ヨハネ[バプテスマの](英語表記)Joannes Baptista

世界大百科事典 第2版 「ヨハネ[バプテスマの]」の意味・わかりやすい解説

ヨハネ[バプテスマの]【John the Baptist】

紀元28年前後にヨルダン川南部流域の荒野で活動した預言者洗礼者ヨハネまたは洗者ヨハネともいわれる。生没年不詳。《ルカによる福音書》1章は,彼を祭司の家系の出身とするが,ラクダ毛織,皮の腰帯,イナゴと野蜜の食物(《マルコによる福音書》1:6,《マタイによる福音書》11:18)という生活様式は,旧約時代以来のナジル人の伝統(《民数記》6:1以下)を思わせる。彼は当時の黙示文学的な終末待望を背景に,神(すなわち《マタイによる福音書》3:11の〈わたしのあとから来る方〉)の審判目前に迫っていることを宣言した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネ[バプテスマの]」の意味・わかりやすい解説

ヨハネ[バプテスマの]
Joannes Baptista

聖人ユダヘブロンの人。荒野で育ち荒野で活動した民衆指導者。イエスキリストの先駆者とされる (マルコ福音書1・2) 。また,イスラム教徒は彼を預言者の一人とし,マンダ教徒尊敬の対象としている。ヨルダン河畔で説教活動に従事し,「悔い改めよ,天国は迫った」として悔い改めのバプテスマを述べ伝え,自分のあとに現れて聖霊と火によってバプテスマを授ける偉大なキリストについて預言し,エリヤ再来ではないかといわれていた。イエスも彼からバプテスマを受けた。のちヘロデ王とヘロデアの結婚に反対し,獄中で殺害されたと伝えられる。

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世界大百科事典内のヨハネ[バプテスマの]の言及

【イエス・キリスト】より

…とすれば,われわれは歴史上のイエスとキリスト教徒の信仰の対象としてのキリストとを一応区別したうえで,イエスとキリストとの関係を問うていかなければならないことになる。
[イエスの生涯と思想]
 イエスに関する資料の中でその歴史性を比較的に信頼できるのは,新約聖書の冒頭に収められているマルコ,マタイ,ルカ,ヨハネの四福音書と,最近発見された《トマス福音書》である。しかし,これらの福音書もイエスをキリストと信じるキリスト教徒によって著作されたものであるから,これらの中に書かれている記事をすべて史実と判断するわけにいかない。…

【キリスト教】より


〔キリスト教の本質〕

【キリスト教とは何か】
 この問いの背後には,かつてイエス・キリスト自身が弟子たちに投げかけた問い〈人々はわたしを何者だと言っているか……あなたたちは,わたしを何者だというのか?〉(《マタイによる福音書》16:13~20,《マルコによる福音書》8:27~30,《ルカによる福音書》9:18~21,《ヨハネによる福音書》6:67~71)がひそんでいる。この後者に答えることが,前者に対する根本的な答えである。…

【サロメ】より

…《マルコによる福音書》によれば,王妃ヘロデヤはヘロデの異母兄ピリポの妻であったが,サロメを連れてヘロデと再婚した。しかしその不義の婚姻をバプテスマのヨハネに非難されたため,娘をそそのかして父王の誕生日の祝宴での踊りの報酬としてその首をはねさせた。娘はこれを銀の盆に載せて母に捧げたという。…

【聖家族】より

…美術表現では,食事時の聖家族(ホッサールト,1555ころ,など),大工ヨセフを手伝うイエス(木彫,1470ころ,ユトレヒト大司教館美術館)など,聖家族の日常のエピソードが種々描かれる。外典書の影響をうけて,エリザベツElisabethとその子バプテスマのヨハネが付け加えられる例もある(ラファエロ《カニジアーニの聖母》1507ころ,など)。外典書によると,〈エジプト逃避〉からの帰路,聖家族はエリザベツの家に立ち寄り,イエスとヨハネの2人の子どもは幾日かをともに過ごしたが,ヨハネはすでにイエスを敬い接したことが記されている。…

【洗礼堂】より

…9世紀ごろから幼児の灌水礼が一般化するにつれ,教会内の玄関脇に設けられた簡単な洗礼盤で用が足りることになり,独立した建物は少なくなった。堂は多くバプテスマのヨハネに捧げられる。コンスタンティヌス帝によるローマのラテラノ洗礼堂(4~7世紀)や,ラベンナの正教徒洗礼堂(6世紀),フィレンツェ,ピサの各大聖堂付属洗礼堂(14~15世紀)等がイタリアに残り,フランスではポアティエのサン・ジャン洗礼堂(4世紀)が知られる。…

【ヨハネ】より

…歴史的にみても,イエスに最も早くから従った弟子の一人であったものと思われる。 原始エルサレム教会の成立の直接のきっかけとなったのは,いったんは離散していた弟子たちに,死んだイエスが“現れた”という〈顕現〉の体験であったが,ヨハネは,この体験を伝える古い伝承(《コリント人への第1の手紙》15:3~7)では〈十二人(十二弟子)〉の中に含められる形で,また,同じ体験について述べる《ヨハネによる福音書》21章でははっきり名前(〈ゼベダイの子ら〉)を挙げられる形で,重要な証人の一人とされている。この点についてはパウロも直筆の手紙の一節(《ガラテヤ人への手紙》2:9)で,48年に異邦人伝道の是非をめぐってエルサレムで行われたいわゆる〈使徒会議〉に関して報告しつつ,エルサレム教会の〈柱として重んじられている〉3人の人物に言及し,〈主の兄弟ヤコブ〉(〈ゼベダイの子ヤコブ〉ではなく,イエスの肉親の兄弟ヤコブ)およびケパ(ペテロ)と並べてヨハネの名前を挙げている。…

【ヨハネ祭】より

…バプテスマのヨハネの生誕祭。6月24日。…

※「ヨハネ[バプテスマの]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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