フランスの政治家、社会主義者。ナポレオン1世の兄ジョゼフ統治下のマドリードに財務官吏の子として生まれ、帝政没落後、生活の辛酸をなめた。七月革命(1830)後、北フランス、アラスの工業家のもとで家庭教師として働くうち工場労働者の実態に触れて社会改革の必要を認識した。1834年からパリでジャーナリストとして活動、1839年『ルビュー・デュ・プログレ』紙を創刊して普通選挙をはじめとする政治改革を主張した。同年彼の名を一躍高めた『労働組織論』を発表、生産の調整者としての国家が社会作業場を設立することによって労働者に労働手段と平等な賃金を保障し、資本主義の悪の根源である競争を止揚して新しい社会を実現しうると説いた。その後、急進共和派の新聞『レフォルム』の編集に加わり、1847年には「改革宴会」運動にも参加。1848年二月革命の際、臨時政府の一員となり、全市民の労働権、生活権を布告、またリュクサンブール委員会の議長として労働時間の制限などを実現したが、このとき設立された「国立工場」は彼の構想とは異なり、失業対策のための土木事業となった。同年5月15日の議会乱入事件の責任を問われてイギリスに亡命、そこで大著『フランス革命史』(1847~1862)を完成。第二帝政崩壊(1870)後に帰国、1871年国民議会に選ばれ、パリ・コミューンを非難したが、1879年のコミューン受刑者の大赦には賛成した。
[服部春彦]
『河野健二編『資料・フランス初期社会主義――二月革命とその思想』(1979・平凡社)』
ノルウェーの劇作家イプセンの五幕の詩劇。1866年作。主人公の牧師ブランは、あらゆる妥協を排し、「一切(いっさい)か無か」を信条として、ノルウェー西海岸のフィヨルドの村で、理想社会の建設に精魂を傾ける。ただ聖書だけを心のよりどころとして、自分の幸福を少しも顧みない。浅薄な村長の人道主義、財産作りに余念のない母親、さては断崖(だんがい)の上で踊り狂っている恋人たち、すべてに彼は不満で、しだいに堕落した時代全体に戦いを挑む形になる。それでも最後に念願の新しい教会が完成するが、そのときはすでに最愛の母も妻も子もすべて失っていた。彼は不思議な寂しさを感じて教会を去って雪に覆われた山へ登ってゆくが、雷鳴と雪崩(なだれ)のなかに倒れて死ぬというのが粗筋。この作は当時の作者の戦闘的理想主義を遺憾なく示した作として世界を驚かし、それまでほとんど無名だったイプセンを、たちまち世界文学の第一線に押し出した作品である。「ブランは最上の瞬間の私自身だ」と作者はいっている。
[山室 静]
フランスの社会思想家,社会活動家。19世紀フランスに登場してきた社会改革の問題を,大革命以来の共和主義的伝統に立脚しながら解決しようとして,労働の組織化のプランを提出し,1848年の二月革命のなかでそれを実現しようと努めた。七月王政下のパリで共和派のジャーナリストとして活動を始め,主著の一つとなった《十年史:1830-1840》5巻(1841-44)などの執筆に従う一方,雑誌《ルビュ・デュ・プログレ》の主幹となり(1839-42),またピエール・ルルー,ジョルジュ・サンドとともに《ルビュ・アンデパンダント》の編集を行った。39年,前者に連載した論文を《労働の組織L'organisation du travail》と題する著書として出版し,一躍有名になった。本書で述べられている社会改革のプランは,普通選挙を基礎とする国家が資金援助を行って生産協同組織を形成し(アトリエ・ナシヨノー),これによって資本主義の悪である競争を抑止し,労働者の社会的地位を改革するというものであった。48年の二月革命で新政府に加わり,いわゆる〈リュクサンブール委員会〉を組織し,労働者の職能組織の代表と雇用者代表を集めて,この改革プランの実現に努めた。しかし政府に対する労働者の不満が激化するなかで,この企図は挫折した。六月蜂起の発生をみてイギリスに亡命したが,第二帝政の崩壊を見て帰国し,71年国民議会に当選した。その立場は急進共和派とみなされたが,すでに時代に取り残されていた。
執筆者:喜安 朗
フランスの俳優,演出家。1930年代にシュルレアリストたち,とくにアルトーと交わり,バローの初期の前衛的試演に参加し,第2次大戦後ストリンドベリの《幽霊曲》(1949)やアダモフの初期作品《大小の手段》(1950),《パロディ》(1952)の演出で頭角を現す。53年に多くの演出家に拒否されたS.ベケットの《ゴドーを待ちながら》の真価をいち早く認め,無名の小劇場バビロン座での初演によって国際的名声を得る。以後《勝負の終り》(1957),《しあわせな日々》(1963)などベケットの主要戯曲の演出で第一人者と認められたばかりでなく,59年パリのローマ劇場廃墟で《黒人たち》の野外上演に成功して以来,ジュネの演出家としても活躍し,特に66年バローに招かれてテアトル・ド・フランスで上演した《屛風》はその大胆な舞台処理により観客に激しい衝撃を与えた。既成概念にとらわれずに戯曲を理解し,それを忠実に舞台化する知性がその本領である。
執筆者:安堂 信也
フランスの文芸批評家。エコール・ノルマル・シュペリウールを卒業後,ボードレールの自意識を犀利に分析した《ボードレール》(1939)によって新鋭批評家として注目を浴びたが,その後は講壇批評の道を歩み,ジャック・クレペに協力してボードレール作品の綿密周到な批判校訂版を編む。また《ボードレールのサディスムLe Sadisme de Baudelaire》(1948)では精神分析的方法をとりいれて新たな詩人像を描き出し,その後のボードレール再読の機運に貢献した。ほかに作家の意図と表現の関連を精密かつ重層的に分析した博士論文《スタンダールと小説の問題》(1954),《スタンダールと人格の問題》(1956),評論集《麦をふるう女》(1968)等がある。パリ大学教授を経てコレージュ・ド・フランスで現代文学講座を担当する。歴史,哲学に対する深い学識と厳密な分析によって,対象とする作家の創造の現場に飽くことなく肉薄する批評は,現代講壇批評の一極点を示すものといえよう。
執筆者:田中 淳一
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1811~82
フランスの社会主義者。著書『労働の組織』(1840年)で注目される。『十年史』(41~44年)で七月王政を批判。二月革命後,政府労働委員会を指導し,自説の実現に努力するが失敗。六月暴動後イギリスに亡命。1871年共和派代議士。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…この風名にちなんで,夏は高温乾燥,冬に雨が降る地中海気候のことをエテジア気候ということがある。 カラブランkaraburan中央アジア,特にゴビ砂漠周辺で春から夏にかけて吹く強い北東風。しばしば砂あらしを伴う。…
…ブリザードに相当する現象に対しては各地に固有の名称がある。例えば,シベリア南部,中央アジアではブランburan,北シベリアのツンドラ地帯ではプルガpurga,アルゼンチンのパンパ地方ではパンペロpamperoと呼んでいる。【花房 竜男】。…
※「ブラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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