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ポーランド回廊 ポーランドかいろうPolish corridor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポーランド回廊
ポーランドかいろう
Polish corridor

1919年のベルサイユ条約の結果,ドイツからポーランドに割譲された長さ 400km,幅 128kmの細長い地域。この条約によって,内陸国であるポーランドは同回廊を通って,バルト海の港湾都市ダンチヒ (ポーランド名グダニスク) へ出ることができた。 1938年 A.ヒトラーがこの回廊を通過する道路,鉄道の支配権を要求し,ポーランドに拒否されたことが第2次世界大戦の口火となった。戦後はドイツの敗北でこの回廊を含む広大な地域がポーランド領となった。

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デジタル大辞泉の解説

ポーランド‐かいろう〔‐クワイラウ〕【ポーランド回廊】

Polish Corridor》1919年、ベルサイユ条約でドイツからポーランドに割譲された、西プロイセンとポーゼン北部地方の通称。ポーランドにバルト海への出口を与えるため、ドイツ領を分断して設けられた。その後ドイツ・ポーランド間の紛争の地となり、第二次大戦の起因となった。

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百科事典マイペディアの解説

ポーランド回廊【ポーランドかいろう】

第2次大戦前,ドイツ本国と東プロイセンの間に介在したポーランド領。古くポーランド領で,1772年ポーランド分割でプロイセン(ドイツ)が割取,第1次大戦後ベルサイユ条約でポーランドに復帰。

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大辞林 第三版の解説

ポーランドかいろう【ポーランド回廊】

第一次大戦後ベルサイユ条約でポーランドに編入された旧ドイツ領のウィスラ川下流域地方。ポーランドのバルト海への通路となったことによる命名。東プロイセンをドイツ本国から分離する結果となり、1939年ナチスはこの地のドイツ帰属を口実にポーランドに侵入し第二次大戦を起こした。回廊地帯。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ポーランド回廊
ぽーらんどかいろう
Polish Corridor

第一次世界大戦後、ドイツ領からポーランド領に編入された地域のうち、東ポモジェ(西プロイセン)とポズナニ(ポーゼン)地方とをさし、ポーランドの海への通路という意味でつけられた呼称。この地は、古くからポーランドが支配してきたが、第一次・第二次ポーランド分割によってプロイセン領となっていた。1938年10月24日ヒトラーは、回廊を通過して東プロイセンとドイツ本国とを結ぶ、治外法権をもった自動車道路と鉄道の建設を要求してきたが、ポーランド政府はこれを拒否したため、翌年9月1日ドイツのポーランド侵攻が始まり、この地域の問題が第二次世界大戦の発火点となった。[安部一郎]

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