アメリカの生化学者。ドイツ生まれ。ミュンヘン工科大学卒業。1936年渡米しコロンビア大学で学位を取得、1954年ハーバード大学教授となり、1978年に退職するまでその地位にあった。コロンビア大学でシェーンハイマーRudolf Schoenheimer(1898―1941)に師事し、同位元素を用いて酢酸が動物のコレステロールの前駆体であることを示した。1946~1948年ごろ、酢酸→イソペンタニルユニット→スクワレン(スクアレン)→ラノステロール→コレステロールというコレステロール生合成経路を明らかにし、またステロイドホルモン(コルチゾン、性ホルモン)がコレステロールから生合成されることを示した。また不飽和脂肪酸の好気的不飽和化、嫌気的不飽和化の詳細な研究、長鎖脂肪酸の研究も重要である。1964年、F・リネンとともに、「コレステロールと脂肪酸の代謝の機構と調節に関する発見」によりノーベル医学生理学賞を受賞した。
[石館三枝子]
ドイツの哲学者。ユダヤ人鉄道官吏の息子として、ルートウィヒスハーフェンに生まれる。ハイデルベルク大学でマックス・ウェーバーに学び、ヤスパースやルカーチと知り合う。とくにルカーチとは、以後、終生のライバルとなる。第一次世界大戦中はスイスに亡命、平和と社会主義のために活躍する。1918年『ユートピアの精神』を刊行。1920年ドイツに戻る。1922年『トーマス・ミュンツァー』を刊行。このため、1933年、ナチスに迫害され、ふたたびスイスに亡命。この間『この時代の遺産』(1935)を執筆。1938年アメリカに移住。モスクワ亡命のルカーチと「表現主義論争」を展開。他方、主著『希望の原理』を書き続ける。第二次世界大戦後、アドルノによってフランクフルト大学へ誘われるが、謝絶。東ドイツのライプツィヒ大学に移る。1954~1955年『希望の原理』初版を刊行。しかし、東ドイツ当局とあわず、1961年に、ベルリンの壁が築かれたとき、西ドイツ旅行中の彼は、そのまま亡命、チュービンゲン大学に移籍。1961年『自然権と人間の尊厳』、1962年『異化』、1963~1964年『チュービンゲン大学哲学序説』、1969年『キリスト教の中の無神論』、1972年『唯物論問題、その歴史と実体』をそれぞれ刊行。彼の思想は、マルクス主義とメシア的救済思想のアマルガムともいうべきものであり、ベンヤミンやアドルノらとの相互影響、さらには、第二次世界大戦後の旧西ドイツの非教条的反体制派、エコロジー派への影響なども記憶されるべきである。
[清水多吉 2015年4月17日]
『片岡啓治・種村季弘他訳『異化』(1971・現代思潮社/船戸満之他訳・1986/新装復刊・1997・白水社)』▽『山下肇・瀬戸鞏吉他訳『希望の原理』全3巻(1982/全6巻・2012、2013・白水社)』▽『池田浩士訳『この時代の遺産』(1982・三一書房/ちくま学芸文庫)』▽『エルンスト・ブロッホ著、竹内豊治訳『哲学の根本問題』(1972・法政大学出版局)』▽『樋口大介・今泉文子訳『トーマス・ミュンツァー――革命の神学者』(1982・国文社)』
オーストリアの小説家。ウィーンのユダヤ系大紡績会社社長の子として生まれる。ウィーン工業大学卒業後、父の会社に入り、30歳で社長となる。実業界でオーストリア経営者連盟の理事、労働裁判所の労資調停委員、失業対策委員などを務め活躍したが、1927年41歳のとき突然これらの活動からいっさい手を引き、ウィーン大学で哲学や数学、心理学を研究するかたわら、長編小説『夢遊の人々』(1931~32)を書き始める。この作品は、19世紀末から第一次世界大戦末までの時代の底流をとらえ、人々の精神的な危機を摘出し、エッセイの形で文明批評をも盛り込んだ破格の小説で、出版されるとたちまち識者の間で高く評価された。38年、ナチスがオーストリアを併合するとすぐリベラルなユダヤ人作家として逮捕されたが、ジョイスなど外国作家たちの努力でイギリスに逃れ、さらに、すでに亡命していたトーマス・マンの招きでアメリカに亡命した。幾多の辛苦を重ねたのち、すでにナチス拘禁下に構想していた『ウェルギリウスの死』を45年に完成した。古代ローマの大詩人の臨終の数時間を描いたこの長編詩は、大詩人に仮託して、ナチスが猛威を振るう時代における芸術や文学の存在に対する深い疑念とその無力についての深い認識を語り、いわば文学を克服する文学となっている。今日この大作は20世紀文学の主要な作品の一つに数えられ、ブロッホはジョイス、カフカと並び称されるまでになった。
ほかに、小市民の罪なき人々の罪を描いた『罪なき人々』(1950)、山村に現れた口達者な放浪者が村人を口車にのせ、殺人まで犯させる遺作『誘惑者』(1953)、ナチス現象を歴史的必然としてとらえ、精神的荒廃からのよみがえりのために宗教にかわるヒューマニズムへの回心を説く未完論集『群衆心理学』(1957)などがある。またエール大学教授を務めながら、51年心臓麻痺(まひ)で亡くなるまで、人権擁護の文筆活動を続けていた。
[入野田眞右]
『川村二郎訳『ウェルギリウスの死』(『世界の文学13』所収・1977・集英社)』
スイス生まれの作曲家。ジュネーブでジャック・ダルクローズに、ブリュッセルでイザイに師事したのち、フランクフルト、ミュンヘンで学ぶ。一時帰国してジュネーブで指揮・教職活動を行ったのち、1916年渡米。クリーブランド(1920~25)、サンフランシスコ(1925~30)で音楽院長を務めた。41年オレゴン州に定住し、52年までバークリーのカリフォルニア大学で夏期講座を担当した。弟子にセッションズらがいる。ユダヤ人であった彼は、チェロと管弦楽のためのヘブライ風ラプソディ『シェロモ』(1915~16)、バイオリンと管弦楽のための『バアル・シェム』(1923)など、ユダヤ的精神を土台に、ユダヤ的題材による作品を多く書いた。
[寺田由美子]
ドイツの哲学者。工業都市ルートウィヒスハーフェンのユダヤ系に生まれ,ライン対岸の古都マンハイムとの文化的二重性の中でW.ハウフやK.マイの物語とカントやヘーゲルの哲学に親しんで育った。哲学,物理学,音楽を専攻,ジンメルとウェーバーの知己を得,ルカーチやベンヤミンと親交,また表現主義に共鳴した。生命体の力の発現と〈客観的ファンタジー〉の関連に関心をもち,若くして主体の〈未意識〉と客体の〈未存在〉を統一的にとらえる哲学を自覚,その確信は宣言の書《ユートピアの精神》(1918),原論《希望の原理》(1959),実践論《世界の実験》(1975)を一貫している。人間の内発的な希望を,アリストテレスのデュナミス概念を媒介にマルクス主義歴史観に結びつけ,それを原理に現実を未完の主体と客体が同一性という究極の自己実現をめざす弁証法的運動過程として一元的にとらえる点に思想的特色がある。ナチス時代は亡命し〈表現主義論争〉ではルカーチに対立した。戦後は東ドイツに帰りライプチヒ大学で哲学を講じたが,ポーランド・ハンガリー事件を機に修正主義と批判され,強制退職,出版活動を禁止された。1961年のベルリンの壁構築に際し滞在中の西ドイツにとどまり,以来チュービンゲン大学教授として主として青年層に多大の影響を残した。ほかに《トーマス・ミュンツァー》(1921),《痕跡》(1930),ワイマール時代論《この時代の遺産》(1935),ヘーゲル論《主体-客体》(1949),《自然権と人間の尊厳》(1961),《哲学の根本問題》(1961),《異化》(1962-64),《キリスト教の中の無神論》(1968),《唯物論の問題》(1972)など著作多数。
執筆者:保坂 一夫
オーストリアのユダヤ系作家。ウィーンの大紡績工業家の子として生まれ,工業大学で繊維工学と数学を学んだのち父の会社をついで社長となり,ウィーン工業連盟理事長などの役職をもつとめた有能な実業家であったが,41歳のときに突然実業界から身をひき,ウィーン大学でふたたび数学,哲学,心理学などを学んだ。仕事をやめると同時に著作活動をはじめた。1932年に完成した小説《夢遊の人々》は,〈1888年,パーゼノウあるいはロマン主義〉〈1903年,エッシュあるいは無政府主義〉〈1918年,ユグノーあるいは即物主義〉の3部にわかれ,15年ずつの間隔をおいた三つの時期,30年にわたってのドイツの中流社会の解体,精神的に不毛となった即物的人間の出現をとおして諸価値の崩壊を描く哲学的小説であるが,全体性と非合理的なものの統一という構成面でジョイスの《ユリシーズ》の影響をうけている。38年ナチスによるオーストリア併合時にゲシュタポに逮捕されたが,ジョイスの尽力で釈放されアメリカに亡命した。この逮捕がきっかけとなってアメリカで書かれた《ウェルギリウスの死》(1945)は,ローマの大詩人の死の直前の18時間をジョイス風の巨大な内的独白で描いている。その後プリンストン大学で講師をつとめながら群衆心理を研究。心臓麻痺で死亡後,狂信者をとりまく世界を描いた小説《誘惑者》などが発見された。
執筆者:早崎 守俊
スイスの作曲家。ベルギー,ドイツ,フランスに学んだのち,ジュネーブ音楽院教授となる。1916年アメリカに渡り,クリーブランドやサンフランシスコの音楽院長を歴任する。E.A.イザイエの高弟だった彼は,演奏家,指揮者としても活躍した。ブロッホはユダヤ民族主義を前面に押し出した作風で成功を収めた数少ない作曲家の一人でもある。《イスラエル交響曲》(1916),《ヘブライ狂詩曲シェロモ》(1916)などでユダヤ教的世界観を示した前・中期を経て,20年代後半からは新古典主義的性格を盛り込んだ作風に移行している。代表作に《無伴奏バイオリン組曲》(1958)がある。
執筆者:平野 昭
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…こうした現象の延長線上で,ヨーロッパ芸術音楽の分野では多くのユダヤ系音楽家が活躍した(トリンベルクJüsskind von Trimberg(12世紀),ロッシSalamone de Rossi(1570?‐1630ころ),メンデルスゾーン,マーラー,シェーンベルク,アルトゥール・ルビンステイン,メニューインら)。またそれと同時に,ユダヤ風の音楽作品も西洋音楽遺産のなかに加わった(M.ブルッフの《コル・ニドライ》,ブロッホの《ヘブライ狂詩曲シェロモ》など)。 アシュケナジムのうち東ヨーロッパ,とくにポーランドやウクライナのユダヤ人たちは,18世紀の半ばに,ユダヤ神秘主義(ハシディズム)を興し,それに伴って,スラブ風なニュアンスに富む即興の母音唱法によるリズミカルな民衆的宗教賛歌ニーグンNiggunとそのダンスを生み出した。…
…たとえば1920~30年代の機能主義は,キッチュに決定的に対立しそれを克服しようと努めた。同じ時代に,あらゆる芸術にはキッチュ的要素があることを見抜いた文学者H.ブロッホの場合にも,キッチュは芸術における〈悪の体系〉と表現された。60年代に,近代合理主義に対する批判が活発になると,人間の非合理性を再評価するきっかけにキッチュが登場した。…
※「ブロッホ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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