ビュリダン(英語表記)Jean Buridan

デジタル大辞泉 「ビュリダン」の意味・読み・例文・類語

ビュリダン(Jean Buridan)

[1300ころ~1358ころ]フランスのスコラ哲学者。パリ大学総長。オッカム弟子で、アリストテレスについての講義録多数残した。力学においてインペトゥス理論を構想し、後世に大きな影響を与えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ビュリダン」の意味・わかりやすい解説

ビュリダン
Jean Buridan

フランスのスコラ学者。生没年不詳。1300年ころピカルディー地方の小さな町ベチューンに生まれ,パリ大学で学んだ。その後1320年ころからその学芸学部の教師となり,28年と40年の2度にわたって学長に選ばれた。生涯を通して学芸学部で活躍し,アリストテレスのほとんどすべての著作について〈注解〉や〈問題集〉を著したが,神学にはほとんど関心を示すことはなかった。オッカムの提唱した唯名論の立場を批判的に継承・発展させ,主として自然哲学の分野で優れた研究を行うとともに,ニコル・オレームザクセンアルベルトのような逸材を育成して,パリ学派と呼ばれる学統の創始者となった。彼の科学的達成としてまず第1に挙げられるのは,アリストテレスの投射運動論をまっこうから批判して,動者から動体に直接こめられるインペトゥスimpetus(勢い)という力学的概念を新たに導入したことである。そしてこの概念を巧みに適用することによって,投射運動のみならず,落体の加速運動,物体の回転運動などのさまざまな運動現象を統一的見地から説明することができた。今日この理論は一般にインペトゥス理論として知られている。そのほか,地球の日周運動の可能性について中世ヨーロッパで初めて本格的に検討したことや,造山作用のメカニズムについて独創的な見解を展開したことなども見逃せない。これらの思索は中世後期からルネサンス時代までさまざまな影響を及ぼしたが,なかでもインペトゥス理論はひろく受けいれられ,近代的な力学思想形成の原動力として大きな役割を果たすことになった。なお,〈ビュリダンの驢馬(ろば)〉--同質同量の2束の乾草真ん中に置かれた驢馬は,双方からの刺激が等しいため一方を選べず餓死する--の話はよく知られているが,彼の著作にはない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュリダン」の意味・わかりやすい解説

ビュリダン
びゅりだん
Jean Buridan
(1295ころ―1358以後)

フランス中世の哲学者、科学者。パ・ド・カレー県ベチュンの生まれ。パリ大学で学び、やがてその教授として成功し、学長にもなった。オッカムの影響を受けたと思われる唯名論的主張もあるが、基本的にはパリ大学の論理学の流れにたって、これを発展させ「私はいま嘘(うそ)をついている」といった自己言及のパラドックスの分析を行い、また演繹(えんえき)法則の公理論的導出を初めて試みた。自然学に関してはアリストテレスの見解に反対して「突進力」impetusの理論を提唱した。これは近代の慣性法則などに先だつもので、投げ出された物体が飛び続けるのは、物体に、速度と物体の量に比例した強さの突進力が与えられたためであり、この力は空気抵抗と物体の重さによって徐々に減少するとされる。

[清水哲郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビュリダン」の意味・わかりやすい解説

ビュリダン
Buridan, Jean

[生]1300. ベテューヌ?
[没]1358
フランスの哲学者。ラテン名は Joannes Buridanus。 1328年および 40年パリ大学学長をつとめた。穏健な唯名論者で,40年極端なオッカム主義の断罪に寄与した。物体はまわりの空気によって動かされるというアリストテレス説に反対して,躍動 impetusという力学的概念を導入して近代的な力および慣性の概念を準備し,近代力学への道を開いた。自由意志についてはより大なる対象の善によって規定されるという精神的決定論を唱え,「2つの等価の食物の間に置かれた犬は,等価であるのでどちらにも決定できず餓死する」といったとされ,これが後世誤って「ビュリダンのロバ」として伝えられている。しかしこの比喩は彼の著作には見出されない。主著には,"Summa de dialectica" (1487) ,"Compendium logicae" (89) などアリストテレス注解書が多数あるが,唯名論的傾向のために,一時禁書となった。

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百科事典マイペディア 「ビュリダン」の意味・わかりやすい解説

ビュリダン

14世紀前半に活動したフランスのスコラ学者。生没年不詳。パリ大学に学び,のち同大学総長。アリストテレス著作の注解を行いつつ,その投射運動論にインペトゥス概念を導入するなど,力学の発展に寄与した。門下からはニコル・オレーム,ザクセンのアルベルトらの逸材が出た。著書《天体・地体論》ほか。なお,〈ビュリダンの驢馬〉(同質同量の乾草の間に置かれた驢馬は一方を選べず餓死する)の話は有名だが,その名が帰されているにすぎない。

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世界大百科事典(旧版)内のビュリダンの言及

【中世科学】より

…それは1277年のパリの司教タンピエÉtienne Tempierの異端断罪に端を発し,アリストテレスの学説が批判されると,イギリスではブラドワディーンを中心にダンブルトンのジョンJohn of DumbletonやスワインズヘッドRichard Swinesheadらが,アリストテレス運動論の数学的難点を指摘し,この克服のために新たな数学的定式化を試み,そのなかには,ガリレイの〈落体の法則〉を先取りするものも現れた。大陸ではビュリダンを中心に,ニコル・オレーム,ザクセンのアルベルト,インヘンのマルシリウスMarsiliusらが,アリストテレス運動論の自然学的難点に注目し,あらためて〈インペトゥス理論〉を発展させ,〈運動量〉の概念,〈慣性〉の法則,〈等加速運動〉の幾何学的定式化などに向かった。こうした中世末期の運動論は,フランスの科学史家デュエムらにより〈近代科学〉のはじまりであると主張され,学界の注目を集めた。…

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