ドイツの数学者。ポツダム生まれ。物理学者M・H・ヤコービは3歳年上の兄。16歳でベルリン大学へ入学し、数学を学び、力量を発揮して1825年に学位を取得した。引き続いてベルリン大学の無給講師(俸給はなく、聴講料だけが収入となる講師)となり、曲面論や空間曲線論を講じた。1827年にケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)の教授となり、1842年ベルリンへ移ったが、生活は恵まれたものではなかった。天然痘を患い、それがもとで他界した。
ヤコービは、ルジャンドルの楕円積分(だえんせきぶん)
の逆関数を考え、これをx=snuと表し、これが二重周期関数であることを発見した。これがヤコービの楕円関数の出発点であり、研究の成果をまとめたものが『楕円関数論の新しい基礎』(1829)である。さらにΘ関数(シータかんすう)を導入して、楕円関数論に新しい道を開拓した。またΘ関数を整数論に用いたが、この方法はエルミート、クロネッカーによって発展させられた。アーベル関数にも手を染めたが完成するには至らなかった。このほかにヤコービの名をつけた行列式もある。
[小堀 憲]
ロシアの物理学者、電気工学者。ドイツのポツダムに生まれ、のちロシアに帰化。ゲッティンゲン大学で建築学を修め、建築家として独立したが、当時発展しつつあった電気学、とくにその技術的可能性に注目し研究を行った。1835年ドルパト(現、タルトゥ)のドルパト大学土木工学教授に招かれ、1837年ペテルブルグ大学へ転任。1834年モーター(電動機)の試作、1838年には電鋳を発明。またE・H・レンツとともに導線の太さや巻き数の変化に対する電磁石の強度を測定、単位を統一することの必要を説いた。電源を電池に頼らざるをえない時代にあってほとんど実用には至らなかったが、電信などの電気応用技術の開発に努めた。
[高橋智子]
ドイツの思想家。感情哲学、信仰哲学を主張して、ドイツ啓蒙(けいもう)思想期からドイツ観念論全盛期に特異な位置を占める。商人、官吏の生活をしながら、エルベシウス、ルソー、A・ファーガソンなどを読んだが、彼にとって大きな意味をもったのはスピノザとカントであった。レッシングとスピノザの関係をめぐってメンデルスゾーンと行った「汎神論(はんしんろん)論争」は有名である。彼は悟性と理性を峻別(しゅんべつ)し、理性の一機能である信仰によってこそ悟性の限界を超えて神がとらえられうるとした。カントが主張した「物自体」についても、悟性的な認識の分析の次元では達しえないことには同意するが、信仰・感情・啓示によって心に現前するものと主張。スピノザに対しても、神・実体を経験的現象から導き出すことをせず、神から始めたことを評価するが、神が悟性認識に貫かれたものとされ、自由が否定される無神論になると批判し、ヒュームの考えに共感を示した。
[佐藤和夫 2015年4月17日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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