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プーランク プーランク Poulenc, Francis

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プーランク
プーランク
Poulenc, Francis

[生]1899.1.7. パリ
[没]1963.1.30. パリ
フランスの作曲家。 1915年から R.ビニェスにピアノを学び,17年に最初の作品『黒人の狂詩曲』を発表。 20年に J.コクトー,E.サティの後援のもとに,G.オーリック,D.ミヨー,A.オネゲルらと「六人組」を結成。

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デジタル大辞泉の解説

プーランク(Francis Poulenc)

[1899~1963]フランスの作曲家。六人組の一人で、フランスの伝統に立脚した音楽を創出。オペラ「テレシアスの乳房」「カルメル派修道女の対話」など。

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百科事典マイペディアの解説

プーランク

フランスの作曲家,ピアノ奏者。母にピアノの手ほどきを受け,幼時から生地パリで舞台芸術に親しむ。15歳から師事したスペインの名ピアノ奏者R.ビニェス〔1875-1943〕を通じ,サティオーリックを知る。
→関連項目オルガンキリスト教音楽シャブリエハープシコードフルニエモンポウランパル

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

プーランク

フランスの作曲家、ピアニスト。オリック、デュレ、オネゲル、ミヨー、タイユフェールとともに「六人組」(Les Six)という作曲家グループを組む。母親も優れたピアニストで、最初の手ほどきは彼女から受け ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

プーランク【Francis Poulenc】

1899‐1963
フランスの作曲家。スペインのピアノ奏者ビニェスRicardo Viñesに師事。詩人コクトー,作曲家サティを師とする,いわゆる〈六人組〉の一人として,フランスの伝統音楽に立脚した単純さや明晰さを理想とする新古典的作風から出発。1924年にバレエ・リュッスによって初演されたバレエ《牝鹿》の成功によって,ヨーロッパ中にその名を知られる。第2次大戦中はパリにとどまり,バリトン歌手ベルナックPierre Bernacの伴奏者を務めるとともに,占領下のレジスタンス運動に音楽を通じて参加し,P.エリュアールやL.アラゴンの詩に作曲した。

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大辞林 第三版の解説

プーランク【Francis Poulenc】

1899~1963) フランスの作曲家。簡素な様式でエスプリに富んだ曲を残した。オペラ「ティレジアスの乳房」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プーランク
ぷーらんく
Francis Poulenc
(1899―1963)

フランスの作曲家。パリ生まれ。5歳で母親からピアノの手ほどきを受ける。15歳からスペインのピアノ奏者、R・ビニェスに師事するとともに、サティ、ミヨー、オネゲルなど多くの音楽家と親しく交わる。1917年、歌曲『黒人の狂詩曲』で作曲家としてデビュー。18~21年兵役に服すが、この期間にもピアノ曲『三つの常動曲』(1918)、『四手ピアノのためのソナタ』(1918)、最初の歌曲集『動物詩集』(1919)などを作曲。21年、彼にオーリック、デュレー、ミヨー、オネゲル、タイユフェールを加えた「6人組」の共作バレエ『エッフェル塔の花嫁花婿』がシャンゼリゼ劇場で初演される。21~24年C・ケクランに師事。24年、ディアギレフの依頼で作曲したバレエ『牝鹿(めじか)』がモンテ・カルロ劇場で初演され、大成功を収める。30年代には、友人の死を契機として宗教的合唱曲を書き始める。第二次世界大戦中は、占領下のパリでエリュアール、アラゴンの詩などへの歌曲の創作を通じてレジスタンス運動に参加。47年、アポリネールの戯曲に基づくオペラ『ティレシアスの乳房』がオペラ・コミック座で上演され好評を博す。48年、バリトン歌手ベルナックとアメリカを訪れ、熱狂的歓迎を受ける。その後の代表作にオペラ『カルメル会修道女の対話』(1956)、コクトー台本による一幕のモノドラマ『人間の声』(1958)などがある。パリに没。
 プーランクは、単純さや明晰(めいせき)さを重んじたサティや、新古典主義者ストラビンスキーなどの影響の下に、真のフランス的伝統に立脚した音楽の創造を目ざした。その音楽は洗練された感性と軽快な機知とユーモアにあふれ、みずみずしい詩的情緒をたたえている。とくに、歌曲の領域ではフォーレたちの伝統を受け継ぎ、また合唱音楽においては宗教的感情や崇高さが加わった独自の境地を打ち立てている。上記以外の主要作品としては、バレエ『模範的な動物たち』(1941)、クラブサンとオーケストラのための『田園の合奏』(1928)、『ミサ曲』(1937)、カンタータ『人間の顔』(1943)、『スターバト・マーテル』(1950)、『グローリア』(1959)などがあり、そのほか室内楽曲、ピアノ曲、歌曲も多い。[寺田兼文]

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