ミュージカル映画(読み)ミュージカルえいが(その他表記)musical film

改訂新版 世界大百科事典 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカル映画 (ミュージカルえいが)
musical film

西部劇やギャング映画などと並ぶハリウッドの主要なジャンルで,舞台のミュージカルの形式にならって,歌と踊りを中心にしてそれをドラマと一体化した映画である。〈ムービー・ミュージカルmovie musical〉あるいは〈スクリーン・ミュージカルscreen musical〉とも呼ぶが,一般には舞台のミュージカルと区別せずに単に〈ミュージカルmusical〉と呼ぶ場合も多い。

1920年代の初めにレコードを通じて全米のアイドルとなっていたアル・ジョルスンAl Jolson(1886-1950)が,ワーナー・ブラザースの実験的なサウンド短編《エープリル・シャワーズ》(1926)につづく《ジャズ・シンガー》(1927)で《マイ・マミー》や《ブルー・スカイ》を歌ったとき,〈トーキー映画〉と〈ミュージカル映画〉が同時に誕生した。その後,ミュージカル映画はハリウッドの各社で次々につくられたが,そのなかで,MGMのアービングタルバーグが2人の若いソング・ライター,すなわち作詞家のアーサー・フリード(1894-1973)と作曲家のナシオ・ハーブ・ブラウン(1896-1964)のコンビを起用してオリジナル・ナンバーを書かせ,ハリー・ボーモント監督により〈100%オール・トーキング,100%オール・シンギング,100%オール・ダンシング〉といううたい文句で製作してアカデミー作品賞を受賞した《ブロードウェイ・メロディー》(1929)が,初期のミュージカル映画の原型とされる(のち〈MGMミュージカル〉のシンボルの一つにすらなった名曲《雨に唄えば》もこの作品のナンバーの一つであった)。この成功に刺激されて,ワーナー・ブラザースの《ブロードウェイの黄金時代》(1929),ユニバーサルの《キング・オヴ・ジャズ》(1930),フォックスの《フォックス・ムービートン・フォリーズ》(1930),パラマウントの《パラマウント・オン・パレード》(1930)など,〈バックステージもの〉(舞台裏を描いたミュージカル)やレビュー形式のミュージカル映画が数多くつくられ,ひたすら華麗に見せる現実逃避的な内容は大同小異ではあったが,不況下の観客に夢をあたえた。

しかし,舞台のレビューをフィルムにうつした程度のミュージカル映画は観客をとらえつづけることができず,製作本数は1930年の70本から早くも翌31年には10本足らずに激減する退潮を示した。そのなかにあって,キング・ビダー(ビドア)監督のオール・ニグロ・キャストによる《ハレルヤ》(1929),エルンスト・ルビッチ監督で,モーリス・シュバリエとジャネット・マクドナルドのコンビによる《ラヴ・パレィド》(1930),同じコンビでルーベン・マムーリアン監督の《今晩は愛して頂戴ナ》(1932)が〈音〉の処理をめぐるトーキーの技法とともに,ミュージカル映画のスタイルそのものを前進させた。

 そしてワーナー・ブラザースでバスビー・バークリー(バークレイ)の振付による《四十二番街》(1934)が,奔放なカメラワークによって音楽と視覚的イメージを華麗に結びつけ,〈フィルム・レビュー〉とか〈シネ・オペレッタ〉と呼ばれるものとは一線を画する新しいスタイルをつくりあげ,続いて〈ジャズ・ビート〉を持ち込んでタップ・ダンスを踊りの基礎にした《ゴールド・ディガース》(1933),《フットライト・パレード》(1933)によってバークリーならではの特色を示した。一方,RKOのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズGinger Rogers(1911-95)のコンビが,《空中レヴュー時代》(1933)でデビューし,《コンチネンタル》(1934),《トップ・ハット》(1935),《有頂天時代》(1936),《踊らん哉》(1937)等々でジョージ・ガーシュウィン,コール・ポーター,ジェローム・カーン,アービング・バーリンの音楽に乗った〈キャリオカ〉と呼ばれる踊りとともに人気を博した。踊子たちの群舞を大俯瞰で万華鏡のような華麗なイメージで見せたバークリーの振付と,それとは逆に,〈トリック〉によらず踊る人間の生の姿そのものを見せるアステアの振付と踊りが,30年代から40年代にかけてのハリウッド・ミュージカルの二つの基本的なスタイルを象徴するものであった。そして,パラマウントはビング・クロスビー,ユニバーサルはディアナ・ダービン,20世紀フォックスはアリス・フェイとベティ・グレーブルBetty Grable(1916-73)といったぐあいに各社が〈ミュージカル・スター〉を売り出し,さまざまなミュージカル映画を競作した。なかでもMGMは多くの有能な人材をかかえ,《ブロードウェイ・メロディー》シリーズ(1936,38,40)のような特徴あるスタイルの作品をつくり,そのシリーズの中の1本《踊る不夜城》(原題は《The Broadway Melody of 1938》)に15歳で出演したジュディ・ガーランドは,続く最初の主演作品《オズの魔法使》(1939)で,アカデミー特別賞を受賞し,その後15年間,ハリウッド最大のミュージカル・スターとして君臨することになった。

 レビュー王といわれた大プロデューサー,フローレンツ・ジーグフェルドの半生を多彩なスターによるショー・ナンバーとともに描いた《巨星ジーグフェルド》(1936)からはじまって,とくに40年代には,ジェームス・キャグニーがブロードウェーの大立者ジョージ・M.コーハンを演じた《ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー》(1942),ラリー・パークスがアル・ジョルスンを演じた《ジョルスン物語》(1947),ケーリー・グラントがコール・ポーターを演じた《夜も昼も》(1946)など〈ショービジネス〉の世界の芸人を主人公にした伝記的なミュージカル映画がつくられ,その流れは50年代にもドリス・デイが演じたルース・エッティングの伝記映画《情欲の悪魔》(1955)や,ジェームズ・スチュアートが演じたグレン・ミラーの伝記映画《グレン・ミラー物語》(1956)等々に受け継がれた。また戦時には,ミュージカル映画は逃避主義を代表する一つの〈必需品〉となって,ジンジャー・ロジャーズ,リタ・ヘイワース,ベティ・ハットン,ベティ・グレーブル,グロリア・ジーンなどが踊りと歌で暗い庶民生活に夢をあたえ,孤独な兵士たちのホームシックを慰め,そこから,〈踊る脚線美〉でGIを熱狂させたベティ・グレーブルを筆頭に〈ピンナップ・ガール〉と呼ばれる新しいスターも誕生した。

1940年代後半から50年代前半にかけては,〈MGMミュージカル〉の黄金時代で,プロデューサーのアーサー・フリードを中心に,フレッド・アステア,ジュディ・ガーランド,ジーン・ケリーGene Kelley(1912-96),シド・チャリシー,レスリー・キャロンといったスター,ベティ・コムデン,アドルフ・グリーンのコンビの台本作者,ビンセント・ミネリVincente Minnelli(1913-86),スタンリー・ドーネンStanley Donen(1924- )といった監督など,豊富な人材を契約者としてかかえ,《若草の頃》(1944),《踊る大紐育》(1949),《巴里のアメリカ人》(1951),《雨に唄えば》(1951),《バンド・ワゴン》(1953),《いつも上天気》(1955)など数々の名作を生み出した。これらの名場面はのち《ザッツ・エンタテインメント》(1974)にハイライト集の形で収録されている。

 ミュージカル映画は,色彩化と大型化によって技術的に新生面を開いたものの,50年代半ばにはテレビに観客をうばわれて人気を失いはじめ,さらに製作費の高騰によって本数が減少して黄金時代を終えることになる。そして形式的には〈象皮病のように肥大〉化し,内容的には〈栄養失調〉化していることが指摘された《オクラホマ》(1955),《回転木馬》(1956),《王様と私》(1956),《パジャマ・ゲーム》(1957),《南太平洋》(1958)などの舞台でのヒットの映画化作品が,映画としての独創性をもたぬまま,〈撮影されたブロードウェーのヒット・ミュージカル〉としてつくられる。そのなかから,例外的に大ヒットした《ウェスト・サイド物語》(1961)が,ブロードウェー・ミュージカルの大型映画化ブームを呼ぶことになるが,ナタリー・ウッド主演の《ジプシー》(1962)やオードリー・ヘップバーン主演の《マイ・フェア・レディ》(1964)は,歌や踊りとは縁のないスターを起用して,歌はプロの歌手の歌をダビングし,踊りはプロのダンサーが代わって踊るという,ステージのオリジナルの迫力と魅力をまったく欠くミュージカル映画であった。そのなかでは,《メリー・ポピンズ》(1964)につづく,本格的に歌って踊れるジュリー・アンドリュースJulie Andrews(1935- )主演のブロードウェー・ミュージカルの70ミリ映画化《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)が,業界で〈サウンド・オブ・マネー〉と呼ばれたほどの記録的ヒットを飛ばしたが,ミュージカル映画というよりは家族向きの〈音楽映画〉と呼ぶべき作品で,本来のミュージカル映画というジャンルに寄与するところは少なく,むしろ無策なハリウッドに悪影響を残したともいわれる。ワーナー・ブラザース=セブン・アーツの《キャメロット》(1967),20世紀フォックスの《ドリトル先生不思議な旅》(1967),コロムビアの《ファニー・ガール》(1968),MGMの《チップス先生さようなら》(1969),パラマウントの《ペンチャー・ワゴン》(1969)など,《サウンド・オブ・ミュージック》の成功に追随しようとした〈大作〉はいずれも失敗し,各社に損害を与えた。そして,ミュージカル映画はもはやテレビ面画に生き残るのみとさえいわれた不毛のときに,ブロードウェーの演出家で振付師のボブ・フォッシーBob Fosse(1927-87)がジュディ・ガーランドとビンセント・ミネリの娘のライザ・ミネリLiza Minnelli(1946- )を起用して映画化した《キャバレー》(1972)は,まともな題材をまともに描いた70年代の作品としてミュージカル映画復活のきざしと評された。しかし,その後は,フォッシー監督の自伝的な作品《オール・ザット・ジャズ》(1979)やミロス・フォアマン監督の《ヘアー》(1979)のような話題作が生まれたものの,本来の〈夢をあたえる〉エンタテインメントとしてのミュージカル映画は確実に衰弱しつつある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカル映画
みゅーじかるえいが
musical film

映画の一ジャンルで、歌や踊りを中心にストーリーが展開するものをいう。舞台のミュージカルからの影響も大きく、主演俳優の歌唱力や踊りの魅力とともに、作詞・作曲者や振付者が大きな役割を果たす点など、一般の劇映画とは異なる要素も多い。

 1927年の『ジャズ・シンガー』(パート・トーキー)の成功によって、映画は本格的なトーキー時代を迎え、音楽が重要な表現手段となり、歌や踊りを中心とした映画が盛んに製作されるようになった。フランスでは『ル・ミリオン』(1931)、ドイツでは『会議は踊る』(1931)など、音楽の魅力を十二分に取り入れた多くの作品が各国で発表された。なかでもハリウッド映画は、『ラヴ・パレィド』(1929)や『ブロードウェイ・メロディ』(1929)など、オペレッタやレビューといったステージ・ミュージカルの形式を受け継ぎながら、しだいにミュージカル映画という独自のジャンルを築き上げていった。ことに1930年代から1940年代にかけて、一方で、『四十二番街』(1933)や『ゴールド・ディガース』(1933)など、バズビー・バークリーBusby Berkeley(1895―1976)の構成・演出によるミュージカル場面で豪華絢爛(けんらん)な視覚的イメージのスタイルが生み出され、また他方で、『コンチネンタル』(1934)や『トップ・ハット』(1935)など、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースGinger Rogers(1911―1995)の歌と踊りの名コンビによる自由でリズム感にあふれたスタイルが生まれるなど、ミュージカル映画はより洗練されていった。そして、ジュディ・ガーランドをはじめ多くのミュージカル・スターが出現し、『オズの魔法使』(1939)など数々の名作が生み出された。

 第二次世界大戦後、映画の色彩化と大型化によって、ミュージカル映画もその恩恵を受けることになるが、この時期、プロデューサーのアーサー・フリードArthur Freed(1894―1973)と、ダンサーであり振付者のジーン・ケリーGene Kelly(1912―1996)によって、MGMミュージカルが黄金時代を迎え、『踊る大紐育(ニューヨーク)』(1949)、『巴里(パリ)のアメリカ人』(1951)、『雨に唄(うた)えば』(1952)などの名作が次々と生み出され、スタンリー・ドーネンStanley Donen(1924―2019)、ビンセント・ミネリといったミュージカル映画に巧みな映画監督も登場した。しかし、1950年代なかばになると、テレビとの競合によって観客数が激減し始め、ミュージカル映画の製作も減少していった。ブロードウェーのヒット・ミュージカルの大型画面による映画化『オクラホマ!』(1955)、『王様と私』(1956)、『南太平洋』(1958)、『ウェスト・サイド物語』(1961)、『マイ・フェア・レディ』(1964)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)などの優れた作品もつくられたが、その衰退は否定しようもなかった。

 しかしその一方で、フランスでは『シェルブールの雨傘』(1964)のような会話まですべて歌で運ぶ新しい試みが登場し、またアメリカでも優れた正統派ミュージカルであるライザ・ミネリ主演の『キャバレー』(1972)、ロック・ミュージカルの『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)や『ヘアー』(1979)などが製作された。その後、ショー・ビジネスの世界を背景にした『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)や『オール・ザット・ジャズ』(1979)などで新たな相貌(そうぼう)をみせ始めたミュージカル映画は、1980年代にはオペラ映画『カルメン』(1983)や自伝映画『バード』(1988)などの優れた作品を生み出し、またミュージカル・シーンを象徴的に用いた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)のような作品も製作された。そして、1990年代にはこれまで未知だったインドのミュージカル映画が知られるようになり、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)のような娯楽作品が世界の観客を魅了した。

 ハリウッド映画の凋落(ちょうらく)とともにジャンルとしてのミュージカル映画は衰退したといわれたが、2000年代に入ると復興の兆しがみえ始めた。過去の絢爛な時代を舞台にした『ムーラン・ルージュ』(2001)や『シカゴ』(2002)、ショウビジネスを風刺した『プロデューサーズ』(2005)、オペラ「ラ・ボエーム」を下敷きにして現代の若者たちの夢や挫折を描いた『レント』(2005)、1960年代の若者たちの夢を描いた『ドリーム・ガールズ』(2006)や『ヘアスプレー』(2007)などの作品が製作され、またフェデリコ・フェリーニ監督の『8½』(1963)をミュージカル化した『ナイン』(2009)のような作品も生み出されている。その多くは舞台ミュージカルの映画化であるが、若者たちの夢と現実、愛と不安などの世界を描き出している。伝統を受け継ぎながら時代とともにミュージカル映画は変貌(へんぼう)してきており、その新たな可能性を今日の映画の多様な表情のなかで模索しているように思われる。

[村山匡一郎]

『柳生すみまろ著『ミュージカル映画――フィルム・アートシアター』(1975・芳賀書店)』『児玉数夫著『懐しのハリウッドミュージカル黄金時代――映画アドでみるアメリカ・ミュージカル映画の世界』(1985・国書刊行会)』『スタンリー・グリーン著、村林典子訳『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』(1995・音楽之友社)』『喜志哲雄著『ミュージカルが《最高》であった頃』(2006・晶文社)』『小山内伸著『進化するミュージカル』(2007・論創社)』『児玉数夫著『娯楽映画の世界 ミュージカル』(社会思想社・現代教養文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュージカル映画」の意味・わかりやすい解説

ミュージカル映画
ミュージカルえいが

映画のジャンルで音楽や踊りに重点をおいたもの。トーキーの到来とともに欧米映画は映像と音楽の創造的結合を追究し,『会議は踊る』 (1931) などのオペレッタ映画が生れた。しかし主流は舞台でのミュージカルの発展と呼応したアメリカ映画にあり,1930年代には『ゴールド・ディガーズ 1936』などのショー場面で群舞を真上から撮影するなどの自由なショー空間と映像美を展開し,33~39年に F.アステアと G.ロジャーズのコンビが,踊るミュージカルの時代を画した。 50年代には S.ドーネン,V.ミネリ,G.ケリーのミュージカル舞台出身者が名制作者アーサー・フリードのもとで MGMのミュージカル映画の黄金時代を築いた。大型スクリーン時代にはブロードウェー・ミュージカルとの結びつきが強まったが,61年の『ウエスト・サイド物語』は「街に出たミュージカル」の時代をつくった。

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世界大百科事典(旧版)内のミュージカル映画の言及

【MGM】より

…ウォール街の金融資本と結びついて黄金時代を迎えたハリウッドで,MGMは〈芸術のための芸術〉というモットーで飾ったほえるライオンをトレードマークとし,20年代初めに前身のメトロ社が,ルドルフ・バレンティノ主演の諸作によって基礎をつくった〈スターシステム〉を伝統に,グレタ・ガルボ,クラーク・ゲーブル,グロリア・スワンソン,ロバート・テーラー等々,〈空の星より多いスター〉を誇り,ひたすら〈健全な娯楽映画〉の製作を目ざした。とくに〈女性の撮影所〉と呼ばれたほど女性観客を重視し(その記念碑的代表作が《風と共に去りぬ》1939),また,《ブロードウェー・メロディ》に始まり《巨星ジーグフェルド》(1935),《オズの魔法使》(1939)を経て,アーサー・フリード製作の《踊る大紐育》(1949),《巴里のアメリカ人》(1951),《雨に唄えば》(1952),《バンド・ワゴン》(1953),《恋の手ほどき》(1958)に至るミュージカル映画を特色の一つにして発展した。30年代と40年代前半が最盛期であったが,観客の減少による不況期には,タルバーグ亡きあと42年に製作担当副社長になったドーリ・シャリー(1905‐80)が低額予算と合理主義による製作方針で腕をふるった。…

※「ミュージカル映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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