リュビーモフ(英語表記)Lyubimov, Yurii Petrovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リュビーモフ」の意味・わかりやすい解説

リュビーモフ
Lyubimov, Yurii Petrovich

[生]1917.9.30. ソビエト社会主義共和国連邦,ヤロスラブリ
[没]2014.10.5. ロシアモスクワ
ロシアの俳優演出家。1939年ワフタンゴフ劇場付属のシチューキン演劇学校(→シチューキン)を卒業,1940~46年軍務につき,1953年から母校教壇に立つ。学生たちの卒業公演でベルトルト・ブレヒトの『セチュアンの善人』を演出して注目された。1964年にタガンカ広場にあるタガンカ・モスクワ・ドラマ・コメディ劇場(通称タガンカ劇場)の首席演出家となり,ジョン・リードルポルタージュを劇化した『世界をゆるがした十日間』(1965),『タルチュフ』(1969),『ハムレット』など非ロシア系の作品を多く上演。フセボロド・メイエルホリド,エフゲニー・ワフタンゴフ,ブレヒトらの全体演劇的な手法に基づき,その演出は,みずからの手による複雑な照明,生演奏による音楽,詩・歌の挿入,観客へ直接語りかける演説などを特徴とする。体制にくみしない演出はたびたびソビエト連邦当局検閲を受けた。1984年ロンドン滞在中に市民権を剥奪されて亡命し,アメリカ合衆国や西ヨーロッパの劇場で演出活動を続けた。1989年復権されて帰国,現代ロシア演劇を牽引した。2007年,日本とロシアとの演劇交流に貢献した功績により旭日小綬章を授与された。(→ソ連演劇

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改訂新版 世界大百科事典 「リュビーモフ」の意味・わかりやすい解説

リュビーモフ
Yurii Petrovich Lyubimov
生没年:1917-

ロシアの演出家。モスクワのタガンカ劇場を主宰したことで知られる。1940年にワフタンゴフ劇場付属の演劇大学を卒業し,学生時代から舞台に立っていた同劇場の俳優になるが,すぐ第2次世界大戦がはじまり47年まで軍隊勤務。除隊して同劇場に戻り俳優生活がはじまる。同時に付属シチューキン演劇大学で俳優教育にも当たったが,63年に同大学の卒業公演でブレヒトの《セチュアンの善人》を演出して演劇界で評判となり,翌年4月タガンカ劇場に入った。メイエルホリドワフタンゴフ,ブレヒトなどの革新的手法を大胆に現実の舞台上で再現し,タガンカ劇場をソ連の代表的劇場に育てた。代表作は《ハムレット》《世界をゆるがせた10日間》で,現代作家の小説の舞台化なども数多い。諸外国でも有名で,ミラノスカラ座で現代オペラも手がけたりした。1984年タガンカ劇場首席演出家のポストを解任され,ロンドン滞在中に市民権を剝奪されて,国外追放となったが,ペレストロイカ期の87年帰国し89年市民権も回復した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リュビーモフ」の意味・わかりやすい解説

リュビーモフ
りゅびーもふ
Юрий Петрович Любимов/Yuriy Petrovich Lyubimov
(1917―2014)

ロシアの演出家、俳優。ヤロスラブリに生まれる。1939年ワフタンゴフ劇場付属シチューキン演劇大学卒業。数年間の軍隊勤務ののち、ワフタンゴフ劇場の舞台に立ち、母校で教鞭(きょうべん)をとり、卒業公演で上演したブレヒト作『セチュアンの善人』が大成功を収めた。1964年に教え子たちを率いてタガンカ劇場を創設、『世界をゆるがした十日間』(1965)、『母』(1969)、『夜明けは静かだ!』(1971)、『ハムレット』(1972)、『三人姉妹』(1982)などの名舞台を演出。メイエルホリド、ワフタンゴフ、タイーロフらの遺産を復活させ、世界の前衛劇の手法を取り込んだ演出は、ひとつひとつが舞台表現の新しい実験となり、体制批判の色彩を帯びていた。1981年に劇団員とともに構成した『ウラジーミル・ビソツキー』、1982年にプーシキン作『ボリス・ゴドゥノフ』を演出、いずれもただちに上演禁止となった。1983年、『罪と罰』演出のために訪英の際、自分の演出作品3本を当局が認めなければ帰国しないと宣言、翌年にタガンカ劇場主任演出家の地位を解任され、市民権を奪われた。その後、欧米で演出活動を行い、1988年5月に10日間モスクワに戻って『ボリス・ゴドゥノフ』を復古上演した。1989年にはソ連国籍を回復した。ソ連崩壊後は、1997年『カラマーゾフの兄弟』を脚色、演出した。

[中本信幸]

『アレクサンドル・ゲルシコヴィチ著、中本信幸訳『リュビーモフのタガンカ劇場』(1990・リブロポート)』

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百科事典マイペディア 「リュビーモフ」の意味・わかりやすい解説

リュビーモフ

ロシア(ソ連)の演出家。ワフタンゴフ劇場付属演劇学校を卒業後,俳優を経て演出家となる。モスクワのタガンカ劇場を主宰し,メイエルホリドワフタンゴフブレヒトなどの革新的手法をとりいれた大胆な演出を行う。代表作に《ハムレット》《罪と罰》など。1984年に市民権を剥奪され,以後はヨーロッパ各地で活躍。1988年一時帰国し,タガンカ劇場でプーシキンの《ボリス・ゴドノフ》を演出。
→関連項目シュニトケ

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世界大百科事典(旧版)内のリュビーモフの言及

【タガンカ劇場】より

…ロシア,モスクワにある劇場。1964年スターリン批判後の自由化の雰囲気の中で,演出家リュビーモフを中心にワフタンゴフ劇場付属演劇大学卒業の若い俳優によって創立された。社会主義リアリズムが確立されていくなかで,形式主義と批判されていたメイエルホリドなど,1920年代のソ連前衛芸術の方法を大胆に復活,発展させ,共産主義をその原点に立ち返った視点から見直す厳しい現状批判の演劇活動を展開し,その演劇的活力は世界的に注目を集めている。…

【ロシア・ソビエト演劇】より

…例えば当代の代表的演出家トフストノーゴフ,エフレーモフ,エーフロスにしても,スタニスラフスキー・システムを信奉する立場は同じだが,手法や作風はそれぞれ驚くほど違う。タガンカ劇場Moskovskii teatr dramy i komedii na Tagankeを創設したリュビーモフは,メイエルホリドやワフタンゴフの手法を取り入れて,写実にとらわれない舞台の表現法を確立した。ソビエト製ロック・ミュージカルに固執しているザハーロフMark Anatorievich Zakharov(1933‐ )のような演出家もいる。…

※「リュビーモフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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