代名詞ともなった。しかし、ルネサンス期以後は、近代科学の進展についていく能力を失って停滞し、フランス革命後の1790年代には、パリ大学は国権の及ばない学者・学生の硬直化したギルド団体として革命議会に糾弾され、大学(当時の表記はファキュルテfacult。「分科大学」の意)の名称が禁止された。
 しかし、ナポレオン1世の「帝国学制」の確立に伴い、ふたたび「ファキュルテ」の名称が復活された。しかも、「国にかわって」学位を授与する権利が認められ、同時に教会との結び付きが消滅した(1806)。第三共和制期には、文部大臣ジュール・フェリーによる改革が行われ、1893年と1896年の二つの法律により、一つの大学区に所在するいくつかのファキュルテの集合体に「ユニベルシテ」universitという名称が与えられることになり、ここに、法人格と財政上の自治権を有する「パリ大学」が成立。同時に、地方にも1大学区に1大学(ユニベルシテ)という大学網が確立され、20世紀に入って発展する。
 しかし、1966年11月の「第2回カーン会議」(高等教育と学術研究の改革のための最高の専門家会議)では、当時すでに全国の大学生の30%にあたる20万人の学生を抱えていたパリ大学の深刻な状況が報告され、その改革を中心に、全国23の各大学の学生数を適正規模(最大2万人)に抑え、パリ地域圏には15前後の大学を設置する案など、各種の改革案が検討されるに至った。その後1968~1969年の、世界を揺るがしたパリ大学の寮自治紛争を火種とする学生の反乱(五月革命)をきっかけに、伝統的な大学の管理・運営のあり方が根本から問い直され、「参加」を基本理念とする文相エドガール・フォールによる画期的な「高等教育基本法」が1969年制定・施行された(フォール改革)。この改革の結果、1970年代の初めまでに、パリ大学をはじめとする全国23の大学は解体・再編され、最終的には70余の新制大学が、旧来の学部(ファキュルテ)にかわる新しい「教育・研究単位機関」(UER=Units d'Enseignement et de Recherche)を基盤として発足した。[井上星児]

現況

1960年代末の改革で旧パリ大学は解体され、市内の「パリ大学区」にパリ第一~第九大学が、市外の「ベルサイユ大学区」にパリ第十、第十一大学が、また同じく市外の「クレテイユ大学区」にパリ第十二、第十三大学が設置され、国民に開かれた新制国立総合大学として再出発した。
 13の大学の規模や設置する課程はさまざまであるが、それらのなかで大きな特色をもつ大学の一つに、パリ第八大学(通称「バンセンヌ大学」)がある。同大学の(1)科目履修の大幅な自由化、(2)現代外国語と情報科学の必修化、(3)バカロレアbaccalaurat試験(後述)を免除した入学者の受け入れ、(4)夜間クラス・週末クラス・夏季クラスの開設による社会人に対する「生涯学習」支援、(5)学年ごとの取得単位数を定めず、優秀者には通常より短期間で学士号などを授与する弾力的措置、(6)産業界など外部からの講師の積極的招聘(しょうへい)など、一連の「実験的」なシステムは、全国の大学の管理運営制度に大きな影響を与えることとなった。
 また、これら13大学の入学者の決定については、一般の国立大学の場合と同様、基本的にはバカロレア試験(高校修了認定と大学入学資格付与を兼ねる統一的国家試験)の合格が必要十分条件であるが、一般にパリ地域圏の諸大学へ志願者が集中しがちであるため、1970年代後半から13大学の多くが、バカロレア資格を取得した志願者に対してさらに独自の入学者選抜を行うようになった。2000年現在、全13大学の在籍者数は、約35万人である。[井上星児]
『小林良彰著『欧米大学レポート――ハーバード大学とパリ大学』(1983・三一書房) ▽藤沢たかし著『63歳からのパリ大学留学』(1984・新潮社) ▽浜野トキ著『定年からのフランス留学』(1991・日本放送出版協会) ▽遠藤周作著『フランスの大学生』(1977・角川書店) ▽岩城和哉著『知の空間――カルチェラタン・クォードラングル・キャンパス 建築巡礼(シリーズ37)』(1998・丸善) ▽岡本太郎著『リリカルな自画像』(2001・みすず書房)』

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世界大百科事典内のパリ大学の言及

【サント・ジュヌビエーブ修道院】より

…一時衰微するが,11世紀に聖堂参事会の手で復興し,12世紀初頭からは学問の重要な中心となり,特にアベラールがここで教鞭をとってから多くの学生が集まるようになり,そのなかからソールズベリーのヨハネス,ブレシアのアルノルドゥス,マイネリウスなど当代一流の知識人を輩出させた。修道院の禁域内にはいくつもの学校や学寮がつくられ,それが集まってやがてパリ大学へと発展した。付近はカルティエ・ラタンの主要部分となる。…

【ソルボンヌ】より

…1257年にルイ9世付の聖職者ロベール・ド・ソルボンRobert de Sorbonが,パリ大学の一つの学寮として設立したもの。この学寮に続いて14世紀初めまでのフィリップ3世,フィリップ4世治下に,およそ60の学寮が設立されることになる。…

【大学】より

…カリキュラムと学位制度に支えられた教育機関と,学徒の人的団体としてのギルドとが結合したところに,過去に類例をみない,そして現代にまで連続する〈大学〉という新しい教育組織が成立したといえる。
[中世大学の成立と発展]
 すでに12世紀後半から13世紀初めにかけて,〈自生的大学〉と呼ばれるボローニャ大学パリ大学オックスフォード大学などの大学が形成されている。この際,ボローニャでは比較的年齢の高い法学生のギルドが中核となり,パリでは学芸学部の教師(多くは上級学部の学生)のギルドが大学を形成し,ともに他の中世大学の模範となった。…

【パリ】より

…この子孫のユーグ・カペーが987年に聖俗貴族の集会で推挙されてカペー王朝が成立すると,パリは新しい発展の段階を迎える。
【中世】

[ルーブル宮とパリ大学の創建]
 カペー朝のルイ6世(在位1108‐37)の頃より,パリは国王の恒常的な居住地となった。農村共同体の出現によって農業生産は飛躍的に上昇するとともに,それを基盤として封建諸侯が出現し,国王は封建諸侯の推挙によってその頂点に立った。…

【ボローニャ大学】より

…しかし14世紀に都市によるサラリー支給が始められるまで,教師は学生の支払う授業料に依存していたため,実際の教授行為を行う教師を選定する権利は学生が保持し,教師は学生組合の学頭に服従させられていた。このような学生組合を主体としたボローニャ大学は,教師組合を主体としたパリ大学と好対照をなす。また,パリ大学が神学研究を中心としたのに対して,ボローニャ大学は法学研究を中心とし,バルトルスなど多くの著名法学者を擁してローマ法学の復興に貴重な貢献をした。…

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