日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ブラン(Jean Joseph Louis Blanc)
ぶらん
Jean Joseph Louis Blanc
(1811―1882)
フランスの政治家、社会主義者。ナポレオン1世の兄ジョゼフ統治下のマドリードに財務官吏の子として生まれ、帝政没落後、生活の辛酸をなめた。七月革命(1830)後、北フランス、アラスの工業家のもとで家庭教師として働くうち工場労働者の実態に触れて社会改革の必要を認識した。1834年からパリでジャーナリストとして活動、1839年『ルビュー・デュ・プログレ』紙を創刊して普通選挙をはじめとする政治改革を主張した。同年彼の名を一躍高めた『労働組織論』を発表、生産の調整者としての国家が社会作業場を設立することによって労働者に労働手段と平等な賃金を保障し、資本主義の悪の根源である競争を止揚して新しい社会を実現しうると説いた。その後、急進共和派の新聞『レフォルム』の編集に加わり、1847年には「改革宴会」運動にも参加。1848年二月革命の際、臨時政府の一員となり、全市民の労働権、生活権を布告、またリュクサンブール委員会の議長として労働時間の制限などを実現したが、このとき設立された「国立工場」は彼の構想とは異なり、失業対策のための土木事業となった。同年5月15日の議会乱入事件の責任を問われてイギリスに亡命、そこで大著『フランス革命史』(1847~1862)を完成。第二帝政崩壊(1870)後に帰国、1871年国民議会に選ばれ、パリ・コミューンを非難したが、1879年のコミューン受刑者の大赦には賛成した。
[服部春彦]
『河野健二編『資料・フランス初期社会主義――二月革命とその思想』(1979・平凡社)』