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ブルックナー ぶるっくなーJosef Anton Bruckner

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルックナー(Josef Anton Bruckner)
ぶるっくなー
Josef Anton Bruckner
(1824―1896)

オーストリアの作曲家。シューマン以後ほぼとだえていたドイツ・オーストリアの交響曲の伝統を再興し、優れて個性的な発展を成就(じょうじゅ)したブルックナーは、9月4日、オーストリア北東部、リンツにほど近い小村アンスフェルデンの学校長の長男として生まれた。幼少から楽才を示し、11歳になる1835年の春、やはりリンツ近郊のヘルシンクに住む名親のワイスのもとに預けられ、本格的な音楽教育を受けた。12歳で父を亡くした彼は、37年ザンクト・フロリアン修道院聖歌隊に入る。40年リンツの教員養成所に通い、小学校補助教員の免許を得て、翌41年にはボヘミア国境の村、ウィントハークの補助教員となった。シュタイア近郊のクロンシュトルフの勤務を経て、45年ザンクト・フロリアンに補助教員として戻ってきたブルックナーは、やがてオルガン奏者となり、作曲も試みていた。55年末、ブルックナーはふとしたきっかけからリンツ大聖堂オルガン奏者という要職につく。飛び入り参加した試験演奏は、どの応募者よりもはるかに優れていたのである。56年から13年間に及ぶリンツ時代は、オルガン奏者から交響曲作家へと脱皮するための修業時代だった。61年まで続けられたウィーンの音楽理論家ジモン・ゼヒターによる作曲理論の通信教育、それに続くリンツ市立歌劇場指揮者オットー・キツラーのもとでの音楽形式論と管弦楽法の研究、そして63年、キツラー指揮によるワーグナーの歌劇『タンホイザー』のリンツ初演は、38歳のブルックナーに強い衝撃を与えた。こうして彼の交響曲の創作が始まった。まず習作的な交響曲ヘ短調(1863)と交響曲第0番(1864)、そしていよいよ第1番(1866)である。しかしリンツ時代のブルックナーを代表する作品はむしろ、ニ短調(1864)、ホ短調(1866)、ヘ短調(1868)の3曲のミサ曲である。
 ミサ曲ヘ短調の完成直後の1868年10月、ブルックナーはウィーンに進出した。恩師ゼヒターの後任として、ウィーン音楽院の和声学と対位法、さらにオルガン演奏の教授として迎えられたのである。最初の弟子のなかには、後の大ピアニスト、パハマンと大指揮者モットルがいた。また75年以降はウィーン大学でも音楽理論を講じている。ウィーン進出当時のブルックナーは44歳、こうして72歳で世を去るまでの28年間、苦難と栄光の半生をこの音楽の都で過ごすことになる。その間に第2~第9番までの8曲の交響曲のほか、珠玉のようなモテット、大規模な宗教曲『テ・デウム』(1883)、最後の世俗的合唱曲『ヘルゴラント』(1893)などが生み出されるのだが、その創作活動にはある種の周期性がみられる。まず、進出当初はオルガンの名演奏家としての活躍が目だつ。1869年にはナンシーからパリ(ノートル・ダム大聖堂)への演奏旅行、さらに71年にはロンドンの万国博覧会に招かれ、水晶宮(クリスタル・パレス)などで大成功を博した。71~76年は集中的な創作期で、交響曲の第2番から第5番までの4曲が次々に作曲された。その後の3年間は自作品の改訂の時期で、79~87年にふたたび大作が続々と生まれる。弦楽五重奏曲(1879)、交響曲第6番(1881)、第7番(1883)、そして『テ・デウム』を挟んで第8番(1887)が書かれた。85年以降、ブルックナーはふたたび自作の改訂に取り組んでいる。長大であまりに個性的な作品を、当時の聴衆に理解されるようにと、省略し短縮し、多数の変更を加えたのである。最後の交響曲となった第9番の作曲はすでに87年に始まったが、それはついに完成されることなく、96年10月11日、生涯独身のままブルックナーは世を去り、その遺骸(いがい)は彼の心の故郷、ザンクト・フロリアン修道院教会の、大オルガンの真下の地下室に安置された。
 ブルックナーはそのワーグナーへの傾倒から、ワーグナー派とみなされ、ハンスリックやブラームス周辺の伝統派からは敵対視されたが、交響曲の純粋な構築美を目ざした彼の音楽は、むしろベートーベンの交響曲第9番やシューベルトの交響曲の伝統を発展させたものであり、リストやワーグナーの標題性を重視した「新ドイツ派」とは相いれぬものであった。オルガン奏者としての経験に基づいた音響効果や各旋律の対位法的な処理、交響曲にもみられる敬虔(けいけん)な感情表出など、19世紀後半に生きながらも、その芸術的精神は、シュタイアやザンクト・フロリアンの、ゴシックやバロックの教会堂建築にも通じるような深い宗教性に根ざすものなのである。[樋口隆一]
『シェンツェラー著、山田祥一訳『ブルックナー――生涯・作品・伝説』(1983・青土社) ▽張源祥著『ブルックナー・マーラー』(1971・音楽之友社) ▽デルンベルク著、和田旦訳『ブルックナー その生涯と作品』(1967・白水社) ▽レルケ著、神品芳夫訳『ブルックナー 音楽と人間像』(1968・音楽之友社) ▽グレーベ著、天野晶吉訳『アントン・ブルックナー』(1987・芸術現代社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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