朝鮮の民俗芸能の一つで,物語に節をつけて歌うもの。唱劇,劇歌とも呼ぶ。李朝後期,18世紀初め朝鮮の中部以南に生じた。その起源については諸説があるが,叙事巫歌あるいは民間に伝承されていた説話を歌唱化したものという説が有力である。それがパンソリに発展したのは,商業の発達や富裕な平民層の出現など,変動期にさしかかった当時の社会に,儒教道徳の呪縛から自由な面白い芸能を求める気運があったと同時に,興行が成功する経済的な基盤ができていたからである。
パンソリの演唱は,唱者1人,伴奏の鼓手1人で行われる。唱者は歌の内容に合わせてパルソム・ノルムセ(身ぶり)を交えながら緩急さまざまな節をつけて歌い,間にアニリ(語り)をはさむ。鼓手は拍子をとると同時にチュイムセ(合の手)を入れて進行させる。格別な舞台などなく,外庭に筵(むしろ)一枚が演戯場であった。演目にはつぎの12編があったが,現在も歌われているのは(1)~(5)だけである(カッコ内は別名。なお,(1)~(4)は〈東洋文庫〉に邦訳がある)。(1)春香歌(春香伝),(2)沈睛(しんせい)歌(沈清伝),(3)興夫歌(興夫伝またはパク打令(タリヨン)。打令は日本の〈ふし〉に当たる),(4)水宮歌(兎鼈(とべつ)歌),(5)赤壁歌(華容道打令),(6)ピョンガンセ歌(横負歌),(7)裴裨将打令,(8)チャンキ打令,(9)雍固執打令,(10)曰者打令(武叔打令),(11)江陵梅花打令,(12)仮神仙打令(淑英娘子伝)。これらの辞説(歌詞)は初めは単純粗雑だったらしいが,しだいに素材を広げ,民謡,雑歌など挿入歌謡をふやし多彩になった。また愛好者が上流階級に広がるにつれパトロンができて,その指導のもとに漢詩や故事をだんだんにちりばめた上品で教訓的な要素が加わった。そうした意味での洗練整理をした人物としては,両班(ヤンバン)階級の権三得,中人階級の申在孝が知られている。
演者は広大(クワンデ)と呼ばれる流浪賤民の職業的芸能人であった。広大には仮面劇や人形劇,曲芸に進むグループもあったが,パンソリ広大は上記の洗練化とともに〈歌客〉として一段高く見られるようになった。唱者として名高い者には,形成期(18世紀)の河殷潭,崔先達,全盛期(19世紀)の宋興禄,牟興甲,権士仁らがあげられる。こうした経過によって,パンソリは諧謔,風刺,エロティシズムという庶民の興味と,両班の嗜好の両方にこたえる二重的性格をもつにいたった。現代では,韓国で民族固有の芸能としてパンソリが尊重されているのに対し,朝鮮民主主義人民共和国では両班の玩弄物として否定されているが,これもパンソリの二重的性格を示すものであろう。
執筆者:田中 明
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朝鮮の口唱芸能。パン(場、広場)とソリ(音、声、謡(うた))の合成語。チャン(唱)、アニリ(白、語り)、バルリム(所作)を三大要素に全羅(ぜんら)道の曲調にのせて歌い語った語り物。手扇やハンカチを手に、太鼓の伴奏で1人で数役を演唱する。李朝(りちょう)の平民文学が台頭した16世紀後半から約半世紀の間に発生したとみられている。巫俗(ムソク)系の広大(クワンデ)(芸人)がよく演唱したためか巫歌(ムガー)の影響が非常に濃い。広大たちがかってに演唱していたものを、のちに「パンソリの父」とよばれた申在孝が19世紀後半に台本と唱法を体系的に整理再編した。彼の再編した12編のうち、『春香歌』『沈清歌』『興甫歌』『水宮歌』『赤壁歌』の5編が現在も上演されている。唱法には東便(トンピョン)・西便(ソピョン)・中古制(チュンコジェ)の三つと、平調(ピョンジョ)・羽調(ウジョ)・界面調(ケミョンジョ)の三つの調子がある。パンソリを演劇化したものを唱劇という。名唱に、古くは河漠潭、崔先達、椎得三、近くは金昌、宋萬甲、現在は朴緑珠(パクロクチュ)、金素姫(キムソヒ)らがいる。
[金 両 基]
『申在孝著、姜漢永・田中明訳注『パンソリ――春香歌・沈静歌他』(平凡社・東洋文庫)』
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[演歌復活]
テレビはもっぱら〈ポップス歌謡〉という1977年に,韓国の歌手李成愛(イソンエ)は,《カスマプゲ》(鄭斗守・申東運作詞,朴椿石作曲)で日本の音楽市場に現れ,韓国ブームをひきおこす一方,日本の演歌を独特のフィーリングで歌い,演歌を再浮上させた。演歌は,韓国の俗謡パンソリと音楽的に共通項を多くもち,演歌の源流が韓国にあるともいわれた。これは,1910年代に《船頭小唄》や《籠の鳥》等主題歌映画が朝鮮にもちこまれ,レコードも訳詞で出され,流行したことから,両国間で音楽的共通項が作られたためとみられる。…
… なお広大は語源的には傀儡や仮面を意味し,のちには人形劇や仮面劇,綱渡り,とんぼ返りなどの曲芸をみせる俳優を意味するようになった。さらに李朝後期にはパンソリ広大などのように専門化した芸人も生まれる。才人は才人庁に属した官属の芸人で,地方郡衙に属し,中央や地方での饗宴や両班の個人的な祝宴,科挙の合格祝(遊街とよばれ,3日にわたり友人や親戚を訪問するもの)などにも動員された。…
…17世紀後半になると唐楽はしだいに郷楽化し,郷楽は発展し変化しながら栄えた。18世紀にいたると,時調や詩文学の繁栄に伴い,歌曲の歌辞(詞),時調と呼ばれる芸術的な声楽が確立し,民衆の中では,パンソリと呼ぶ語り物音楽が発達し,多くのパンソリの名歌手が出現した。一方器楽にも〈散調(さんぢよう)〉という独奏楽器のための楽曲形式がおこり,宮廷音楽も含めて,器楽も声楽も民族音楽の大成期を成した。…
※「パンソリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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