デジタル大辞泉
「日持」の意味・読み・例文・類語
ひ‐もち【日持(ち)/日▽保ち】
[名](スル)日数を経ても変質しないこと。「―のいい菓子」「―しない切り花」
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にちじニチヂ【日持】
- 鎌倉中期の日蓮宗の僧侶。日蓮六老僧の一人。号は本応院。甲斐公・蓮華阿闍梨と称す。駿河(静岡県)の人。始め比叡山に学び、のち日蓮に師事。正応元年(一二八八)宗祖の像を武蔵池上本門寺に納め、永仁三年(一二九五)布教のため大陸に渡航。没年未詳。建長二年(一二五〇)生。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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日持
にちじ
(1250―?)
鎌倉後期の日蓮(にちれん)宗の僧。甲斐(かい)公・蓮華阿闍梨(れんげあじゃり)と号する。駿河(するが)国(静岡県)の松野氏の一族に生まれ、日興(にっこう)に導かれて日蓮の弟子となる。駿河国の天台宗四十九院(しじゅうくいん)で信仰上の抗争が起きたとき、日興・日持(にちじ)らが供僧(ぐそう)として申状を提出しており、もとは天台宗の僧であった。日蓮の入滅にあたっては本弟子に選ばれ、後世に六老僧の一人として敬われる。1288年(正応1)には、日浄とともに願主となって東京・池上(いけがみ)本門寺の日蓮木像(国重要文化財)を造立。1295年(永仁3)海外布教を志して渡島(おしま)(北海道)に向かったが、没した所は不明という。
[中尾 尭 2017年9月19日]
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日持 (にちじ)
鎌倉時代の日蓮宗の僧。駿河国松野氏の出身と伝える。生没年不詳。駿河の天台寺院四十九院の住僧であったが,同寺の日興(につこう)に教化されて,日蓮の弟子となり,甲斐公,蓮華阿闍梨(あじやり)と称した。1282年(弘安5)日蓮が本弟子6人(六老僧)を指定したおり,その一人に加えられたが,最初の師日興は,日持を自分に背いたと非難している。のち駿河を離れたらしく,88年(正応1)日蓮の七年忌に,日蓮の肖像を造立して日浄とともに願主として武蔵池上に安置しているところから,このころ武蔵・相模地方にいたと考えられる。こののち,東北地方を経て北海道にいたり,さらに大陸に渡って弘通(ぐづう)したと伝えられ,日持創建と称する寺もあるが,その事跡は未詳である。
執筆者:高木 豊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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日持 にちじ
1250-? 鎌倉時代の僧。
建長2年生まれ。日蓮門下六老僧のひとり。佐渡,身延山などへ日蓮に随従。正応(しょうおう)元年日蓮の七回忌に師の木像を造立し,武蔵(むさし)池上(東京都)の本門寺に安置した。のち海外布教をこころざし,蝦夷(えぞ)地(北海道)をへて大陸にわたったという。駿河(するが)(静岡県)出身。俗姓は松野。通称は甲斐(かい)公,蓮華阿闍梨(れんげあじゃり)。号は本応院。
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日持
にちじ
[生]建長2(1250).駿河
[没]?
鎌倉時代の日蓮宗の僧。六老僧の一人。7歳で天台宗のもとに出家した。日興が日蓮の弟子となったのを機に,日興の弟子に転じたともいい,異説もある。文永7 (1270) 年日蓮の弟子となり,日持と称した。駿河に蓮永寺を創設したが,のち外地に布教する目的で北海道に渡ったともいい,さらにオホーツク海を越えてシベリアに渡航したともいう。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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