古代ローマの詩人。南イタリアのウェヌシア(現,ベノーザ)に生まれ,ローマで学んだのちに,アテナイに留学した。ここでカエサル暗殺後の内乱に巻き込まれ,共和派のM.J.ブルトゥスの陣に加わって,前42年フィリッピの野戦でカエサル派に敗れた。恩赦を受けてローマに帰ってから詩作を始め,ウェルギリウスと親交を結び,文人保護者マエケナスの知遇を得,のちに皇帝アウグストゥスとも親しくなった。しかし帝室秘書になるようにとの要請は固辞して,権力者からの独立を守った。
出版された作品はすべて現存し,作風から3期に区分される。初期の詩集《エポディ》(詩形による題名)では,アルキロコスにならって,愚劣なものを攻撃し,内乱を絶望的に非難している。ルキリウスの風刺詩を継承した《風刺詩》2巻は,人間の欲望や俗物性を嘲笑する一方に,文学批評や旅行記などもあり,風刺詩というよりむしろ随想詩である。円熟期の《歌章》3巻は,アルカイオス風の抒情詩で,友情,酒,恋,自然,政治,人生などさまざまな主題を称賛的または警告的に歌い,その格調の高さと真摯(しんし)な態度は,完成された技巧および選び抜かれた言葉と相まって,ラテン文学の白眉である。後期の《書簡詩》2巻は,手紙形式の随想詩で,実践哲学的教訓や文学論を内容とする。作詩法や文学の目的を随想詩風に論じた《詩論》も書簡詩である。前17年にはアウグストゥスの主催する〈世紀の祭典〉のために,合唱隊歌《世紀祭の歌》の制作と上演を依頼され,これを機に《歌章》第4巻が生まれた。
生涯の作品を通して流れているのは,高い倫理性とまじめな態度,人生と歴史と世界に対する深い洞察,ローマの現状と将来に対する憂慮,諸悪の根源としての物欲に対する非難などであるが,しかし生来明朗闊達(かつたつ)な彼はいつもユーモアとアイロニーを失わず,人間の弱さに対する同情も忘れなかった。思想的には,一方でエピクロスの徒として,自足と中庸と俗世からの離脱を賢者の徳としながら,他方では逆に国家と政治になみなみならぬ関心を示した。また平和主義者として終生内乱を糾弾し,道徳と秩序の回復を訴えた彼も,〈アウグストゥスの平和〉が実現すると,これを積極的にたたえるようになった。
彼の詩は,高貴な内容と美しいラテン語のゆえに高い評価を得て,早くから教科書に用いられ,模倣者も続出した。《風刺詩》はペルシウスとユウェナリスに継承され,《歌章》はプルデンティウスなどキリスト教の賛美歌作者たちの手本にされた。中世には《風刺詩》が人気を博したが,ペトラルカが《歌章》の真価を再発見してからは,古代抒情詩の代表作として,近世の西欧各国に多くの模倣者を生んだ。《詩論》はアリストテレスの《詩学》とともに作詩法の規範とされ,オーピッツ,ボアロー,ヘルダーなど近代の文学理論家に大きな影響を与えた。
執筆者:中山 恒夫
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古代ローマの詩人。南イタリアのウェヌシアに解放奴隷の子として生まれる。ローマで中等教育を受けてからアテネに渡り、アカデメイアの学園に学んだ。おりからカエサル暗殺後の内乱がギリシアに波及すると、共和政派ブルートゥスの陣営に加わり、軍団司令官の一人としてフィリッポイの野に戦い、アントニウスの軍に敗れた。恩赦を受けてローマに帰ったが、財産を没収され、下級官吏の職を手に入れて生計をたてるかたわら詩作を始め、ウェルギリウス、ワリウスらと親交を結び、彼らの推薦で文人保護者マエケナスの知遇を得た。長い内乱と国民の道徳的退廃を嘆き、政治に絶望していたが、しだいにオクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)の政策に共鳴し、アクティウムの海戦(前31)のころから新体制をたたえ、国民に道徳的覚醒(かくせい)を説くようになった。紀元前17年にアウグストゥスが挙行した「世紀の祭典」には桂冠(けいかん)詩人に選ばれ、合唱歌『世紀祭の歌』の作者となった。皇帝から宮廷秘書に推されたが辞退したと伝えられ、詩人の自由を生涯守り通した。
作品には、アルキロコスの精神をラテン語に生かした反抗と批判の詩集『エポーディー』(詩形の名)と、ルキリウスの伝統を継承する軽妙な『風刺詩』二巻がある。批判の矢は社会の類型を的に文明批評的展開を示し、同時にエピクロス的賢者の知恵による充足者の幸福を説く。アルカイオスをはじめギリシアの叙情詩人たちに範をとる『歌章』四巻が代表作。最高の技巧と精選されたことばによって、神々、アウグストゥス、友人たち、酒、女、田園、人生の移ろいやすさ、死、ローマの平和、ローマ精神など多彩なテーマを歌っている。『書簡詩』二巻は人生哲学や文学の問題を風刺詩に近い手法で扱った随想詩。近世まで作詩法の聖典とされた『詩論』も、独立した一編の書簡詩である。
彼の作品は深い倫理性と格調の高さと完全な技巧のゆえに、中世、近世を通じて読まれ、広く西欧文学に影響を与えた。今日もっとも議論されるのは、体制を賛美する詩における詩人の誠実さの問題と、それらの詩とエピクロス的隠棲(いんせい)を理想とする個人的内容の詩との調和の問題であろう。
[中山恒夫]
『中山恒夫著『詩人ホラーティウスとローマの民衆』(1976・内田老鶴圃新社)』▽『藤井昇訳『歌章』(1973・現代思潮社)』
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前65~前8
古代ローマの大ラテン詩人。アウグストゥス帝の重臣マエケナスの庇護のもとに傑作をつくった。作品に『歌章』『エポディー』『風刺詩集』『書簡詩』がある。
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…いずれも複雑な律格形式を用いた旋舞歌対応形の詩形をもち,神話・伝説を主題とするもの,政治・酒宴を歌うもの,恋の苦しさ・自然の美しさを語るもの,また運動競技の勝利や神々の祝祭をたたえる歌などがあるが,主題に添って神の恩恵や人間の宿命,また生を享けた者すべての抱く深い願望や高遠な理想が語られる。 後世プレイヤードの一人ロンサールなどの近世詩人がオードの典型を仰いだのは,中でもピンダロスの祝勝歌の華麗な措辞と神話的発想の横溢した詩的世界と,アルカイオスやサッフォーの詩形を借りたローマの抒情詩人ホラティウスの《歌集》の,典雅と中庸の徳に徹したたたずまいである。言語も音楽も異なる近代語の詩人たちにとって,古代詩の複雑巧緻な律格形式は模すべきすべもないが,古代のオードの壮大な展望と精神性に比肩しうるものとして,ミルトンの《キリスト誕生の朝に寄せて》が挙げられる。…
…キケロは友人のアッティクス宛などは自筆で書いたが,たいていは書記ティロTiroに口述し,ティロが控えを取っておいたのとキケロの兄弟のクイントゥスやアッティクスがキケロからの来信を保存していたので後世に多くの書簡が残ることになった。ホラティウスは韻文(長短短六脚格)の書簡を残して書簡詩epistulaの伝統を開き,オウィディウスや12世紀の南仏詩人(中世プロバンス語ではbreus,letrasと呼ばれ,教訓的なものはensenhamenといわれ,pistola,epistolaということはまれであった),後世のユスタッシュ・デシャン,クレマン・マロ,ペトラルカ,ジョン・ダン,ポープ,ラ・フォンテーヌ,ボアローらに継承された。18世紀にはボルテールやアンドレ・シェニエにも優れた書簡詩epîtreがある。…
…法治思想の発達したローマではあったが,版権に関する規約はなかった。著者が出版者から稿料をもらったかどうかについては,肯定と否定の両論があるが,詩人ホラティウスは,〈私の作品は海のかなたにまで伝わって名声四方にとどろいているけれども,いっこうに黄金は私のふところにはいってこない〉と嘆き,マルティアリスも,〈私の詩は蛮人の住むブリトンの国でまで歌われていながら,名声は財布と無関係である〉といっていることから推察すると,どんなによく売れても,著者は利益のわけまえにあずからない場合のほうが多かったらしい。ただし同じ書物をだれが出版してもよいことになっていたから,1人の出版者だけが利益を独占することもできなかった。…
…有力者たちは文人保護に乗り出し,その周囲に一種の文学サークルが作られた。特に顕著だったのはアウグストゥス帝の右腕ともいうべきマエケナスのサークルで,ウェルギリウス,ホラティウス,プロペルティウス,ウァリウスVarius,プロティウス・トゥッカPlotius Tuccaなど,ラテン文学を代表する詩人たちがマエケナスの援助を受けて,職業詩人として活躍し,時代精神の形成に貢献した。メッサラのサークルにはティブルスと,リュグダムスLygdamusやスルピキアSulpiciaが属した。…
…共和政末期の混乱は未来に対する悲観論に拍車をかけ,サルスティウスは〈すべて生まれしものは死す。成長せしものは老いる〉と述べ,ホラティウスは内乱と道徳の乱れに国家の終末を予見した。それがゆえにアウグストゥスによる内乱終結と元首政樹立は〈永遠のローマ〉理念の謳歌を生み出すが,ローマ没落観は帝政期にもなお存続した。…
…それゆえいっそう,その混乱を終結させて元首政を樹立したアウグストゥスは秩序の再興者として称揚され,このアウグストゥス治下でローマ理念は最初の高揚期を迎えるのである。リウィウスは,ロムルスが神意によって建設した都市ローマが世界の女王となっていく過程を描き,ウェルギリウスは,最高神ユピテルがローマに領土の境も時の境もない永遠の支配を与えたと歌い,ホラティウスは,不幸からよみがえり,いっそうの高みへと昇るローマの運命をたたえた。そしてローマの支配は,平和や幸福や法を世界にもたらすものとして正当化される。…
※「ホラティウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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