20世紀初頭にフランスでおこった絵画の革新運動。野獣派と訳され、フォーブとも称される。強烈な色彩を並置する大胆な手法で色彩の自律性を強調し、絵画上の新たな個性解放を目ざした。フォーブの画家たちは、明確な理論的前提に基づいて結び付いていたわけでもなく、グループとしてのマニフェスト(宣言)を発表することもなかった。彼らは交友や接触を通じて、類似した意図をもつ画家として、しだいに一つのまとまりを形成していった。したがって、その範囲はときにあいまいになることもあるが、基本的には起源を異にする次の三つの小グループから成り立っていた。
第一は、マチス、マルケ、マンギャン、カモワンといったエコール・デ・ボザール(国立美術学校)でギュスターブ・モローのアトリエに学んだ画家たち、第二は、パリ近郊のシャトゥーに住み、制作をともにしたドランやブラマンクのいわゆるシャトゥー派、第三は、やや遅れて登場したフリエス、デュフィ、ブラックといったル・アーブル出身の画家たちである。さらにこれとは別に、オランダ生まれのバン・ドンゲンがフォーブの一員と目されるようになる。
彼らはアンデパンダン展やベルト・ウェイユ画廊、そして1903年に創設されたサロン・ドートンヌを発表の場としてしだいに一つのグループに統合していくが、05年のアンデパンダン展で、ブラックを除いて未来のフォーブの画家たちの作品がほぼ一堂に会することになった。そして同年秋のサロン・ドートンヌの第七室に、主催者の配慮により、マチス、ドラン、マンギャン、マルケ、カモワン、ブラマンクらの生々しい色彩の作品が展示され、この部屋がフォービスムの実質的なマニフェストとなった。このとき、批評家ルイ・ボークセルは『ジル・ブラス』紙上(同年10月17日号)で会場のようすを紹介しながら、第七室の中央に設置されたマルクの古典的な子供の彫刻をさしてこう書いた。「フォーブ(野獣)に囲まれたドナテッロ……」と。これはけっして嘲笑(ちょうしょう)を意図して発せられたことばではないが、いずれにせよなかば偶然の結果として、「フォーブ」の名称が生まれ、運動としてのフォービスムが始まった。
フォーブのスタイルは、印象派以後の種々の傾向、とりわけ、ゴッホの色彩表現と激しい感情の表出、ゴーギャンの装飾的な色面、さらにはシニャックなど新印象主義の鮮やかなモザイク状の色彩単位による構成などから大きな影響を受けている。またセザンヌの芸術は、1907年に決定的に再評価され、フォービスムの終焉(しゅうえん)に大きく作用するが、それでもなお、その影響はフォービスムの出発点から重要な要素の一つであった。フォーブの画家のなかでは最年長のマチスが中心的な存在であり、さまざまな形でグループをリードしたが、しかし最初に真のフォーブ的スタイルで作品を制作したのは、おそらくドランであった。主題の点ではフォーブの絵の多くは印象主義的伝統に連なり、現実世界の喜びを率直に歌い上げている。
フォービスムの運動は1905年から07~08年ころまでわずか数年続いたにすぎず、その後この派の仲間の多くは、禁欲的な色調による構成的方向に転じたり、伝統的な古典的世界へと復帰した。
[大森達次]
『レナータ・ネグリ解説、吉川逸治訳『現代の絵画11 マティスとフォヴィスム』(1973・平凡社)』▽『ガストン・ディール解説、渡辺康子訳『フォーヴィスム(世界の巨匠シリーズ別巻)』(1981・美術出版社)』▽『『世界美術大全集 第25巻 フォーヴィスムとエコール・ド・パリ』(1994・小学館)』
キュビスムとともに20世紀初頭にもっとも影響力をもった絵画史上の変革運動,またその流派。〈野獣派〉〈野獣主義〉と訳されることもある。1905年サロン・ドートンヌの第7室に展示されたフランドランJ.Flandrin,マルケ,ルオーたちの作品に囲まれるようにしてマルクA.Marqueのイタリア風のトルソーが置かれていたのを,美術批評家ボークセルLouis Vauxcellesが評して〈野獣(フォーブ)の檻のなかのドナテロ〉といったことから,〈フォービスム〉の名称が生まれる。もっとも,〈フォーブ〉の形容そのものはボークセル以前にすでに用いられていたようである。サロン・ドートンヌの他の展示室には,前記の画家たち以外に,同じ表現傾向をもつドラン,バン・ドンゲンKees van Dongen(1877-1968),ブラマンク,デスパニャd'Espagnat,フリエスOthon Friesz(1879-1949),ラプラードPierre Laprade(1875-1931),ピュイJean Puy(1876-1960),バルタLouis Valtat(1869-1952)たちが出品していた。フォービスムの基本的な方向は,何よりも原色の大胆な使用,〈新しい色彩の結合〉によって特徴づけられる。伝統的な写実主義における色彩体系,肉づけ,明暗,諧調は捨てられ,たとえば樹の幹を赤く,鼻筋を緑に塗るといったことがなされる。その感覚主義的態度は,現代社会の速度感,都市的感覚の反映として,筆触の速さ,強度をも特徴としている。
グループと技法の形成は,1890年代に始まる。グループの中心は,自由な教育をあたえ,みずからも晩年の水彩等においてフォービスムの先駆けをなすような色彩と筆触を示したG.モローのアカデミー・デ・ボザール(国立美術学校)の弟子たち,すなわちマティス,マルケ,カモアンCharles Camoin(1879-1964),マンギャンHenri Charles Manguin(1874-1949)たちによって形づくられる。とりわけマティスは,後期印象派(とくにゴーギャン)と新印象派(とくにシニャックとクロス)から,形態のアラベスク,純粋色とその補色の関係を学ぶことによって,すでに世紀末にフォービスム的表現へと近接している。彼はモローの死後,カリエールの教室に学び,そこでドラン,ピュイと交わる。さらにドランを通じてブラマンク,バン・ドンゲンと知りあう。一方,ボナの教室に通っていたマティスと同郷のデュフィ,フリエス,ブラックたちもグループに加わった。グループのなかでももっとも直観的・感覚的なブラマンクたちにとっては,1901年のベルネーム・ジューヌ画廊でのゴッホ展は大きな啓示となった。またシニャックの著書《ドラクロアから新印象主義まで》(1899)は,マティスたちに理論的な関心を呼び起こしている。こうしてパリ,ル・アーブル,パリ近郊シャトゥーChatouなどで彼らはしばしば画架を並べ,空間の単純化と大胆な色彩表現を追求し,1902年のアンデパンダン展,03年のサロン・ドートンヌでその成果を示した。フォービスムは1904-07年に最盛期を見るが,その後しだいに画家たちはそれぞれの個性的方向を目ざし,グループは解体する。このフォービスムは,直接的にドイツ表現主義などに影響をあたえたのみならず,世紀末芸術の暗い迷路から現代絵画を解き放ち,絵画を再生へと導く原動力となった。日本では,すでに1910年代に万鉄五郎がフォービスム的な作風を示し,12年のフュウザン会第1回展にはこの傾向の作品が出品された。30年結成された独立美術協会の創立会員には多かれ少なかれフォービスムの影響が見られ,フランスでブラマンクに師事し25年帰国した里見勝蔵(1895-1981)がその最も顕著な例である。
執筆者:中山 公男
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(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)
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… 新印象主義はフランス国内でクロス,アングラン,デュボア・ピエ,一時的だったがC.ピサロ,国外では,バン・リッセルベルゲ(ベルギー),セガンティーニ,プレビアーティ(ともにイタリア)といった同調者を得たが,しだいに点描主義という単なるスタイルに変質していった。しかし,この変質によってはじめて色彩は対象から自由になり,独自の表現の可能性を与えられ,それはやがてマティスをはじめとするフォービスムの画家たちが画面に原色を爆発させる直接の契機となるのである。印象主義【本江 邦夫】。…
…外界の印象impressionに基礎をおく印象主義に対して,内面の表出expressionをめざす芸術をいい,非写実的なゆがみの表現を伴うのが特徴である。歴史的にはマティスのフォービスムについて初めて用いられたがフランスでは定着せず,1911年ころからベルリンで前衛的な美術を中心に音楽,文学,演劇,映画,建築に及ぶ革新的芸術の合言葉として広まった。したがって,現象としてはムンク,アンソールからルオー,エコール・ド・パリのシャガール,スーティンらに至る個々の画家やマティスらのフォービスト,ピカソらの前期キュビストなどをヨーロッパの表現主義として取り上げることもできるが,狭義には主として1905年ごろからドイツ革命期に至る時期に展開されたドイツの芸術をいう。…
※「フォービスム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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