ドイツの軍人、政治家。ユンカー(プロイセンの伝統的支配階級)出身の軍人の子。職業軍人の道を進み、プロイセン・オーストリア、プロイセン・フランス両戦争に従軍。第二帝政下で、幕僚、軍司令官を歴任し、1911年予備役に退いた。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)(1914)後、東部第8軍司令官に復帰。参謀長ルーデンドルフの補佐を得て、タンネンベルクの戦いでロシア軍を破り、その後も東部で連勝、国民的英雄となり、元帥に叙せられた。1916年8月、ルーデンドルフとともに中央に招かれ、第三次最高軍司令部を形成、総力戦体制を確立したが、実際の作戦指導はルーデンドルフが担っていた。敗戦後も、1919年夏までその地位にとどまり、共和国への軍部中枢の継続性の保持に努めた。ドイツの敗北は銃後の裏切りによるとする彼の発言は左翼批判を促し、反ワイマール勢力を台頭させた。1925年、大統領エーベルトの死後、保守派に推されて共和国第2代大統領に当選。当初は憲法に忠実であったが、元来の帝政的心情と独自の政治判断力の欠如から、国防軍、側近の影響を受け、1930年ブリューニング少数内閣を発足させ、もっぱら大統領の緊急立法権に依拠する権威主義的・脱議会的大統領内閣への方向を強めた。1932年、共和派に推されてヒトラーを破り、大統領に再選されたが、1933年1月ヒトラーを首相に任命し、第三帝国への道を開いた。「生涯に三度の人生を経験した」といわれ、国民的人気は高かったものの、指導力を発揮したことは少なかった。
[木村靖二]
『J・W・ウィーラー・ベネット著、木原健男訳『ヒンデンブルクからヒトラーへ――ナチス第三帝国への道』(1970・東邦出版社)』▽『室潔著『ドイツ軍部の政治史――1914~1933』増補版(2007・早稲田大学出版部)』
ドイツの軍人,政治家。ドイツ東部のユンカー階級出身。職業軍人の経歴を歩み,1911年退役。第1次世界大戦勃発とともに東部第8軍司令官に復帰,参謀長ルーデンドルフと協力,タンネンベルクの戦でロシア軍に大勝し,一躍国民的英雄となる。東部軍司令官をへて16年8月最高軍司令部に招かれ,参謀総長に就任,ルーデンドルフの実質的指導の下に軍部独裁体制を確立。敗戦後のドイツ革命期もその地位にあって帝制将校団の維持に成功,19年引退。ワイマール共和国下においても人気は高く,回想録や国会敗戦原因調査委員会での大戦中の銃後批判の発言は,敗戦を左派の裏切りに帰する〈背後からの一撃〉説(匕首(あいくち)伝説)の流布に力をかすことになった。25年,社会民主党のエーベルトの死後,保守派に推され共和国第2代大統領になった。任期前半は憲法に忠実だったが,経済恐慌下に政治危機が始まると,軍や保守派の影響下に,30年以降憲法48条の大統領特権に基づく脱議会的大統領内閣を連続させ,共和国崩壊を促進した。32年の大統領選では共和派の支持でヒトラーを破って再選されたが,33年1月大統領内閣の行詰りからヒトラーを首相に任命,第三帝国への道を開いた。
執筆者:木村 靖二
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1847~1934
ドイツの将軍,大統領(在任1925~34)。プロイセン‐オーストリア戦争,プロイセン‐フランス戦争に従軍。第一次世界大戦勃発とともに第8軍司令官となりタンネンベルクの戦いに大勝して国民的英雄となった。元帥となった彼は,1916年参謀総長としてルーデンドルフとともに軍事独裁を行った。敗戦ののち一時引退したが,ティルピッツなど保守・帝制派に推されて25年第2代大統領となり,ブリューニング内閣以後,大統領の大権による超議会政府の活動を許した。32年共和派に支持され大統領に再選されたが,33年1月ヒトラーに組閣を許し,以後,ナチスに暴政の隠れみのとして利用された。
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…国家の勢力下にあるいっさいの資源や機能を戦争遂行に最も有効に利用するように統制運用するための措置。帝国主義の時代にはいると戦争は強国,さらには国家群の間の大規模かつ激烈な総力戦となった。膨大な軍隊が動員され,銃砲,弾薬から軍艦,戦車,航空機など破壊力が強大で遠距離を攻撃しうる高度な兵器が大量に消費される消耗戦となり,前線のみならず軍需生産や輸送・通信等の後方勤務に人民と資材が全面的に動員された。政治・財政から科学や芸術までがこれに奉仕させられ,人民の日常生活のすみずみにまで統制が及んだ。…
…【中井 晶夫】。。…
…ドイツの政治家。ナチス(ナチ党)党首(1921‐45),第三帝国の総統(1934‐45)。オーストリアのブラウナウに税関吏の息子として生まれる。小学校卒業後,実科学校に進学,成績不良のため中退。1908年ウィーンに居住し,その前後に2度,造形美術大学を受験して失敗する。定職につかず,両親の遺産や孤児年金を支えに芸術家気どりの生活を送り,のち肉体労働や絵葉書を描いて生計をたてる。13年ミュンヘンに移住。…
※「ヒンデンブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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