コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ブルガリア文学 ブルガリアぶんがくBulgarian literature

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルガリア文学
ブルガリアぶんがく
Bulgarian literature

ブルガリア語で書かれた文学作品の総称。ブルガリア文学の誕生は,870年に皇帝ボリス1世ミハイルが国教としてギリシア正教を選び,キリスト教がスラブ人の間に広まったことに始まる。改宗後まもなく言語学者キュリロスとメトディオスの弟子たちがスラブ語典礼書の普及を目的とする学校を設立し,これが古代ブルガリア文学として知られるキリスト教文献全集の成立に主要な役割を果たした。ブルガリア文学最初の黄金期は,シメオン1世 (大帝) の治世である 10世紀初頭に訪れた。同じ世紀の中頃にはボゴミール派の文学と人民文学が興った。
第2の黄金期は 13~14世紀の中世ブルガリア教会文学で,ロンドンにある『皇帝イワン・アレクサンドル福音書』 (1356) に代表される視覚面に優れた写本を生み出した。また歴史,現世のテーマを好む傾向は 14世紀末のヘシカズム (神秘主義的教義) に引き継がれ,スラブ語 (ブルガリア語) も洗練された。一方,教会とは無縁な大衆的中世文学の流れも,10世紀初めの短編小説や,シメオンの軽率な騎兵とマジャール人との物語『奇跡の遭遇』,ボリス1世の娘をモデルにしたと思われる『ブルガリア女王ペルシカ』などにみられる。
近代ブルガリア文学は,19世紀中頃の国民意識の覚醒に始まる。いわゆるブルガリア・ルネサンスのさきがけとなったのが僧パイシー・ヒレンダルスキの『スラブ・ブルガリア史』 (1762) である。当時ブルガリアはオスマン帝国の支配下にあり,またギリシア文化とロシアの功利主義の強い影響を受けていた。このような状況下で,作家の間に文学は社会や国家の要求に従属すべきであるとする考えが現れた。こうしてリューベン・カラベロフ,フリスト・ボテフ,ペトコ・ラチェフ・スラベイコフらが中心となって,民族的・社会的問題を扱うリアリズム文学の運動が興った。
1878年にブルガリアがオスマン帝国から解放されると,文学の発展にとってはるかに好ましい状況が生まれた。この時代最も重要な作家はイワン・ミンチョフ・バーゾフで,代表作は対オスマン帝国解放運動を鮮やかに描いたブルガリアの国民小説ともいえる『軛 (くびき) の下で』 (1893) である。コンスタンチン・ベリーチコフも独立運動を伝える重要な記録『回想録』 (1900) を記し,当時流行していたイタリア文学のダンテやペトラルカの翻訳にも貢献した。一方,ストヤン・ミハイロフスキは政治の腐敗を風刺のかたちで辛辣に批評し,アレコ・コンスタンチノフも『バイ・ガーニュ』 (1895) で,典型的なブルガリアの農民が成金の民衆扇動家になる悲喜劇を描いた。
1890年代には芸術を社会政治的闘争から解放しようとする若い作家集団「ヨーロッパ派」が長老の作家集団に挑戦するようになった。この動きを率いたのが評論誌『思想』 (1892~1908) である。創刊者クラスチュ・クラステフはブルガリアで最初に芸術的良心の重要性を強調した評論家である。思想派のメンバーのペンチョ・ペトコフ・スラベイコフはブルガリア詩のロマン主義的伝統を発展させた。彼の思想は『しあわせ者の島で』 (1910) という自伝的なアンソロジーに表現されている。未完ながら彼の最高作である『血まみれの歌』 (1913) はブルガリアを描いた現代の叙事詩といわれている。ブルガリアのロマン主義短編小説の創始者ペトコ・トードロフはスラベイコフ以上に文学はそれ自身で完結していると考えた。民話に着想を得た散文詩『牧歌』 (1908) などに,彼の詩的才能がうかがえる。
20世紀になると,西洋の前衛文学の潮流に影響されて象徴主義が盛んになった。キリル・フリストフやペーヨ・クラチョーロフ・ヤボロフ,ディムリョ・デベリャーノフ,ニコライ・リーリエフ,トードル・トラヤーノフらが象徴主義の影響を受けている。一方,アントン・トードロフ・ストラシミーロフやゲオルギ・スタマートフの作品にみられるようにリアリズムの伝統も続き,特に農民の心理をウィットをこめて描いたエリン・ペリン,戦争の描写に優れた力を示したヨルダン・ヨフコフに開花した。
第1次世界大戦後の左翼文学は,若くして悲劇的な死を遂げた詩人ゲオ・ミーレフ,フリスト・スミルネンスキ,ニコーラ・ヨンコフ・バプツァーロフに代表される。バプツァーロフは社会主義と機械の時代をたたえる詩『モーターの歌』 (1940) を残して反ナチレジスタンスで殉死した。第1次世界大戦,第2次世界大戦間には若い世代が優れた散文でブルガリアの生活を写実的に描いた。美術史家ニコライ・ライノフは中世ブルガリアを神秘的,幻想的に描き,ブルガリアのネオ・ロマン主義の最盛期を代表している。エリサベータ・バグリャーナは伝統的な詩と実験的な詩をみごとに融合させた作品を書いた。
第2次世界大戦後は,1944年に成立した共産主義体制によって「社会主義リアリズム」作品のみが奨励された。結果として生まれた作品は画一的で,価値を評価することができない作家が多いが,ディミートル・トードロフ・ディモフとディミートル・タレフ,特にタレフの 19世紀マケドニアを描いた作品は世界的に評価されている。 1980年代後半からブルガリアにおいても民主化が進み,多くの若い才能の動きが注目された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルガリア文学
ぶるがりあぶんがく

ブルガリアでは、9世紀にキリスト教布教を目的として文字がつくられたため、中世までの記録文学は、詩編、聖者伝など教会と結び付いていた。それに対し、新しい教義をたてたボゴミル派は、口承や被支配層の生活を反映させた民間文学を生み、ビザンティン側の弾圧を受けながらも、その精神をスラブ諸国や西ヨーロッパにまで伝えた。ブルガリアの政治・経済は、14世紀より5世紀に及ぶトルコの支配下にあって立ち後れたが、民間の伝承は、民族運動をたたえる叙事詩に生かされ、19世紀文学にも受け継がれた。
 18世紀、長い沈滞ののち、修道僧パイシイが『スラブ・ブルガリア史』(1762)を著し、過去のブルガリアの栄光を謳(うた)って民族の自覚を促した。その影響で、19世紀には国語教育が盛んになり、また、叙情詩人P・R・スラベイコフは自由主義思想を鼓吹して近代詩の礎(いしずえ)を築き、ロシアのリアリズム文学に触れたラコフスキ、カラベーロフ、ボテフらは革命運動と文学活動を融合させ、社会問題を盛り込んだ詩を発表した。
 19世紀80年代からは、バーゾフが長編『軛(くびき)の下で』(1888)をはじめ短編や詩を出してブルガリア文学を世界的水準にまで高めた。20世紀に入ると、象徴主義の兆(きざ)しもみえたが、ロシア革命の影響で、資本主義社会の矛盾をついた批判的リアリズム文学が主流となった。貧しい農村の現実を描いた短編作家エリン・ペリンЕлин Пелинはブルガリアのツルゲーネフともいえる。20~40年代始めには、ゲオ・ミレフ、バプツァロフら多くの文人がファシスト政権に弾圧されて斃(たお)れた。1944年、祖国戦線派がファシスト政権を倒して対独戦に入り、文学者も戦列に加わった。46年の人民共和国成立後は、作家協会やディミトロフ賞が創設され、作家は政治的・社会的使命をおびて、レジスタンス運動、民族問題、資本主義批判をテーマとしたものや記録文学を多く書くようになった。50年代以後はスターリン批判の影響もあり、体制路線から脱却しようとする動きが出て、教条主義を指弾したカルチェフの中編『新しい町での二人(邦訳『愛の終り』)』(1964)、名誉を重んずるブルガリア人魂や自然保護を訴えたハイトフの短編集『あらくれ物語』(1967)、官僚主義を嗤(わら)うストラチエフの風刺戯曲『スエードのジャケット』(1975)などが現れた。ブルガリアでは、時のジフコフ首相により、社会主義政策の遂行上妨げとなるものへの批判や意見は歓迎されたので、ソ連に比べると自由に表現できた。三人ともディミトロフ賞を受賞している。また、早くもクローン人間づくりに警告を発したディモフの『二重星』(1977)などSF小説もよく書かれるようになった。
 1989年のソ連・東欧の変革により、全体主義に先導されてきた文化は昏迷状態に陥り、出版界も外国のポルノ小説を扱うところが多くなった。政府は国文学の保護政策を打ち出したが、出版事情は厳しい。そのようななかで、ズラトエフの長編『修道院の夢』(1992)、パスコの長編『ドイツ――その醜い物語』(1994)、パブロフの詩集『快い断末魔の苦しみ』(1996)、ストラチエフの戯曲『裏側』(1993)、短編集『グレコ』(1997)そのほか力作が出ている。『裏側』はBBCラジオ劇賞を受けた。
 なお、児童文学者ラン・ボシーレクの『やんちゃ王国』(1939)はいまでも人気がある。人形劇『白いお話』(1973)のペトロフなど、バーゾフ以来、伝統的に、著名な作家の大多数が児童・少年のための本を書いているのは注目すべきことであろう。[真木三三子]
『直野敦他著『世界の文学史7 北欧・東欧の文学』(1967・明治書院) ▽今岡十一郎著『ブルガリア』(1962・新紀元社) ▽ヤーボロフ著、八百坂洋子訳『二つの情念』(1976・新読書社) ▽八百坂洋子訳『民話 吸血鬼の花よめ』(1996・福音館) ▽ペトロフ著、松永緑彌訳『ノンカの愛』(1971・恒文社) ▽バーゾフ著、松永緑彌訳『軛(くびき)の下で』(1976・恒文社) ▽ディモフ著、松永緑彌訳『タバコ』(1976・恒文社) ▽バーゾフ他著、真木三三子訳『帰ってきますか』(1978・新日本出版社、『世界短編名作選』所収) ▽松永緑彌訳注『エリン・ペリン短編集』(1983・大学書林) ▽タレフ著、松永緑彌訳『鉄の灯台』(1981・恒文社) ▽ドンチェフ著、松永緑彌訳『別れの時』(1988・恒文社) ▽ベージノフ著、松永緑彌訳『消えたドロテア』(1997・恒文社) ▽ディロフ著、松永緑彌訳『緑色の耳』(1997・恒文社) ▽エリン・ペリン著、志村三三子訳『イヴァン君の指たち』(1958・創元社、『世界少年少女文学全集』所収) ▽エリン・ペリン著、真木三三子訳『夏の日』(1965・筑摩書房、『世界文学体系93近代小説集』所収) ▽エリン・ペリン著、真木三三子訳『二人の釣り師』(1963・集英社、『世界短編文学全集』所収) ▽バーゾフ著、真木三三子訳『ヨッツォじいさん』(1966・小峰書店、『名作にまなぶ私たちの生き方9』所収) ▽真木三三子訳『フリスト・ボテフ詩集』(1976・恒文社) ▽真木三三子訳『13人短編集 露に濡れた石橋』(1977・恒文社) ▽真木三三子訳『ブルガリアの民話』(1978・恒文社) ▽ハイトフ著、真木三三子訳『あらくれ物語』(1983・恒文社) ▽ストラチエフ著、真木三三子訳『ローマ風呂騒動』(1997・恒文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブルガリア文学の関連キーワードタバコ(ディモフの小説)ペイヨ ヤーボロフカラベーロフ軛の下で東欧文学

今日のキーワード

あおり運転

危険運転の一種で、前方を走行する車両に対する嫌がらせ行為。車間距離を極端に詰めて道を譲るように強要する、猛スピードで追い回す、ハイビームやパッシング、並走しての幅寄せなどで威嚇する、といった行為が該当...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android