改訂新版 世界大百科事典 「ランバート」の意味・わかりやすい解説
ランバート
Johann Heinrich Lambert
生没年:1728-77
ドイツの数学者,天文学者,物理学者,地図学者。ランベルトともいう。ミュルーズの貧しい洋服屋に生まれ,独学で数学,物理学を勉強。スイスの貴族の家庭教師となり,教え子とともにヨーロッパ各地を訪れ,知名な学者と交遊。1764年ベルリンに居を移し,翌65年ベルリン科学アカデミー正会員に選ばれた。それ以後はフリードリヒ2世から年金はじめ多くの恩恵を被り,学問に専心して多くの業績を上げた。彼の学問の特色は,世の中の実際的な問題を数学的に分析したことである。天文学では《宇宙論書簡Kosmologische Briefe》(1761)で銀河系の形状や階層構造についての仮説を提出,物理学では《測光法Photometria》(1760)で光度測定の基礎を築き,光の吸収におけるランバート=ベールの法則を確立,また光度計,湿度計,熱度計などを発明した。数学では連分数を使ってπやeが無理数であることを証明し,画法幾何学,非ユークリッド幾何学の先駆的な仕事もした。地図学では,地図の正角性conformalityと正積性equivalenceとを検討し,両者が同一投影法で満足されることはありえないことを立証した。ランベルト正積円錐図法,ランベルト正角円錐図法,ランベルト正積方位図法はいずれも彼の創案だが,最大の功績は,現在大縮尺の地図投影法として最も優れている横メルカトル図法(この名は後世用いられるようになった)を発明したことである。なお,輝度の単位ランベルト(略号L。1L=(104/π)cd・m⁻2)は彼にちなんで命名された。
執筆者:野村 正七
ランバート
Marie Rambert
生没年:1888-1982
ポーランド生れのイギリスの女流舞踊家,バレエ団主宰者。ワルシャワで舞踊を,パリで医学を学んだ後,É.ジャック・ダルクローズについて〈リトミック〉をマスターする。ディアギレフの〈バレエ・リュッス〉に入り,ニジンスキーの助言者として《春の祭典》などの振付に協力する。その後ロンドンに渡り,1918年劇作家のA.デュークスと結婚。20年にバレエ学校を創立し,26年にはバレエ団を発足させ,これが後にイギリス現代バレエの中心となるランバート・バレエ団に発展する。彼女は指導者としてすぐれ,若い舞踊家にも作品を発表する機会を与え,F.アシュトン,A.チューダーら多くの振付者を世に送り出している。62年デームDameに叙せられた。
執筆者:山野 博大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報