ミュージカル映画(読み)みゅーじかるえいが(英語表記)musical film

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカル映画
みゅーじかるえいが
musical film

映画の一ジャンルで、歌や踊りを中心にストーリーが展開するものをいう。舞台ミュージカルからの影響も大きく、主演俳優の歌唱力や踊りの魅力とともに、作詞・作曲者や振付者が大きな役割を果たす点など、一般の劇映画とは異なる要素も多い。

 1927年の『ジャズ・シンガー』(パート・トーキー)の成功によって、映画は本格的なトーキー時代を迎え、音楽が重要な表現手段となり、歌や踊りを中心とした映画が盛んに製作されるようになった。フランスでは『ル・ミリオン』(1931)、ドイツでは『会議は踊る』(1931)など、音楽の魅力を十二分に取り入れた多くの作品が各国で発表された。なかでもハリウッド映画は、『ラヴ・パレィド』(1929)や『ブロードウェイ・メロディ』(1929)など、オペレッタやレビューといったステージ・ミュージカルの形式を受け継ぎながら、しだいにミュージカル映画という独自のジャンルを築き上げていった。ことに1930年代から1940年代にかけて、一方で、『四十二番街』(1933)や『ゴールド・ディガース』(1933)など、バズビー・バークリーBusby Berkeley(1895―1976)の構成演出によるミュージカル場面で豪華絢爛(けんらん)な視覚的イメージのスタイルが生み出され、また他方で、『コンチネンタル』(1934)や『トップ・ハット』(1935)など、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースGinger Rogers(1911―1995)の歌と踊りの名コンビによる自由でリズム感にあふれたスタイルが生まれるなど、ミュージカル映画はより洗練されていった。そして、ジュディ・ガーランドをはじめ多くのミュージカル・スターが出現し、『オズの魔法使』(1939)など数々の名作が生み出された。

 第二次世界大戦後、映画の色彩化と大型化によって、ミュージカル映画もその恩恵を受けることになるが、この時期、プロデューサーのアーサー・フリードArthur Freed(1894―1973)と、ダンサーであり振付者のジーン・ケリーGene Kelly(1912―1996)によって、MGMミュージカルが黄金時代を迎え、『踊る大紐育(ニューヨーク)』(1949)、『巴里(パリ)のアメリカ人』(1951)、『雨に唄(うた)えば』(1952)などの名作が次々と生み出され、スタンリー・ドーネンStanley Donen(1924―2019)、ビンセント・ミネリといったミュージカル映画に巧みな映画監督も登場した。しかし、1950年代なかばになると、テレビとの競合によって観客数が激減し始め、ミュージカル映画の製作も減少していった。ブロードウェーのヒット・ミュージカルの大型画面による映画化『オクラホマ!』(1955)、『王様と私』(1956)、『南太平洋』(1958)、『ウェスト・サイド物語』(1961)、『マイ・フェア・レディ』(1964)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)などの優れた作品もつくられたが、その衰退は否定しようもなかった。

 しかしその一方で、フランスでは『シェルブールの雨傘』(1964)のような会話まですべて歌で運ぶ新しい試みが登場し、またアメリカでも優れた正統派ミュージカルであるライザ・ミネリ主演の『キャバレー』(1972)、ロック・ミュージカルの『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)や『ヘアー』(1979)などが製作された。その後、ショー・ビジネスの世界を背景にした『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)や『オール・ザット・ジャズ』(1979)などで新たな相貌(そうぼう)をみせ始めたミュージカル映画は、1980年代にはオペラ映画『カルメン』(1983)や自伝映画『バード』(1988)などの優れた作品を生み出し、またミュージカル・シーンを象徴的に用いた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)のような作品も製作された。そして、1990年代にはこれまで未知だったインドのミュージカル映画が知られるようになり、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)のような娯楽作品が世界の観客を魅了した。

 ハリウッド映画の凋落(ちょうらく)とともにジャンルとしてのミュージカル映画は衰退したといわれたが、2000年代に入ると復興の兆しがみえ始めた。過去の絢爛な時代を舞台にした『ムーラン・ルージュ』(2001)や『シカゴ』(2002)、ショウビジネスを風刺した『プロデューサーズ』(2005)、オペラ「ラ・ボエーム」を下敷きにして現代の若者たちの夢や挫折を描いた『レント』(2005)、1960年代の若者たちの夢を描いた『ドリーム・ガールズ』(2006)や『ヘアスプレー』(2007)などの作品が製作され、またフェデリコ・フェリーニ監督の『8½』(1963)をミュージカル化した『ナイン』(2009)のような作品も生み出されている。その多くは舞台ミュージカルの映画化であるが、若者たちの夢と現実、愛と不安などの世界を描き出している。伝統を受け継ぎながら時代とともにミュージカル映画は変貌(へんぼう)してきており、その新たな可能性を今日の映画の多様な表情のなかで模索しているように思われる。

[村山匡一郎]

『柳生すみまろ著『ミュージカル映画――フィルム・アートシアター』(1975・芳賀書店)』『児玉数夫著『懐しのハリウッドミュージカル黄金時代――映画アドでみるアメリカ・ミュージカル映画の世界』(1985・国書刊行会)』『スタンリー・グリーン著、村林典子訳『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』(1995・音楽之友社)』『喜志哲雄著『ミュージカルが《最高》であった頃』(2006・晶文社)』『小山内伸著『進化するミュージカル』(2007・論創社)』『児玉数夫著『娯楽映画の世界 ミュージカル』(社会思想社・現代教養文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカル映画
ミュージカルえいが

映画のジャンルで音楽や踊りに重点をおいたもの。トーキーの到来とともに欧米映画は映像と音楽の創造的結合を追究し,『会議は踊る』 (1931) などのオペレッタ映画が生れた。しかし主流は舞台でのミュージカルの発展と呼応したアメリカ映画にあり,1930年代には『ゴールド・ディガーズ 1936』などのショー場面で群舞を真上から撮影するなどの自由なショー空間と映像美を展開し,33~39年に F.アステアと G.ロジャーズのコンビが,踊るミュージカルの時代を画した。 50年代には S.ドーネン,V.ミネリ,G.ケリーのミュージカル舞台出身者が名制作者アーサー・フリードのもとで MGMのミュージカル映画の黄金時代を築いた。大型スクリーン時代にはブロードウェー・ミュージカルとの結びつきが強まったが,61年の『ウエスト・サイド物語』は「街に出たミュージカル」の時代をつくった。

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世界大百科事典 第2版 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカルえいが【ミュージカル映画 musical film】

西部劇やギャング映画などと並ぶハリウッドの主要なジャンルで,舞台のミュージカルの形式にならって,歌と踊りを中心にしてそれをドラマと一体化した映画である。〈ムービー・ミュージカルmovie musical〉あるいは〈スクリーン・ミュージカルscreen musical〉とも呼ぶが,一般には舞台のミュージカルと区別せずに単に〈ミュージカルmusical〉と呼ぶ場合も多い。
[ミュージカル映画の誕生]
 1920年代の初めにレコードを通じて全米のアイドルとなっていたアル・ジョルスンAl Jolson(1886‐1950)が,ワーナー・ブラザースの実験的なサウンド短編《エープリル・シャワーズ》(1926)につづく《ジャズ・シンガー》(1927)で《マイ・マミー》や《ブルー・スカイ》を歌ったとき,〈トーキー映画〉と〈ミュージカル映画〉が同時に誕生した。

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世界大百科事典内のミュージカル映画の言及

【MGM】より

…ウォール街の金融資本と結びついて黄金時代を迎えたハリウッドで,MGMは〈芸術のための芸術〉というモットーで飾ったほえるライオンをトレードマークとし,20年代初めに前身のメトロ社が,ルドルフ・バレンティノ主演の諸作によって基礎をつくった〈スターシステム〉を伝統に,グレタ・ガルボ,クラーク・ゲーブル,グロリア・スワンソン,ロバート・テーラー等々,〈空の星より多いスター〉を誇り,ひたすら〈健全な娯楽映画〉の製作を目ざした。とくに〈女性の撮影所〉と呼ばれたほど女性観客を重視し(その記念碑的代表作が《風と共に去りぬ》1939),また,《ブロードウェー・メロディ》に始まり《巨星ジーグフェルド》(1935),《オズの魔法使》(1939)を経て,アーサー・フリード製作の《踊る大紐育》(1949),《巴里のアメリカ人》(1951),《雨に唄えば》(1952),《バンド・ワゴン》(1953),《恋の手ほどき》(1958)に至るミュージカル映画を特色の一つにして発展した。30年代と40年代前半が最盛期であったが,観客の減少による不況期には,タルバーグ亡きあと42年に製作担当副社長になったドーリ・シャリー(1905‐80)が低額予算と合理主義による製作方針で腕をふるった。…

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