イエスのいわゆる〈十二弟子(使徒)〉の一人。父の名はゼベダイZebedeeといい,ガリラヤの出身。福音書の伝えるところによると,兄弟ヤコブとともに父の家業であった漁師をしていたところをイエスによって見いだされ,弟子とされたという(《マルコによる福音書》1:19~20)。〈十二弟子〉の名前のリスト(同3:16~19)では筆頭弟子のシモン・ペテロのすぐ後に挙げられ,兄弟ヤコブとともに,〈ボアネルゲBoanerges〉(〈雷の子〉の意)という別称を与えられている。そのほか,〈イエスの変容〉(同9:2~8)と〈ゲッセマネの園での最後の祈り〉(同14:32~42)の場面では,どちらにおいても,ペテロおよび兄弟ヤコブとともに他の弟子たちからは区別され,イエスに特別に近づくことを許された3人の弟子の一人として描かれている。歴史的にみても,イエスに最も早くから従った弟子の一人であったものと思われる。
原始エルサレム教会の成立の直接のきっかけとなったのは,いったんは離散していた弟子たちに,死んだイエスが“現れた”という〈顕現〉の体験であったが,ヨハネは,この体験を伝える古い伝承(《コリント人への第1の手紙》15:3~7)では〈十二人(十二弟子)〉の中に含められる形で,また,同じ体験について述べる《ヨハネによる福音書》21章でははっきり名前(〈ゼベダイの子ら〉)を挙げられる形で,重要な証人の一人とされている。この点についてはパウロも直筆の手紙の一節(《ガラテヤ人への手紙》2:9)で,48年に異邦人伝道の是非をめぐってエルサレムで行われたいわゆる〈使徒会議〉に関して報告しつつ,エルサレム教会の〈柱として重んじられている〉3人の人物に言及し,〈主の兄弟ヤコブ〉(〈ゼベダイの子ヤコブ〉ではなく,イエスの肉親の兄弟ヤコブ)およびケパ(ペテロ)と並べてヨハネの名前を挙げている。
兄弟ヤコブの方は,《使徒行伝》12章1節が示すとおり,42年ころ,ヘロデ・アグリッパ1世の手によって殉教の死を遂げた。他方,《マルコによる福音書》10章35~45節の〈弟子たちの序列争い〉の場面では,イエスが2人の〈ゼベダイの子ら〉に向かって,〈あなたがたはわたしが飲む杯を飲み,わたしが受けるバプテスマを受けるであろう〉と語っていることを根拠に,ヨハネも兄弟ヤコブといっしょに,あるいは同じような死を遂げたとする教会伝承が生まれた。これを史実とする学説もあるが,この伝承の成立はあまり古いものではなく(5世紀以降),より古い教会伝承は一致して,使徒ヨハネはその晩年を小アジアで送ったという意見である。まず《ヨハネの黙示録》(1世紀末の成立)がすでに,ヨハネが小アジア沖合のパトモス島(1:9)で受けた黙示であるとされている。その後2世紀前半に小アジアのフリュギアのヒエラポリスの監督(司教)であったパピアスを経て,2世紀後半のリヨンの司教エイレナイオスへと至る過程で,使徒ヨハネの名はしだいにエペソ(エフェソス)との結合を強めていった。と同時に《ヨハネによる福音書》と《ヨハネの手紙》も,ヨハネが生涯の最晩年にエペソの地で著したものであるという教会伝承が形成されていった。この伝承にも史実性を認める保守的な学説が今日なお存在する。しかし,むしろそれは,この時期に好んで《ヨハネによる福音書》を偏重した異端(グノーシス主義)の手からこの福音書を取り戻して,正典文書の一つとしていこうと努めた正統主義教会の意図との関連でみられるべきものである。3世紀後半の作と思われる《ヨハネ行伝》もやはり小アジアとの結びつきを示している。そこにはグノーシス主義の影響が認められるほかに,この地の大衆的キリスト教徒の間にヨハネ伝承がどのような形で生き続けたかがうかがわれる。
執筆者:大貫 隆
ヨハネは,白髪白髭の額のひいでた老人(ビザンティン型),またはひげのないほっそりした若々しい青年(西欧型)として表現される。後者の型は,ヨハネが十二弟子の中でもっとも若く,しかも生涯を通じて童貞であったことに基づく。〈カナの婚礼〉〈キリストの変容〉〈オリーブ山上の苦しみ〉〈最後の晩餐〉〈磔刑〉など,多くのイエス・キリスト伝中の説話に重要な人物として登場する。〈最後の晩餐〉では,師に愛された弟子としてキリストの胸によりかかり,眠っていることが多い。この2人の群像は14世紀に〈最後の晩餐〉から切り離され,アンダハツビルトAndachtsbild(祈念像)として独立して表現されるようになる。〈磔刑〉においては,キリストからその母を託された人物として,十字架のもとに彼女と並んで立つ。また,〈聖母の死〉に関する説話の中でも,彼女から天国のシュロを受けとり,それをもって葬列の先頭に立つなど,重要な役割を演じている。
ヨハネ自身の生涯に関しては以下の主題が美術に登場する。(1)ローマのポルタ・ラティナでの殉教。ドミティアヌス帝により油を満たした釜でゆでられるが,無傷のまま助かる。(2)パトモス島に逃がれ,そこで神の啓示を受けて《ヨハネの黙示録》を執筆する(〈パトモス島のヨハネ〉)。聖人は荒野や岩山に座り,インク壺またはペンをくわえたワシをかたわらに,書物を著している。上空に幻視が表されることもある。(3)エフェソスに帰り,女信徒ドルシアナを蘇生させる。(4)棒きれと石を金と宝石に変え,財産を捨てた2人の若者に返し,同時に地上の財産の空しさを説く。(5)異教の神殿の祭司の差し出した毒杯を無事に飲みほし,信仰の正しさを証明する。(6)みずからの墓を掘って,みずからを葬る〈ヨハネの死〉(その後,彼はキリストに迎えられて,昇天する)。礼拝像はバプテスマのヨハネと並んで表されることが多い。持物は書物または巻物(福音書,黙示録を意味する),ワシ(同聖人の象徴),ヘビまたは竜(毒を象徴)が入った杯,殉教に用いられた釜など。
執筆者:荒木 成子
紀元28年前後にヨルダン川南部流域の荒野で活動した預言者。洗礼者ヨハネまたは洗者ヨハネともいわれる。生没年不詳。《ルカによる福音書》1章は,彼を祭司の家系の出身とするが,ラクダの毛織,皮の腰帯,イナゴと野蜜の食物(《マルコによる福音書》1:6,《マタイによる福音書》11:18)という生活様式は,旧約時代以来のナジル人の伝統(《民数記》6:1以下)を思わせる。彼は当時の黙示文学的な終末待望を背景に,神(すなわち《マタイによる福音書》3:11の〈わたしのあとから来る方〉)の審判が目前に迫っていることを宣言した。“悔い改め”て今ヨルダンの水で洗礼を受ける者は罪の赦(ゆる)しを先取って与えられ,来るべき神の〈火〉(《マタイによる福音書》3:11)による審(さば)きを免れると説いた。洗礼のこのような一回性と終末論的意味づけは,当時のユダヤ教の周縁で広範に活動を展開した洗礼教団(クムラン教団はその一つ)にはみられない独特なものである。ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスHerod Antipasの違法な結婚を公然と断罪したため,マケルス(マカイルス)の砦に幽閉された後,斬首刑による最期を遂げた(《マルコによる福音書》6:14~29)。イエス自身このヨハネから洗礼を受けた(《マルコによる福音書》1:9)ほか,イエスの最初の弟子たちの中にも元来はヨハネの運動に加わっていた者がいた可能性がある(《ヨハネによる福音書》1:19~39)。ヨハネの死後も彼の弟子たちの教団はなおしばらく存続したため,原始キリスト教の側では,イエスをヨハネの上位に位置づけることが繰り返し試みられている(《マタイによる福音書》3:14~15,11:2~3,11:11,《ルカによる福音書》16:16,《使徒行伝》18:25,19:1~7,《ヨハネによる福音書》3:27~30ほか)。なお,ヨハネはサロメの物語と結びつけられているほか,6月24日の祝日(ヨハネ祭)にその名が冠せられている。
執筆者:大貫 隆
ヨハネは美術において二つの異なった姿で表現される。一つは聖家族の中に幼な子イエスより少し年上の幼児として表され,もう一つは成人した男として,やせ衰え,髪とひげを長く伸ばし,ラクダなどの毛皮を体に巻きつけた苦行者の姿をとる。ビザンティン美術では使者としての役割を示すために天使の翼をつけることがある(《ルカによる福音書》7:27)。持物は長い十字架(〈Ecce Agnus Dei(見よ,神の小羊)〉と記した巻物のついていることがある),小羊(《ヨハネによる福音書》1:36),書物(救世主到来の預言のある旧約聖書),イエスの洗礼に用いた水差または皿など。盆の上に載せられた彼自身の首も表される。フィレンツェの町をはじめとして,洗礼堂,教会堂,信心会などの守護聖人として,もっともしばしば美術に現れる。幼児伝,説教生活,受難(〈サロメの踊り〉が特に有名),死後の遺骨の焼却など,多くの説話も単独に,あるいは連作として表現される。イエス・キリスト伝中の〈洗礼〉,時として〈磔刑〉,および〈最後の審判〉においても重要な役割を果たしている。
執筆者:荒木 成子
スペインのカトリック神秘家,教会博士,古典的詩人。スペイン名フアン・デ・ラ・クルスJuan de la Cruz。1563年カルメル会に入会,修道誓願の宣立後64-68年サラマンカの同会学院でトマス主義の哲学・神学を修めた。司祭叙階後,厳格なカルトゥジア会に移ろうとしたが,アビラのテレサと出会い,彼女とともにカルメル会改革を決意した。ついに68年11月28日十字架のヨハネと改名し,ドゥルベロで改革に着手した。そのため同会の緩和派から激しい反対と攻撃を受けた。両派の分離後,セゴビアなどの修道院長を務め,改革カルメル会の未来に関する意見相違からウベダに追放され,ここで没した。彼の神秘的著作には《カルメル山登攀》《霊魂の暗夜》《生ける愛の炎》《霊賛歌》などがある。
執筆者:鈴木 宣明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イエスの十二使徒の1人。『新約聖書』の「共観福音(ふくいん)書」(マタイ、マルコ、ルカ)によれば、彼はガリラヤの漁師ゼベダイの子で、兄弟ヤコブおよびペテロとともに、弟子たちのなかでもイエスからとりわけ信頼されていた人物であった(「マタイ伝福音書」4章、17章、「マルコ伝福音書」14章、「ルカ伝福音書」8章)。そして彼は、持ち前の激情的な性格のためか、「雷の子」とよばれた(「マルコ伝福音書」3章)。しかし「ヨハネ伝福音書」では、彼の名は直接に言及されない。しかしまた「使徒行伝(ぎょうでん)」3~8章によれば、彼はペテロと並ぶ原始教団の代表的人物であった。伝説によれば、のちに彼はエペソに定住し、ドミティアヌス帝治下にパトモス島に流刑された。
[定形日佐雄]
パレスチナにおける洗礼者運動の代表的人物。『新約聖書』伝承によれば、祭司ザカリヤの子として生まれ(「ルカ伝福音(ふくいん)書」1章)、紀元28年ごろ(「ルカ伝福音書」3章)ヨルダン渓谷において預言活動を行い(「マタイ伝福音書」11章、「マルコ伝福音書」11章)、人々に説教し、悔い改めの証(あかし)としての洗礼(バプテスマ)を授けた(「マルコ伝福音書」1章)。彼が「バプテスマのヨハネ」とよばれるのは、このためである。そしてイエスも彼から受洗する(「マタイ伝福音書」3章、「マルコ伝福音書」1章)。加えてきわめて原始的な生活を送っていたことも特筆に価する(「マタイ伝福音書」3章、「マルコ伝福音書」1章)。そして禁欲的な生活を送っていたことから、エッセネ派の一員またはクムラン教団に関係があったのではないかとも考えられる。彼は、当時の王家を批判したため、刑死した(「マルコ伝福音書」6章)。
[定形日佐雄]
「ジョン[ソールズベリー]」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
イエスの12弟子の一人。イエスの死後,使徒としてイェルサレムの原始キリスト教団の柱の一人として活動,のち小アジアに伝道,パトモス島で黙示録を著したといわれる。ヨハネ福音書も彼の作とされるが,事実ではない。
イエスの先駆者とみられる1世紀前半のユダヤの預言者。ヨルダン川で悔い改めの洗礼を施した。禁欲生活を営み,エッセネ派との関係も論議されている。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの不倫を責めて殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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〔キリスト教の本質〕
【キリスト教とは何か】
この問いの背後には,かつてイエス・キリスト自身が弟子たちに投げかけた問い〈人々はわたしを何者だと言っているか……あなたたちは,わたしを何者だというのか?〉(《マタイによる福音書》16:13~20,《マルコによる福音書》8:27~30,《ルカによる福音書》9:18~21,《ヨハネによる福音書》6:67~71)がひそんでいる。この後者に答えることが,前者に対する根本的な答えである。…
…教会は幻視体験を管理する立場にもあり,悪魔の誘いである偽りの幻覚と真の幻視とを区別し,人々を教化することに忙しかった。とくにこの時期スペインには,アビラのテレサや十字架のヨハネらの瞑想神秘主義者が出て,祈りによる幻視体験を最重要な信仰生活としてとらえ,また反宗教改革期のイグナティウス・デ・ロヨラも《心霊修業》と呼ばれる一種の幻視体験カリキュラムを構築した。クエーカー派の開祖G.フォックスは,町を歩いているさなかにさえつねに神の啓示を耳にしていたといわれる。…
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[パウロ]
ユダヤ教徒として律法に対する熱心のあまり,キリスト教を迫害さえしたパウロは,〈イエス・キリストの啓示によって〉(《ガラテヤ人への手紙》1:12)キリスト教に回心し(34ころ),3回の伝道旅行によりエーゲ海周縁諸都市に教会を設立し,遂にはローマにまで至った。第一伝道旅行の後(これをその前とみなす学者たちもある),彼はアンティオキアからエルサレムに上り,同地の教会の〈おもだった人たち〉(イエスの弟ヤコブ,ペテロ,ヨハネ)と会談し(いわゆる〈エルサレム使徒会議〉,48ころ),割礼を前提することなしに異邦人に福音を宣教する承認を得た(《ガラテヤ人への手紙》2:1~10,《使徒行伝》15:1~35)。にもかかわらず律法の順守を救済の条件とするユダヤ人キリスト者に対し,パウロは上記(1)の伝承に拠りつつ,信仰によってのみ義とされるといういわゆる〈信仰義認論〉を展開したが,この世にあって義とされ救われた存在を持続する手段として律法の有効性を認めた(《ローマ人への手紙》3:21~31)。…
…あるツァディクは,神の事を学びにきたハシッドに食器を磨くことを教えた。カバラハシディズム(5)キリスト教 キリスト教神秘主義の源泉は新約聖書とくにパウロやヨハネの信仰におけるキリスト体験にある。それはパウロの場合,イエスの死を死に,イエスの生を生きるという体験であり,聖霊によってキリストと〈同じ像に化〉せられることであった。…
…新約聖書の一つ。伝統的にゼベダイの子使徒ヨハネがエペソ(エフェソス)で書いたとされるが,最近の研究では匿名の著者により後1世紀末にパレスティナ・シリア地方で書かれたと考えられている。他の三つの正典福音書のいずれにも直接依存せず,一部独自の伝承を用いている。…
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〔キリスト教の本質〕
【キリスト教とは何か】
この問いの背後には,かつてイエス・キリスト自身が弟子たちに投げかけた問い〈人々はわたしを何者だと言っているか……あなたたちは,わたしを何者だというのか?〉(《マタイによる福音書》16:13~20,《マルコによる福音書》8:27~30,《ルカによる福音書》9:18~21,《ヨハネによる福音書》6:67~71)がひそんでいる。この後者に答えることが,前者に対する根本的な答えである。…
…あるツァディクは,神の事を学びにきたハシッドに食器を磨くことを教えた。カバラハシディズム(5)キリスト教 キリスト教神秘主義の源泉は新約聖書とくにパウロやヨハネの信仰におけるキリスト体験にある。それはパウロの場合,イエスの死を死に,イエスの生を生きるという体験であり,聖霊によってキリストと〈同じ像に化〉せられることであった。…
…しかし,この間を通して,教義神学と実践的神秘神学は分離する。後者の近代における本格的な創設者としてはテレサや十字架のヨハネをあげることができる。今日では,神秘神学は義化された(義認を受けた)霊魂のなかでの神の恩恵の働きと顕現の最高度の段階を取り扱う分野と考えられており,浄化,観想的祈り,聖霊の賜物のたえざる働き,それにともなう通常以上の神秘的現象などが研究される。…
…セルバンテスの重要な作品としてはほかに,12の短編からなる《模範小説集》(1613)がある。なお,〈黄金世紀〉文学にあって特異の光芒(こうぼう)を放っているのが,神との内的合一を求める神秘主義者たちの啓蒙的散文,あるいは詩による〈神秘文学〉で,代表者はテレサ・デ・ヘスス Teresa de Jesús(アビラのテレサ),フアン・デ・ラ・クルスJuan de la Cruz(十字架のヨハネ),そしてルイス・デ・グラナダLuis de Granada(1504‐88)である。
【18世紀――理性の時代】
1700年にブルボン家がスペインの王位を継承したため,スペインは圧倒的なフランスの影響下におかれることになった。…
…とすれば,われわれは歴史上のイエスとキリスト教徒の信仰の対象としてのキリストとを一応区別したうえで,イエスとキリストとの関係を問うていかなければならないことになる。
[イエスの生涯と思想]
イエスに関する資料の中でその歴史性を比較的に信頼できるのは,新約聖書の冒頭に収められているマルコ,マタイ,ルカ,ヨハネの四福音書と,最近発見された《トマス福音書》である。しかし,これらの福音書もイエスをキリストと信じるキリスト教徒によって著作されたものであるから,これらの中に書かれている記事をすべて史実と判断するわけにいかない。…
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〔キリスト教の本質〕
【キリスト教とは何か】
この問いの背後には,かつてイエス・キリスト自身が弟子たちに投げかけた問い〈人々はわたしを何者だと言っているか……あなたたちは,わたしを何者だというのか?〉(《マタイによる福音書》16:13~20,《マルコによる福音書》8:27~30,《ルカによる福音書》9:18~21,《ヨハネによる福音書》6:67~71)がひそんでいる。この後者に答えることが,前者に対する根本的な答えである。…
…《マルコによる福音書》によれば,王妃ヘロデヤはヘロデの異母兄ピリポの妻であったが,サロメを連れてヘロデと再婚した。しかしその不義の婚姻をバプテスマのヨハネに非難されたため,娘をそそのかして父王の誕生日の祝宴での踊りの報酬としてその首をはねさせた。娘はこれを銀の盆に載せて母に捧げたという。…
…美術表現では,食事時の聖家族(ホッサールト,1555ころ,など),大工ヨセフを手伝うイエス(木彫,1470ころ,ユトレヒト大司教館美術館)など,聖家族の日常のエピソードが種々描かれる。外典書の影響をうけて,エリザベツElisabethとその子バプテスマのヨハネが付け加えられる例もある(ラファエロ《カニジアーニの聖母》1507ころ,など)。外典書によると,〈エジプト逃避〉からの帰路,聖家族はエリザベツの家に立ち寄り,イエスとヨハネの2人の子どもは幾日かをともに過ごしたが,ヨハネはすでにイエスを敬い接したことが記されている。…
…9世紀ごろから幼児の灌水礼が一般化するにつれ,教会内の玄関脇に設けられた簡単な洗礼盤で用が足りることになり,独立した建物は少なくなった。堂は多くバプテスマのヨハネに捧げられる。コンスタンティヌス帝によるローマのラテラノ洗礼堂(4~7世紀)や,ラベンナの正教徒洗礼堂(6世紀),フィレンツェ,ピサの各大聖堂付属洗礼堂(14~15世紀)等がイタリアに残り,フランスではポアティエのサン・ジャン洗礼堂(4世紀)が知られる。…
…歴史的にみても,イエスに最も早くから従った弟子の一人であったものと思われる。 原始エルサレム教会の成立の直接のきっかけとなったのは,いったんは離散していた弟子たちに,死んだイエスが“現れた”という〈顕現〉の体験であったが,ヨハネは,この体験を伝える古い伝承(《コリント人への第1の手紙》15:3~7)では〈十二人(十二弟子)〉の中に含められる形で,また,同じ体験について述べる《ヨハネによる福音書》21章でははっきり名前(〈ゼベダイの子ら〉)を挙げられる形で,重要な証人の一人とされている。この点についてはパウロも直筆の手紙の一節(《ガラテヤ人への手紙》2:9)で,48年に異邦人伝道の是非をめぐってエルサレムで行われたいわゆる〈使徒会議〉に関して報告しつつ,エルサレム教会の〈柱として重んじられている〉3人の人物に言及し,〈主の兄弟ヤコブ〉(〈ゼベダイの子ヤコブ〉ではなく,イエスの肉親の兄弟ヤコブ)およびケパ(ペテロ)と並べてヨハネの名前を挙げている。…
…バプテスマのヨハネの生誕祭。6月24日。…
※「ヨハネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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