イギリスの物理学者。エジンバラに生まれる。8歳のとき母を失い、グレンレーアの領主で弁護士の父に育てられた。1841年エジンバラ・アカデミーに入学、このころから父についてエジンバラの学芸協会や王立協会の会合に出席し、科学への興味を深めた。産業革命の波にのって設立されたこれらの学会では、実業家や法律家、技術者、科学者、芸術家たちが実用的な問題を科学と結び付けて自由な討論を行っていたのである。1847年エジンバラ大学に入学、1850年にはケンブリッジ大学に移り、1854年数学の最終優等試験を次席で卒業、フェローとしてトリニティ・カレッジに残り、水力学と光学の講義を担当した。1856年アバディーン大学物理学教授となり、1860年ロンドンのキングズ・カレッジに転任、ここでは労働者や職人向けの夜間授業も担当し、1865年に大学を離れるまで研究と教育に打ち込んだ。この間マクスウェルは、学生自らが学び成長できる教育として、実験を主体にした講義を進め、また難解で知られたケンブリッジの数学卒業試験に物理像を反映する応用問題を出題した。こうした彼の態度は当時広く受け入れられることはなかった。故郷グレンレーアで研究を続けていた彼は、1871年ケンブリッジ大学の実験物理学教授に招かれ、のちに実験物理学の世界的中心となるキャベンディッシュ研究所の設立を指導、1874年初代所長に就任した。1879年11月5日、48歳にして胃癌(いがん)のため死去した。
1845年のエジンバラ学芸協会での画家ヘイD. R. Hay(1798―1866)の講演から二次曲線に興味をもち、1846年、15歳で「卵形曲線の特質と多焦点曲線について」という処女論文を発表し注目を浴びた。また翌1847年春、叔父に連れられW・ニコルの偏光プリズムの公開実験を見て、光学の研究に手を染めた。学生時代に、偏光が固体の内部応力の決定に使えることを確かめ、その際に生じる特有な色彩を研究。さらにこまや色箱をつくって色彩の知覚と光学理論の研究を行った。
ケンブリッジ時代には先輩のW・トムソン(ケルビン)に手紙を書き、電磁気学の研究も開始した。アンペールやウェーバーらの電気力学における遠隔作用論の不備を認め、トムソンの教示から、電磁気現象を統一的にとらえようとするファラデーの研究に着目、近接作用の立場から研究を行った。1856年「ファラデーの力線について」を発表。ここで「静電気と動電気の関係や電気力と誘導との関係がとらえられなければ電磁気学は成立しない」と指摘した。翌1857年にはトムソンによって大西洋横断ケーブルが敷設されるなど、資本主義経済の発展の下、電気技術が飛躍的に成長する時代のなかで、まさに統一的な理論が要求されていたといえる。1861~1862年にかけて「物理学的力線について」を発表、さらに1864年の「電磁場の動力学的理論」で有名なマクスウェルの基本方程式を導いた。1873年にはこれらの研究を集大成した『電気磁気論』を著し、電磁波が存在しその伝播(でんぱ)速度は光の速度に等しいことを示した。とはいえ、彼の研究手法はきわめて力学的な土台に立脚したもので、その電磁場の概念は、物理的実在ではなく、媒質の特殊な力学的状態とされるなど限界をもってもいた。
一方、1856年アダムス賞に応募するため土星の環(わ)の構造を研究し、1857年同賞を受賞。ここで環は微小粒子で構成されるとし、その安定性を論じたが、これはのちに気体分子運動論の研究につながり、1859年気体分子の速度分布関数を導いた。さらに粘性係数が密度に依存しないことを導き、平均自由行路の概念を導入、1879年にはアンサンブル概念を導入し、ギブスの統計力学への基礎を築いた。
キャベンディッシュ研究所所長としてオームの法則の精密測定を指導し、またキャベンディッシュの業績を検討した。H・A・ローランドを高く評価し、アメリカでの物理学の育成にも貢献した。なお「大西洋電信会社の賛歌」や、時代を風刺した多くの戯歌や詩を残した。
[高橋智子]
イギリスの物理学者。エジンバラの地主の子として生まれる。1847年エジンバラ大学に入学,50年ケンブリッジ大学に移る。56-60年アバディーン大学マリシャル・カレッジ,60-65年ロンドン大学キングズ・カレッジの物理学教授をつとめ,61年ローヤル・ソサエティ会員となる。65年秋教授を辞して郷里で研究を続けるが,71年春ケンブリッジ大学に創設された実験物理学講座の教授として戻り,74年キャベンディシュ研究所の初代所長に就任した。
彼の才能は,14歳のときエジンバラ王立協会に発表した卵形曲線の作図法やエジンバラ大学教授のJ.D.フォーブスの下で行った色彩学の研究などにより早くから認められていた。彼の研究は古典物理学全域に及んでいるが,その最大の成果は電磁気学を確立したことである。フランスのA.M.アンペール,ドイツのW.E.ウェーバーらが進めてきた遠隔作用の考え方を中心とする電気力学に対して,当時のイギリスにはケンブリッジ大学を中心に別の方法を求めようとする気運があった。それは,W.トムソン(ケルビン)が熱と電気の関係に用いた物理的アナロジーの方法や,M.ファラデーが精力的な実験研究から到達した力線の概念とその近接作用的な場の考え方に現れている。またこのころ熱,光,電気,化学作用など自然の諸力の間の変換で,本質的なある量(エネルギー)が保存されることが明らかにされてきた。このような背景の中でマクスウェルはW.トムソンの示唆によりファラデーの実験的研究を数学的にまとめることから出発した。このとき用いたアナロジーの手法には師であるG.G.ストークスの流体力学の研究成果も役だった。《ファラデーの力線について》(1856),《物理的力線について》(1861-62),《電磁場の動力学理論》(1864)の三つの論文で,今日〈マクスウェルの方程式〉と呼ばれる電磁場の基本方程式を導出し,この中で変位電流という新しい概念を提案して電磁作用が空間を伝搬する可能性を検討し,光が電磁波であることを推論した。これらの成果を集大成した《電磁気学Treatise on Electricity and Magnetism》(1873)は物理学史上の画期を成した。
一方,《土星の環の理論》はケンブリッジ大学の1855年のアダムズ賞を受賞した論文であるが,この中で扱った多数の微粒子系に対する関心から《気体の動力学理論》をはじめとする一連の研究を展開,統計的な手法を使って気体分子の速度分布則(マクスウェル分布)を見いだし,さらにこれを基礎に気体の粘性係数が密度に依存しないことを導き,この係数の値から気体の平均自由行路を算出した。これらの成果は気体分子運動論を基礎づけ,統計力学の成立に重要な役割を果たした。このほかエジンバラ時代から始めた色感に関する一連の研究がある。
執筆者:田中 国昭
CGS電磁単位系の磁束の単位。記号はMx。イギリスの電磁気学者J.C.マクスウェルにちなんで名づけられた。国際単位系のウェーバー(Wb)との関係は,1Wb=108Mx。また磁束密度が1ガウス(G)である場合,磁束に直角方向の1cm2の面積を通る磁束が1Mxとなる。
執筆者:平山 宏之
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1831~79
イギリスの物理学者。ケンブリッジ大学教授。ファラディの考えを数式で表してマクスウェル基礎方程式を導出し,電磁理論を大成し,光の電磁論をつくった。1874年初代キャベンディッシュ研究所長となった。
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…三原色法はその混色方法により,赤・緑・青色光そのものを混合する加色(加法混色)法と,それらの色の補色であるシアン(青緑色),マゼンタ(赤紫色),イェロー(黄色)の色素を混合する減色(減法混色)法とに分類される。 加色法カラー写真はイギリスのJ.C.マクスウェルが初めて写真的に実証した方式(1861)で,まず色フィルター,あるいはモザイクスクリーンなどを用いて,被写体を3色分解して撮影する。例えば色フィルターを用いる3色分解法では,カメラレンズの前に赤,緑,青のフィルターを順次かけて被写体を3回撮影し,被写体の赤・緑・青色成分を3枚の白黒ネガフィルムに記録する。…
…なお,ここで述べたのはただ一つの緩和時間を用いて表せる場合であって,線形緩和でも多くの緩和時間を用いなければ記述できない現象や,線形緩和以外の非線形緩和と呼ばれる現象も多い。 緩和現象という概念は,19世紀の後半,J.C.マクスウェルによって粘弾性体の外力による変形を説明するために導入されたもので,その後1929年,P.デバイによって双極子の誘電緩和理論が発表されるに及んで,緩和現象が自然の非平衡状態を理解するのに基本的であることが認識されるようになった。非平衡系の物理量は,緩和時間と密接な関係にあり,この意味で,緩和現象は,物性物理学の多くの分野で非常に重要な役割を果たしている。…
…この波動説はフレネルらによって整備され,複屈折や偏光なども光を横波とすることによって説明できることがわかった。その後,マクスウェルは,みずからの電磁理論から,光が電磁波であることを予言し,H.R.ヘルツがそれを実験的に証明した。光【田中 一郎】。…
…電磁気学は,いちおう電気技術の発展とは関係をもたずに,それ自身として研究された。ファラデーが場の概念を導入して従来の遠隔作用論を否定した後,J.C.マクスウェルによって電磁気学の基礎方程式(マクスウェルの方程式)が与えられた(1865)。しかし,それで電磁場の理論がすっかり完成したわけではない。…
…力学とともに古典物理学の中心的位置を占める。1860年代にJ.C.マクスウェルにより完成された。電磁気学の中心問題は,電荷や電流が空間に分布しているとき,それらの間にいかなる力が働くかということであるが,それを記述するのに,近接作用の観点から,電場および磁場の概念を用いるところに電磁気学の大きな特徴がある。…
…なお,この誘導起電力の生ずる方向を与える法則は1834年にH.レンツが明らかにしたもので,レンツの法則と呼ばれている。 後にマクスウェルは,場の量である電場Eと磁束密度Bを使って,この関係式を, rotE=-∂B/∂t ……(1)とかき直した。閉回路について成立していたファラデーの電磁誘導の法則は,マクスウェルの式によって空間のいたるところで成り立つ法則に拡張されたわけである。…
…クラウジウスは温度の関数の平均の速さですべての方向に同数ずつ飛行するとし,さらに器壁への衝突数を計算するため衝突数算出の仮定を導入した。 J.C.マクスウェルは初め気体の動力学的理論は誤りだと思っていたという。ニュートン以来の伝統に従って,数学的問題として途中にかってな推測を交えず厳密に計算してみれば妙な答えが出て否定されると考えた。…
…そして1850年,J.B.L.フーコーが,波動説から得られる帰結どおり,水中の光の速さが空気中よりも遅くなることを実験によって明らかにし,波動説に確定的な証拠を与えたのである。
[電磁波としての光]
光が何の波動であるかを予言したのはJ.C.マクスウェルである。彼は,電磁気現象を包括的に記述する基礎方程式,マクスウェルの方程式を提出したが,その最大の特徴は,伝導電流のほかに,磁場を生ずる原因として時間的に変化する電場,すなわち変位電流の概念を導入したことにあった。…
※「マクスウェル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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