イギリスの物理学者。エジンバラの地主の子として生まれる。1847年エジンバラ大学に入学,50年ケンブリッジ大学に移る。56-60年アバディーン大学マリシャル・カレッジ,60-65年ロンドン大学キングズ・カレッジの物理学教授をつとめ,61年ローヤル・ソサエティ会員となる。65年秋教授を辞して郷里で研究を続けるが,71年春ケンブリッジ大学に創設された実験物理学講座の教授として戻り,74年キャベンディシュ研究所の初代所長に就任した。
彼の才能は,14歳のときエジンバラ王立協会に発表した卵形曲線の作図法やエジンバラ大学教授のJ.D.フォーブスの下で行った色彩学の研究などにより早くから認められていた。彼の研究は古典物理学全域に及んでいるが,その最大の成果は電磁気学を確立したことである。フランスのA.M.アンペール,ドイツのW.E.ウェーバーらが進めてきた遠隔作用の考え方を中心とする電気力学に対して,当時のイギリスにはケンブリッジ大学を中心に別の方法を求めようとする気運があった。それは,W.トムソン(ケルビン)が熱と電気の関係に用いた物理的アナロジーの方法や,M.ファラデーが精力的な実験研究から到達した力線の概念とその近接作用的な場の考え方に現れている。またこのころ熱,光,電気,化学作用など自然の諸力の間の変換で,本質的なある量(エネルギー)が保存されることが明らかにされてきた。このような背景の中でマクスウェルはW.トムソンの示唆によりファラデーの実験的研究を数学的にまとめることから出発した。このとき用いたアナロジーの手法には師であるG.G.ストークスの流体力学の研究成果も役だった。《ファラデーの力線について》(1856),《物理的力線について》(1861-62),《電磁場の動力学理論》(1864)の三つの論文で,今日〈マクスウェルの方程式〉と呼ばれる電磁場の基本方程式を導出し,この中で変位電流という新しい概念を提案して電磁作用が空間を伝搬する可能性を検討し,光が電磁波であることを推論した。これらの成果を集大成した《電磁気学Treatise on Electricity and Magnetism》(1873)は物理学史上の画期を成した。
一方,《土星の環の理論》はケンブリッジ大学の1855年のアダムズ賞を受賞した論文であるが,この中で扱った多数の微粒子系に対する関心から《気体の動力学理論》をはじめとする一連の研究を展開,統計的な手法を使って気体分子の速度分布則(マクスウェル分布)を見いだし,さらにこれを基礎に気体の粘性係数が密度に依存しないことを導き,この係数の値から気体の平均自由行路を算出した。これらの成果は気体分子運動論を基礎づけ,統計力学の成立に重要な役割を果たした。このほかエジンバラ時代から始めた色感に関する一連の研究がある。
執筆者:田中 国昭
CGS電磁単位系の磁束の単位。記号はMx。イギリスの電磁気学者J.C.マクスウェルにちなんで名づけられた。国際単位系のウェーバー(Wb)との関係は,1Wb=108Mx。また磁束密度が1ガウス(G)である場合,磁束に直角方向の1cm2の面積を通る磁束が1Mxとなる。
執筆者:平山 宏之
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1831~79
イギリスの物理学者。ケンブリッジ大学教授。ファラディの考えを数式で表してマクスウェル基礎方程式を導出し,電磁理論を大成し,光の電磁論をつくった。1874年初代キャベンディッシュ研究所長となった。
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…三原色法はその混色方法により,赤・緑・青色光そのものを混合する加色(加法混色)法と,それらの色の補色であるシアン(青緑色),マゼンタ(赤紫色),イェロー(黄色)の色素を混合する減色(減法混色)法とに分類される。 加色法カラー写真はイギリスのJ.C.マクスウェルが初めて写真的に実証した方式(1861)で,まず色フィルター,あるいはモザイクスクリーンなどを用いて,被写体を3色分解して撮影する。例えば色フィルターを用いる3色分解法では,カメラレンズの前に赤,緑,青のフィルターを順次かけて被写体を3回撮影し,被写体の赤・緑・青色成分を3枚の白黒ネガフィルムに記録する。…
…なお,ここで述べたのはただ一つの緩和時間を用いて表せる場合であって,線形緩和でも多くの緩和時間を用いなければ記述できない現象や,線形緩和以外の非線形緩和と呼ばれる現象も多い。 緩和現象という概念は,19世紀の後半,J.C.マクスウェルによって粘弾性体の外力による変形を説明するために導入されたもので,その後1929年,P.デバイによって双極子の誘電緩和理論が発表されるに及んで,緩和現象が自然の非平衡状態を理解するのに基本的であることが認識されるようになった。非平衡系の物理量は,緩和時間と密接な関係にあり,この意味で,緩和現象は,物性物理学の多くの分野で非常に重要な役割を果たしている。…
…この波動説はフレネルらによって整備され,複屈折や偏光なども光を横波とすることによって説明できることがわかった。その後,マクスウェルは,みずからの電磁理論から,光が電磁波であることを予言し,H.R.ヘルツがそれを実験的に証明した。光【田中 一郎】。…
…電磁気学は,いちおう電気技術の発展とは関係をもたずに,それ自身として研究された。ファラデーが場の概念を導入して従来の遠隔作用論を否定した後,J.C.マクスウェルによって電磁気学の基礎方程式(マクスウェルの方程式)が与えられた(1865)。しかし,それで電磁場の理論がすっかり完成したわけではない。…
…力学とともに古典物理学の中心的位置を占める。1860年代にJ.C.マクスウェルにより完成された。電磁気学の中心問題は,電荷や電流が空間に分布しているとき,それらの間にいかなる力が働くかということであるが,それを記述するのに,近接作用の観点から,電場および磁場の概念を用いるところに電磁気学の大きな特徴がある。…
…なお,この誘導起電力の生ずる方向を与える法則は1834年にH.レンツが明らかにしたもので,レンツの法則と呼ばれている。 後にマクスウェルは,場の量である電場Eと磁束密度Bを使って,この関係式を, rotE=-∂B/∂t ……(1)とかき直した。閉回路について成立していたファラデーの電磁誘導の法則は,マクスウェルの式によって空間のいたるところで成り立つ法則に拡張されたわけである。…
…クラウジウスは温度の関数の平均の速さですべての方向に同数ずつ飛行するとし,さらに器壁への衝突数を計算するため衝突数算出の仮定を導入した。 J.C.マクスウェルは初め気体の動力学的理論は誤りだと思っていたという。ニュートン以来の伝統に従って,数学的問題として途中にかってな推測を交えず厳密に計算してみれば妙な答えが出て否定されると考えた。…
…そして1850年,J.B.L.フーコーが,波動説から得られる帰結どおり,水中の光の速さが空気中よりも遅くなることを実験によって明らかにし,波動説に確定的な証拠を与えたのである。
[電磁波としての光]
光が何の波動であるかを予言したのはJ.C.マクスウェルである。彼は,電磁気現象を包括的に記述する基礎方程式,マクスウェルの方程式を提出したが,その最大の特徴は,伝導電流のほかに,磁場を生ずる原因として時間的に変化する電場,すなわち変位電流の概念を導入したことにあった。…
※「マクスウェル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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