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ペトラルカ ペトラルカ Petrarca, Francesco

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペトラルカ
ペトラルカ
Petrarca, Francesco

[生]1304.7.20. インチーザ
[没]1374.4.19. アルクア
イタリアの詩人。早くから古典文学を愛読し,父の希望した法学の勉強を放棄。 1327年『カンツォニエーレ』 Canzoniere (1350) の中心的主題となる女性ラウラに出会い,恋愛詩を書きはじめた。

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デジタル大辞泉の解説

ペトラルカ(Francesco Petrarca)

[1304~1374]イタリアの詩人・人文主義者。ルネサンス期の代表的叙情詩人。恋人ラウラへの愛を歌った詩集「カンツォニエーレ」のほか、ラテン語叙事詩アフリカ」など。

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百科事典マイペディアの解説

ペトラルカ

イタリアの詩人。アレッツォ生れ。1313年から南仏のアビニョンで育ち,のち同地の教皇庁に勤め,やがてローマの名門コロンナ家に仕える身となった。佳人ラウラを知り,彼女への愛とその追憶を詩集《カンツォニエーレ》で歌った。
→関連項目アルピニズムコラ・ディ・リエンツォ人文主義ソネット登山ワイアット

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世界大百科事典 第2版の解説

ペトラルカ【Francesco Petrarca】

1304‐74
イタリアの詩人,人文主義の先駆者。ダンテと同じく1302年にフィレンツェを追放された一書記の子として,トスカナ地方のアレッツォに生まれた。次いでインチーザとピサで幼年期を過ごしたのち,12年一家は新天地を求めて,教皇庁が移し置かれてまもない南フランスのアビニョンに渡り,近郊のカルパントラに居を定めた。父親の意志に従って16年からモンペリエに,つづいて20年からはボローニャに留学して法律を学んだが,26年父親の死を機にアビニョンへ帰ると,迷うことなく念願の文学の道へ進んだ。

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大辞林 第三版の解説

ペトラルカ【Francesco Petrarca】

1304~1374) イタリアのルネサンス期の詩人。当代きっての人文学者として、古典古代研究・資料収集にも多大な業績を残した。恋人ラウラを主題とした憂愁にみちた厭世えんせい的な詩「カンツォニエーレ」、ほかに「アフリカ」「わが秘密」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペトラルカ
ぺとらるか
Francesco Petrarca
(1304―1374)

イタリアの詩人、ルネサンス人文主義の先駆者。ダンテと同じく1302年にフィレンツェを追放された一公証人の子として、トスカナ地方のアレッツォに生まれた。ついで同地方のインチーザに幼年期を過ごしたあと、ピサを経て、8歳のとき一家は、教皇庁が移し置かれてまもない南フランスのアビニョンへ渡り、近郊のカルパントラに落ち着いた。ラテン語の初等教育を受けたのち、父親の意志に従いモンペリエ、ボローニャに留学して法律を学ぶが、かたわらウェルギリウスキケロなどのローマ古典に心酔し、またボローニャでは俗語(イタリア語)の詩と出会い、新しい文学へも目を開かされた。26年、父親の死を機に法律の勉強を放棄してアビニョンへ帰る。そして翌27年4月6日の聖金曜日に、聖女クララ教会で、生涯にわたり詩的霊感の源泉となる女性ラウラLauraを見て、決定的な愛にとらえられたという。ここに、ラウラへの愛を歌う叙情詩人が誕生した。[林 和宏]

古典文化復興へ

1330年ころ経済的理由から聖職についたペトラルカは、まもなくローマの名門貴族出身の枢機卿(すうききょう)ジョバンニ・コロンナに仕えて、以後長くその庇護(ひご)を受けることになる。37年、アビニョン郊外ボークリューズの谷に庵(いおり)を結び、この地をヘリコン山の泉になぞらえて詩作と古典研究に励んだ。翌年、野心作『アフリカ』(未完)の執筆に着手する。ウェルギリウスの『アエネイス』を継承しようとしたこのラテン語叙事詩は予想どおりの成功を収め、いまや古典文化復興の立役者としての名声が高まるなか、41年、中世文化の中心地パリの招請を断って、永遠の都ローマのカンピドリオの丘で念願の桂冠(けいかん)を戴(いただ)いた。なお、47年にローマで古代共和政の復活を図った親友コーラ・ディ・リエンツォに、コロンナ家との絶縁を恐れず熱烈な支持を寄せたのも、また教皇庁がローマへ戻るべきことを繰り返し主張したのも、同様に、ラテン文化の伝統に根ざした新しい文化の理想に発していた。
 戴冠(たいかん)以降、諸侯に招かれて、パルマをはじめイタリア各地に滞在することが多くなっていくが、ついに1353年、新教皇との不和を機にイタリア定住を決断し、ミラノの専制君主ビスコンティ家の招きを受け入れた。このミラノ滞在時代には、平穏な著述生活のかたわら外交使節の大任を幾度か果たしている。その後、ペストを逃れて61年にパドバへ、翌年にはベネチアへと移り住み、そして70年に隠棲(いんせい)したパドバ郊外のアルクァが終焉(しゅうえん)の地となった。[林 和宏]

その作品

ペトラルカが後世に残した作品は未完のものも含めて二十余編に上るが、ラテン文学の伝統を多様なジャンルにわたりよみがえらせて、ルネサンス人文主義の基礎を築いたラテン語の著作が大部分を占める。なお、ほとんどの作品が、長期に及ぶ改変、推敲(すいこう)を受けている。
 まず、ラテン語の著作のおもなものは、詩作品に『アフリカ』、『牧歌』(1364)、伝記に『著名人列伝』(1351~53)、さらに、倫理について考究した作品群に、魂の師アウグスティヌスとの対話形式で仮借のない自己検討を試みた『秘密』(初稿1342~43)、文学者と修道士のそれぞれの孤独を賞揚した『孤独な生活について』(初稿1346)と『宗教的無為について』(初稿1347)、書簡集に『親交書簡』(1366)、『晩年書簡』(未完)、教皇庁批難の内容ゆえに宛名(あてな)を伏せた『無名書簡』(1360)、さらに、自然科学に対する詩の優位を主張した『ある医者に対する嘲罵(ちょうば)』(1355)などの論争文がある。
 一方、イタリア語の作品は、叙情詩集『カンツォニエーレ』(1374)と、その主題を叙事的に展開させた詩『凱旋(がいせん)』(未完)の二作にすぎず、人文主義全盛の時代にはラテン語作品の陰に隠れがちであったが、16世紀以降、ペトラルカの代表作としてラウラへの愛を歌う『カンツォニエーレ』の声価は定まった。ダンテが中世キリスト教の統一的世界観に拠(よ)って神の光にまで高めた愛の概念を踏まえつつ、新しい時代の到来を予感するなかで、ペトラルカは追憶のなかの淡い光を歌う。つまり、ペトラルカはラウラのうちに残光を見ていたのである。[林 和宏]

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世界大百科事典内のペトラルカの言及

【イタリア語】より

…ダンテは前にも触れた《俗語論》のなかで,詩文学に用いられる理想的な〈俗語〉はいかなるものであるかを論じたが,自らの詩作にあたって彫琢を加えた言葉は生れ故郷フィレンツェの方言であった。《神曲》の成功に続き,ペトラルカ(1304‐74)とボッカッチョ(1313‐75)がフィレンツェ方言の文学的威信を高めるのに貢献する。だが一方,ラテン語は書き言葉として依然大きな勢力を保ち,ラテン語のイタリア語に対する優位を主張する人文主義者も少なからずいた。…

【イタリア文学】より

…俗語で書かれた壮大なこの叙事詩は,中世神学の確固たる世界観と宇宙観を示すことによって,もはや卑しい俗語による詩的な試みの域をはるかに超え,むしろ古代ギリシアからラテン,そして中世文学における数多の登場人物と,同時代の史実とを網羅し,キリスト教の愛の哲学に則してそれらの事件を秩序だてることにより,中世文学を締めくくったのである。
[近代の誕生]
 このように,ダンテの文学が本質的に過去への展望をはらんでいたのに対して,ほとんど同時代に生きながら,F.ペトラルカとG.ボッカッチョとは,彼らの文芸思想と文学作品の両面において,イタリア文学を大きく近代へ向かって用意した。ペトラルカは俗事詩抄《カンツォニエーレ》において,ラウラへの〈愛〉を軸に,まさに完璧な抒情詩の世界をつくりあげ,〈ペトラルキズモ〉はその後数百年間にわたって詩史に君臨し,現代詩にいたるまで強い影響を与えている。…

【キリスト教文学】より

…また〈武勲詩〉中の傑作である《ローランの歌》(11~12世紀初め)も十字軍の理想を掲げ,教会の宣伝である点において,すぐれて宗教的な作品といえよう。 これにつぐ時代はイタリアを中心とするダンテやペトラルカの活躍をみるが,その道程には,この清新の歌風をイタリアへもたらしたグイード・ダレッツォ,グイニツェリGuido Guinizelli(1230から40‐76)らがあった。グイードはソネット詩の作者で,中年に妻子を捨て修道会にはいった者,宗教的あるいは倫理的な主題を用い,グイニツェリも哲学詩,思想詩をよくして,ダンテの尊敬を得ている。…

【人文主義】より

… しかしまたいわゆるルネサンス期に,人文主義が人々に新鮮な関心を呼び起こし,活発な人間意識を目覚めさせて,新しい生活態度の動因となったことも否定できない。その点でブルーニの指摘するごとく,人文主義の〈真の祖〉に価する存在はペトラルカであった。古代狂とののしられるまでに古典に没頭する一方で,〈人間の本質を知らず,何故にわれわれは生まれたのか,何処から来り,何処へゆくのであるかということに何の関心ももたずに追求されるような学問は無意味である〉と喝破した彼には,明確に人間尊重の姿勢が見てとれる。…

【登山】より

…歴史の中で山はときに聖なる所であり,ときに悪魔の住む所,あるいはまた戦いのため,生存のため征服し,切りひらくものであった。 ルネサンス時代になってはじめて,山は美の対象として認識されるようになり,1336年イタリアの詩人ペトラルカがプロバンスのモンバントゥー(1912m)に登ったとされ,58年B.ロタリオがロッチャメロネ(3537m)に登り,雪をいただく山への初めての登山となった。1492年にはアントアーヌ・ド・ビユらがドーフィネ地方のモンテギーユに登山,これがザイルなどを用いた最初の登攀といわれる。…

【トスカナ[州]】より

…現在のトスカナはエミリア・ロマーニャとともに共産党の地盤として知られており,共産党は50%に近い得票数を確保している。【清水 広一郎】
【イタリア文学におけるトスカナ】
 イタリア文学のなかにトスカナが占める位置を知るには,まずダンテ,ペトラルカ,ボッカッチョの名を想起する必要がある。《神曲》《カンツォニエーレ》《デカメロン》,この三つの傑作は,イタリア文学にとってまごうかたなき古典であり,叙事詩,抒情詩,散文物語の各分野で確固たる伝統を築き上げた。…

【ボッカッチョ】より

…しかしバルディ商会が破産したため40年フィレンツェに引き揚げてからは,もっぱら古典文学研究と創作に力を注いだ。48年のすさまじいペスト大流行を見て,《デカメロン》を書き始め,50年詩人ペトラルカと会って親交を結んでからは,古代の思想,芸術,文化に対する熱情を高めて,ラテン文学だけでなく,古代ギリシア文学の研究にも志した。ホメロスの《イーリアス》の完全なギリシア語原典の写本を初めて修道院の図書館から掘り出したうえ,ラテン語訳本を見つけたのは彼であった。…

【ホラティウス】より

…《風刺詩》はペルシウスとユウェナリスに継承され,《歌章》はプルデンティウスなどキリスト教の賛美歌作者たちの手本にされた。中世には《風刺詩》が人気を博したが,ペトラルカが《歌章》の真価を再発見してからは,古代抒情詩の代表作として,近世の西欧各国に多くの模倣者を生んだ。《詩論》はアリストテレスの《詩学》とともに作詩法の規範とされ,オーピッツ,ボアロー,ヘルダーなど近代の文学理論家に大きな影響を与えた。…

【ラウラ】より

…ペトラルカが生涯愛し続け,抒情詩集《カンツォニエーレ》のなかでその愛をうたった女性。詩人によれば,1327年4月6日の聖金曜日,アビニョンの聖女クララ教会で初めてその姿を目にし,そして48年の同じ4月6日に天へ昇ったという。…

※「ペトラルカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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