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ブランデンブルク ブランデンブルク Brandenburg, Erich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブランデンブルク
ブランデンブルク
Brandenburg, Erich

[生]1868.7.31. シュトラルスンド
[没]1946.1.22. ライプチヒ
ドイツの歴史家。 1899~1937年ライプチヒ大学教授。ドイツ帝国の成立や第1次世界大戦前史の研究にすぐれた業績を残した。主著に『帝国建設史』 Reichsgründung (2巻,1916) ,『ビスマルクから世界大戦へ』 Von Bismarck zum Weltkrieg (24) などがある。

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ブランデンブルク
ブランデンブルク
Brandenburg, Friedrich Wilhelm, Graf von

[生]1792.1.24. ベルリン
[没]1850.11.6. ベルリン
ドイツ,プロシアの軍人,政治家。プロシア王フリードリヒ・ウィルヘルム2世とデーンホフ伯の娘ゾフィーの子。 1848年の革命の際,反動的なブランデンブルクマントイフェル内閣を組織して革命派を弾圧した。

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ブランデンブルク
ブランデンブルク
Brandenburg

正式名称はブランデンブルクアンデアハーフェル Brandenburg an der Havel。ドイツ東部,ブランデンブルク州の都市。ベルリンの西約 50kmのハーフェル川沿いに位置する。 512年スラブ人が定住したのに始り,928年ドイツのハインリヒ1世に征服され,948年司教座がおかれた。

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百科事典マイペディアの解説

ブランデンブルク

ドイツ北東部,オーデル川流域からエルベ川の間の北ドイツ低地を占める地方。第2次大戦後,オーデル川以東はポーランド領,他は旧東独領。現在は一州をなす。約40%は砂地で,湖水も多く,ジャガイモ,燕麦,ライ麦の農業が行われる

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デジタル大辞泉プラスの解説

ブランデンブルク

《Brandenburg》ドイツ海軍の戦艦。ブランデンブルク級のネームシップ。1891年進水、1893年就役の前弩級戦艦。1919年除籍、1920年解体。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブランデンブルク【Brandenburg】

ドイツ北東部,ブランデンブルク州の工業都市。人口9万5000(1985)。造船業,鉄鋼,機械,繊維,食品工業が行われる。ハーフェル川の要衝に位置し,10世紀以来城塞が置かれた。12世紀に両岸に相次いで商人地区(旧市,新市)が成立して以降都市として重きをなす。中世ドイツ人による東部植民とともに発達し,中世を通じ両地区は別々の行政単位として並存した(いわゆる二重都市)。1715年に単一都市に統合される。

ブランデンブルク【Brandenburg】

プロイセン王国の中核となったドイツの領邦(ラント)。ドイツの北東部,エルベ川の西岸からオーデル川にいたる一帯を占め,ハーフェルHavel川とシュプレー川がこの地域の主要な水路をなす。土地はあまり肥沃でなく,沼沢が多い。紀元前2世紀ごろまでは,ゲルマン人の一部族のセムノネスが居住していたが,その後スラブ系のウェンド人がこの地に入り込んで定住した。
辺境伯領の形成]
 10世紀はじめにドイツ王国が成立すると,国王オットー1世は,ウェンド人に対する防衛のため,この地域に辺境領ノルトマルクを設けた。

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大辞林 第三版の解説

ブランデンブルク【Brandenburg】

ドイツ、ベルリンの西にある都市。かつてブランデンブルク辺境伯・大選帝侯の本拠地。
プロイセン王国の中核となったドイツ北東部の、ベルリンを中心としたエルベ川からオーデル川に至る地域。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブランデンブルク
ぶらんでんぶるく
Brandenburg

ベルリンを中心にしてドイツ北東部からポーランド西部にかけて広がっていた歴史的地域。12世紀にブランデンブルク辺境伯領となり、プロイセン王国時代にはその中心的な一州をなした。第二次世界大戦後ポーランド領となったオーデル川以東地域を除いて旧東ドイツドイツ民主共和国)の一州となり、1952年には4県に分割されたが、1989~90年のドイツ再統一の過程でふたたび州として復活。現在はドイツ連邦共和国の一州。ベルリンが独立して一州となったため、現在はポツダムが州都。[坂井榮八郎]

歴史

民族移動期以後この地はスラブ系ウェンド人の居住地となっていた。10世紀ザクセン朝のドイツ国王はエルベ、オーデル両川の間に辺境伯領ノルトマルクを設定し、またハーフェル河畔にブランデンブルク司教座を置いてウェンド人の平定とキリスト教化を図ったが、ウェンド人の抵抗により所期の目的は達せられなかった。1134年に辺境伯に封ぜられたアスカニエル家のアルブレヒト熊伯(ゆうはく)Albrecht der Br(1100?―70)がようやくこの地に支配権を確立、1157年以降ブランデンブルク辺境伯と称した。以後アスカニエル家の下でドイツ人の植民が進められ、領土もオーデル川以東(ノイマルク)に広がった。この間スラブ人は大部分ドイツに同化したのである。
 しかし1320年アスカニエル家が断絶したのち支配者が一定せず、辺境伯(1356年の金印勅書で選帝侯の資格が与えられた)の権力が弱体化する一方、都市や貴族領主の勢力が伸びた。ベルリン、フランクフルト・アン・デア・オーデルなどの都市はハンザ同盟に加わり、貴族領主は領邦議会に結集して君主権を制約した。1417年ホーエンツォレルン家のフリードリヒが辺境伯・選帝侯に任ぜられて以後、同家の支配下でふたたび君主権が強化された。都市の特権は奪われ、16世紀には宗教改革が推し進められて教会が君主権に服属させられた。三十年戦争中ブランデンブルクは戦火に荒らされたが、この間ホーエンツォレルン家は相続によってドイツ各地に多くの領地を獲得した(プロイセン、ポメラニア、マクデブルク、クレーウェ、ミンデンなど)。
 これら諸領は当初それぞれが別個の領邦で、ホーエンツォレルン家の下に同君連合によって結合されていたにすぎなかったが、三十年戦争末期に即位した「大選帝侯」フリードリヒ・ウィルヘルムの下で常備軍の建設や中央統治機関の整備がなされ、また従来租税承認権を握って君主に対抗してきた各地の領邦議会が無力化させられて、統一君主国体制が整えられた。ブランデンブルクの領邦議会は1653年以後開かれていない。しかし貴族領主は君主権力の承認と引き換えに自己の領地に対する支配権を確認されてグーツヘルシャフト(広大な領主直営農場を中心とする領主制の一形態)を発展させたのであった。次代のフリードリヒ1世が1701年プロイセンの王位を得たことによって、以後ブランデンブルクの歴史はプロイセン王国の歴史のなかに解消する。しかしプロイセン王国の首都はベルリンであり、ベルリンを含むブランデンブルクは王国の中心であり続けたのである。[坂井榮八郎]

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世界大百科事典内のブランデンブルクの言及

【三十年戦争】より


[スウェーデン戦争(1630‐35)]
 皇帝勢力の北進は,北ヨーロッパでの勢力拡張をはかっていたスウェーデン王グスタブ2世アドルフの介入を誘発した。グスタブ2世はフランスの援助の確約をとりつけて,1630年6月ポンメルン(現,ポモジェ)に上陸し,新教派の有力諸侯ブランデンブルク選帝侯,ザクセン選帝侯の協力を得,31年9月にザクセンのブライテンフェルトBreitenfeldにティリを大敗させ(ブライテンフェルトの戦),南ドイツ,西ドイツへと進出し,31年にはボヘミアのプラハをも占領した。この劣勢に皇帝はワレンシュタインを再度皇帝軍総司令官に起用することに決し,ワレンシュタインは32年11月ライプチヒ近くのリュツェンLützenにグスタブ2世と会戦して,戦いには敗れたが,王を戦死させた(リュツェンの戦)。…

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