翻訳|wrestling
格闘競技の一種。日本では、相撲、柔道などと並ぶ組み技格闘技として知られている。レスリングの語源である「wrestle」という単語には、「組み合う」という意味のほか、「人や困難と闘う」という意味があり、西洋の格闘技の基礎ともなっている。
オリンピックで行われているレスリングには男子フリースタイル、男子グレコローマンスタイル、女子フリースタイルの3種類がある。フリースタイルは全身を攻撃と防御に使えるが、グレコローマンスタイルは腰から下を使うことが禁止されている、上半身の攻防に限った闘いである。両者は技術的にかなり違う部分もあるが、基本は相手を倒して押さえ込むことで勝敗が決まる。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
レスリングは、有史以前も獲物の捕獲技術その他の手段として利用されるなど、その発祥は遠く文明の起源にさかのぼることができる。1938年にメソポタミアで、ペンシルベニア大学の考古学者スパエイサーEphraim Avigdor Speiser(1902―1965)博士が、組み合う2人の男性像が描かれている石板と鋳銅を発見した。これは紀元前3000年以前のものと推定され、その時代にはすでにレスリング競技があったと考えられる。ナイル河畔の都市ペニハッサンには、紀元前2500年ごろにつくられたと思われる墓壁があり、レスリングの群像が多数刻まれている。このころにはスポーツとしての地位が確立していたものとみられる。そのほか、中国、インドなどの古代国家でも行われていたことが実証されている。その後エーゲ文化を経て、東洋から古代ギリシアに継承され、ホメロスの詩にも歌われた。紀元前776年にアテネでスタートした古代オリンピックでは、紀元708年大会からレスリングが採用され、主要競技の一つとなった。アリストテレスの著作に「レスリング選手は若い男性の美しさの代表」との記述がみられるなど、レスリングは人気とステータスのある競技であった。
しかし、ヘレニズム時代からギリシア・ローマ時代を迎えるころには、多額の賞品目当ての職業選手によるものと化し、競技内容もきわめて野蛮になってしまった。やがてローマ人は、従来のレスリングに創意を加えて新しい規則を制定したが、これが現在のグレコローマンスタイルの原型といわれている。ただし、現行のグレコローマンスタイルは1860年ごろにフランスの格闘技学校において考案されたもので、当時の型とは似て非なるものとされている。
やがてヨーロッパが中世の騎士制度の時代に入ると、レスリングは騎士が身につけるべき必修の武技として奨励されたが、16世紀に火器が出現し、交戦の様態が一変するに及んでその意義を失い、純粋な競技として生まれ変わった。やがてイギリスで、全身のどこを使ってもよく、関節技を含めたスタイルのレスリングが生まれ、これがアメリカへ渡って関節技を排除した競技に変わり、フリースタイルとなった。
近代オリンピックにもレスリングは第1回アテネ大会(1896)から正式種目として認められている(ただし、最初は今日のような型や体重による区別はなかった)。他競技と掛け持ちで出場する選手も多く、優勝したのは、体操競技でも金メダルを取ったドイツのカール・シューマンCarl Schuhmann(1869―1946)であった。1904年のセントルイス大会では、フリースタイルの試合が体重別7階級で行われた。それまでフリースタイルはヨーロッパでは行われていなかったので参加国はアメリカのみであったが、これ以降フリースタイルは各国に広まり、1908年のロンドン大会以降はグレコローマンスタイルとフリースタイルの両方が行われている。2004年のアテネ大会からは女子競技も加わった。
男子競技はグレコローマンスタイル、フリースタイルとも体重別10階級の時代が長く続いたが、2012年時点では男子各7階級、女子はフリースタイルのみの7階級で、オリンピック・ロンドン大会の女子競技は、そのうちの4階級で行われた。2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会では男子グレコローマンスタイル・フリースタイル、女子フリースタイルともに6階級実施となった。2017年に階級が変更されて男子・女子ともに10階級となったが、オリンピック実施階級は6階級のままとされた。
2021年(令和3)の東京大会での実施階級は以下のとおりである(階級区分は「~キログラム以下」を意味する)。
(1)男子フリースタイル 57キログラム、65キログラム、74キログラム、86キログラム、97キログラム、125キログラム。
(2)男子グレコローマンスタイル 60キログラム、67キログラム、77キログラム、87キログラム、97キログラム、130キログラム。
(3)女子フリースタイル 50キログラム、53キログラム、57キログラム、62キログラム、68キログラム、76キログラム。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
日本のレスリングの歴史は、1924年(大正13)のオリンピック・パリ大会に参加した内藤克俊(かつとし)(1895―1969)にさかのぼる。当時ペンシルベニア州立大学に留学していた内藤が、日本代表としてフリースタイルのフェザー級に出場し、銅メダルを獲得したのである。しかし日本国内でレスリングは広まらず、1931年(昭和6)4月、八田一朗(はったいちろう)(1906―1983)が中心となって早稲田(わせだ)大学にレスリング部をスタートさせたのが、日本での本格的なレスリングの始まりとなった。選手の育成が行われ、翌1932年のロサンゼルス大会、続く1936年のベルリン大会に参加したものの、第二次世界大戦中は敵性スポーツとしてレスリングそのものが行われなくなってしまった。戦後、国際レスリング連盟(Fédération Internationale des Luttes Associées:FILA。現、世界レスリング連合United World Wrestling:UWW)へ復帰し、1952年(昭和27)のヘルシンキ大会では、フリースタイルのバンタム級に出場した石井庄八(しょうはち)(1926―1980)が、日本選手団全体で唯一の金メダルを獲得するなど、敗戦に打ちひしがれていた日本に明るいニュースをもたらした。1956年のメルボルン大会ではフリースタイルでフェザー級の笹原正三(ささはらしょうぞう)(1929―2023)とウェルター級の池田三男(みつお)(1935―2002)、1964年の東京大会ではフリースタイルで3人、グレコローマンスタイルで2人が金メダルを獲得するなど、世界の強豪国としての地位を築いた。その後も数多くのメダリストを輩出したが、2000年(平成12)以降、男子ではフリースタイル66キログラム級の米満達弘(よねみつたつひろ)(1986― )が2012年のロンドン大会、フリースタイル65キログラム級の乙黒拓斗(おとぐろたくと)(1998― )が2021年の東京大会で金メダルを獲得し、通算22個となった。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
女子レスリングは、1970年代後半から1980年代前半にフランスや北欧で始まった。1983年にFILAは女子レスリング部門を認定し、1985年1月には、フランスのクレルモンフェランで初のFILA認定である女子国際大会「ロジャークーロン大会」が開催された。日本からも柔道選手であった大島和子(1948― )が出場したが、本場の選手の前に完敗した。
オリンピックでは、2004年のアテネ大会から女子種目(フリースタイル)が採用され、48キログラム級、55キログラム級、63キログラム級、72キログラム級の4階級で競技が行われた。日本選手では55キログラム級の吉田沙保里(よしださおり)(1982― )と63キログラム級の伊調馨(いちょうかおり)(1984― )が優勝し、2008年の北京(ペキン)大会でもこの2人が2連覇を達成した。2012年のロンドン大会では48キログラム級の小原日登美(おばらひとみ)(1981― )が優勝。55キログラム級の吉田と63キログラム級の伊調も優勝し、3連覇を達成した。
2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会では、実施階級が4階級から6階級に変更され階級区分も変更された。48キログラム級では登坂絵莉(とうさかえり)(1993― )が優勝。伊調は58キログラム級で出場して優勝し、63キログラム級の3連覇とあわせて、4連覇を達成した。また63キログラムで川井梨紗子(かわいりさこ)(1994― )、69キログラム級で土性沙羅(どしょうさら)(1994― )が優勝した。4連覇を目ざした53キログラム級の吉田は決勝で敗れ銀メダルに終わったが、日本チームは実施階級6階級中、金メダル4個・銀メダル1個の好成績を残した。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
2021年の東京大会では、新階級区分の6階級のうち、50キログラム級で須﨑優衣(すさきゆい)(1999― )、53キログラム級で志土地真優(しどちまゆ)(旧姓、向田(むかいだ)。1997― )、57キログラム級で金城(きんじょう)梨紗子(旧姓、川井)、62キログラム級で川井友香子(ゆかこ)(1997― )が金メダルを獲得した。
[編集部]
競技は、規定の競技場で、3人の審判のもとに2人の競技者によって行われる。試合時間は3分間×2ピリオド制で、ピリオド間の休憩は30秒である。相手の両肩を完全に1秒間以上マットにつけることを「フォールする」といい、フォールした時点で試合の勝者となる。フォールのない場合は、2ピリオドの合計ポイントの多寡で勝者が決定される。同点で終了した場合はビッグポイント・警告(コーション)・ラストポイントの評価で勝者が決定される。また試合を通じて警告を計3度受けた場合は失格となり敗者となる。
通常の大会では、審判はマット・チェアマン(マット主任)1人、レフェリー(主審)1人、ジャッジ(副審)1人の計3人で構成される。マット・チェアマンは各マットの責任者で、フォール、ポイント、警告などでレフェリーとジャッジの意見が一致しないときに、その裁決をする。レフェリーは競技の進行をつかさどる者で、笛、ゼスチュア、公用語(英語)による指示によって競技が開始、中断、再開、終了される。ジャッジはレフェリー、マット・チェアマンと協議しながら、選手の得点をスコアシートに記入しなければならない。審判の判定に不同意の場合はコーチ・選手がビデオ映像の確認を要求するチャレンジが1試合で1回行える。チャレンジが成功すると得点が訂正され、チャレンジ権は継続されるが、失敗すると相手選手に1点が与えられチャレンジ権は失われる。
得点の評価は次のとおり。
[1]1点
(1)場外に1足を踏み出した場合、相手の選手に与える。
(2)パーテレポジション(両手・両膝(ひざ)・頭の5点のうち、3点以上がマットについた状態)の選手が相手選手の背後に回った場合に与える(カウンターアタック)。
(3)フリースタイルにおいて、30秒間のアクティビティ・タイム(消極的な選手に課せられる、ポイントを獲得する時間)でポイントが成立しなかった場合、相手選手に与える。
(4)選手がチャレンジを要請したものの、最初の判定が正しい場合、相手の選手に与える。
(5)フリースタイルにおいて、警告を受けた場合、相手の選手に与える。
(6)グレコローマンスタイルにおいて、パッシビティ(消極性)を宣告された場合、相手選手に与える。
(7)グレコローマンスタイルにおいて、攻撃者が足を使った攻撃を2回行った場合、相手選手に与える。
(8)出血のない負傷あるいは、「負傷」と称して試合を止める行為の場合、相手選手に与える。
[2]2点
(1)相手の背後に回り、完全にマット上にパーテレポジションにコントロールした場合(テーク・ダウン)。
(2)寝技において正しい技術で、デンジャーポジション(相手の肩をマットに対し90度以上傾けた状態)にもち込んだ場合。
(3)グレコローマンスタイルにおいて、警告を受けた場合、相手選手に与える。
[3]4点
(1)スタンド・レスリング(立ち技の攻防)において、直接相手をデンジャーポジションにもち込んだ場合。
[4]5点
(1)スタンド・レスリングまたはグラウンド・レスリング(寝技の攻防)状態から、相手を持ち上げて高い弧を描き、直接デンジャーポジションに着地するすべての投げ技に与える(グランド・アンプリチュード)。
[5]警告
(1)反則行為をした場合、選手に警告が与えられ、フリースタイルは相手選手に1点、グレコローマンスタイルは相手選手に2点が与えられる。
(2)粗暴行為は1回で失格(レッドカード)となり、選手の順位は最下位となる。
[6]下記の場合はテクニカルフォールとなり、その段階で試合が終了する。
(1)フリースタイルにおいて10点差がついたとき。
(2)グレコローマンスタイルにおいて8点差がついたとき。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
従来の競技場は8メートル四方のマットであったが、1971年から直径9メートルの円形となった。これは高さ80センチメートル~1.8メートルの仕様とし、12メートル四方の台上に、マットレスを敷き詰め、その上にキャンバスを張り、それに直径9メートルの円を描いてつくられる。
服装に関する規定は、選手のユニフォームとしては、ワンピースのシングレットが指定されており、出場コーナーによって着衣の色が異なるので、つねに赤と青の2着を用意しなければならない。材質は相手選手に対して刺激性・危険性がない、なめらかな布でなければならない。競技会には、男女とも止血用の白いハンカチの携行が義務づけられている。靴はかかとのないものとされている。靴ひもが表に出ないように、テープで止めるか、靴の中に収める。そのほか、ひげや爪(つめ)を伸ばしたり、汗ばんだ身体や頭髪に整髪料を塗ったり、指輪類、ブレスレット類、ピアス類等の金具を使用したりすることが禁止されている。
[高田裕司・斎藤 修 2019年5月21日]
『道明弘章・笹原正三監修『NHKスポーツ辞典Ⅺ』(1961・日本放送出版協会)』▽『笹原正三著『改訂・レスリング』(講談社スポーツシリーズ)(1978・講談社)』▽『В.К.Крутьковский :Вольнад борьба(1964, Москва)』▽『Graeme KentA Pictorial History of Wrestling(1968, Hamlyn Publishing Group Ltd., Czechoslovakia)』
レスリングは世界最古のスポーツといわれ,人類の起源とともにあった競技である。人類がその生存,生き残りをかけて,生活の重要な手段として発展してきた格闘競技である。対人競技に属し,日本の相撲,柔道や,サンボ,モンゴル相撲,インド相撲,中国相撲の摔跤(シュアイジャオ)なども含まれるが,スポーツの種目としてはオリンピックで実施されているレスリング競技を指し,フリースタイルレスリングfree style wrestling,グレコローマンレスリングGreco-Roman style wrestlingの二つの種目がある。前者は全身を攻防に使うことができる自由型で,後者は腰,正確には左右の腸骨を結んだ線を境界として,下半身を使っての攻防は反則となる。
その発生は先に述べたように,人類の起源までさかのぼることができる。古代にあったレスリング競技の技術体系を知る最も古い例として,古代エジプトのナイル河畔,ベニ・ハッサン遺跡の壁に描かれているさまざまなレスリング群像が挙げられる。古代レスリングは〈殴る〉〈蹴る〉〈相手の口を塞ぐ〉などの技も含む激しいものであり,その試合中,死者の出ることもあった。それは,ホメロスの《イーリアス》のなかに登場するアイアスとオデュッセウスの壮絶な死闘からも想像され,現代のプロフェッショナルレスリング(プロレス)に類似している。紀元前776年に始まった古代オリンピックにおいて,第18回大会(前708)にレスリング競技は登場する。そして第37回大会(前632)には少年レスリング競技も正式種目として行われた。そのほかボクシングとレスリングを組み合わせたパンクラティオンpankrationもこのころに種目として誕生した。当時著名なレスラーとして名高いスパルタのヒッポステネスHippostenes,その後クロトンに生まれたミロンはいずれも6度オリンピックの勝者に輝いた。限りない心と身体の美の調和を目的とした古代ギリシア人たちの崇高なスポーツ理念も,古代ローマ時代に移行するにつれて堕落の道をたどることになる。レスリング競技者も賞金目当ての職業選手となり,その競技も野蛮な見世物と化した。中世ヨーロッパにおけるレスリングは騎士たちに必修の格闘武技として奨励された。しかし,火薬の発明による火器の出現により戦闘様式が一変すると,格闘技術としての目的を失い,スポーツとして生まれ変わって現代に受け継がれることになる。ヨーロッパ各地,とくにイギリスの各地方には独自のレスリングが継承されていったが,なかでもランカシャースタイルは相手のどこをつかんでもよいところから〈キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルcatch-as-catch-can style〉と呼ばれ,イギリスの植民地政策などによりアメリカをはじめ世界の各地に普及,1948年の第14回ロンドン・オリンピックからはフリースタイルと称されるようになった。
近代オリンピックのなかで,レスリングは1896年の第1回アテネ大会から正式種目として採用されたが,この時の出場者はわずか4ヵ国,5人で,グレコローマンスタイルだけであった。フリーおよびグレコローマン両スタイルが実施されたのは1920年の第7回アントワープ大会以後であり,このときは19ヵ国,150人が参加した。体重区分は第3回セント・ルイス大会での7階級制(フリースタイルのみ)が最初の区分で,3階級,5階級,8階級,10階級などの時代を経て,現在は7階級となっている。1912年国際アマチュア・レスリング連盟Fédération internationale de lutte amateur(FILA(フイラ))が創設され,競技規定が統括されるようになった。同連盟はのちに国際レスリング連盟Fédération internationale des luttes associées(FILA)と改称,加盟国は97年現在135ヵ国にのぼる。
日本では1931年に,八田一朗らによってアメリカより導入され,早稲田大学に日本初のレスリングクラブが誕生した。日本人初のメダリストはこれに先立つ24年,第8回パリ・オリンピック大会にペンシルベニア大学(アメリカ)在学中の内藤克俊が単身で参加,フリースタイルのフェザー級で3位を獲得している。32年には大日本アマチュア・レスリング協会が設立され,その後(財)日本アマチュア・レスリング協会(1966年設立)を経て財団法人日本レスリング協会が96年に設立された。大日本アマチュア・レスリング協会は35年日本体育協会に,翌36年には国際アマチュア・レスリング連盟に加盟している。1932年,第10回ロサンゼルス・オリンピック大会には7名の選手団を派遣したが,柔道経験者のみの選手であったために完敗した。全日本選手権大会(フリースタイルのみ)は34年に始まり,ライト級の風間栄一をはじめ,川守田順一郎,秋田勇太郎らの選手が優勝した。
女子は1980年代以降,フランスや北欧で行われるようになり,FILAは女子のレスリング(フリースタイルのみ)を正式に認可した。87年に第1回世界選手権を開催,89年から毎年実施されている。オリンピックにおいては,2004年アテネ大会から正式種目(4階級)に採用された。
第2次世界大戦後,第15回ヘルシンキ・オリンピック大会(1952)では石井庄八(フリースタイル・バンタム級)が日本人初の金メダルを獲得したほか5名の選手全員が入賞,続く第16回メルボルン大会(1956)でも,笹原正三,池田三男がフリースタイルのフェザー級とウェルター級に優勝し,イラン,トルコに次いで総合3位の成績を残した。57年にはグレコローマンスタイルも導入され,第17回ローマ大会(1960)にはフリースタイル,グレコローマンスタイル両種目に選手団を送ったが惨敗。しかし第18回東京大会(1964)では,フリースタイルで吉田義勝(フライ級),上武洋次郎(バンタム級),渡辺長武(フェザー級)が優勝,またグレコローマンスタイルでも花原勉(フライ級),市口政光(バンタム級)が日本人初の優勝者となり,計5個の金メダルを獲得,総合成績でも世界1位となった。さらに第19回メキシコ大会(1968)では,フリースタイルで中田茂男(フライ級),上武洋次郎(バンタム級),金子正明(フェザー級)が優勝,グレコローマンスタイルも宗村宗二(ライト級)が制して,ソ連,トルコなどとともに世界の強国として不動の地位を築いた。70年には画期的な国際ルール改正が行われ,10階級,キログラム制などとともに正方形のマットに代わって円形マットが採用された。第20回ミュンヘン大会(1972)ではフリースタイルで加藤喜代美(52kg級),柳田英明(57kg級)が優勝。その後のオリンピックでも,第21回モントリオール大会(1976)ではフリースタイルで高田裕司(52kg級),伊達治一郎(74kg級)が,第23回ロサンゼルス大会(1984)ではフリースタイルで富山英明(57kg級),グレコローマンスタイルで宮原厚次(52kg級)が優勝,第24回ソウル大会(1988)でもフリースタイルで小林孝至(48kg級),佐藤満(52kg級)が金メダルを獲得して面目を保った。しかし以後,第29回北京大会(2008)に至るまで優勝者はない。
一方,女子も早くから競技に取り組み,1987年の第1回世界選手権から参加。オリンピックにおいては,第28回アテネ大会(2004),第29回北京大会で吉田沙保里(55kg級),伊調馨(63kg級)がともに連続優勝,2大会とも出場4階級すべてでメダルを獲得した。
直径9mの円形マットの中央(センター)で2名の競技者が向かい合ってスタンドポジション(立って向かい合った姿勢)で握手し,白のハンカチーフの携行などのチェックをレフェリーより受けたのち試合を開始する。試合時間は2分間,3ピリオドで,ピリオド間のインターバルは30秒。ピリオドごとに勝者が決定され,2つのピリオドを勝った競技者が試合の勝者となる。男子グレコローマンの場合は,各ピリオドの最初の1分間がスタンド・レスリング,続く1分間がグラウンド・レスリングで,30秒で攻守が交代する。なお各階級の試合は,1日ですべてを終了する。審判員の構成は,マット上の試合を円滑に運行するレフェリー,採点を記入担当するジャッジ,その両者を監督し,最終判定を行うマットチェアマンの3名で構成される。競技者は互いに〈フォールfall〉(相手の背中を1秒間マットにつける)を目的に,またフォールのない場合は,技術得点をより多く取ることで判定勝ちを得る。ポイントは技ごとに1,2,3,5点と分かれており,3審判のうち2審判の同意で決定される。またピリオド内で6点差がついた時,5点の技を決めた時,3点の技を2度決めた時はテクニカルフォールとなり,その段階でピリオドが終了する。0-0でピリオドが終了した場合,コイントスの勝者が攻撃権を獲得し,30秒以内に得点できない場合は防御側がピリオドの勝者となる。計量は試合前日の午後6時から8時の間に行われる。競技は敗者復活を伴う直接消去方式で行われる。決勝進出選手に負けた競技者が敗者復活戦にまわり,最後に残った2人の勝者が3位となる。
FILAは志向する理念として,競技者は他のスポーツと同様にフェアプレーを原則として消極的レスリングを極端に排除し,積極果敢なレスリングを展開するよう希求している。それはトータル・レスリング,ユニバーサル・レスリング,リスク・レスリング,アトラクティブ・レスリングなどの言葉に表現される。
→プロレス
執筆者:浅田 修司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(安藤嘉浩 朝日新聞記者 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…【富岡 元信】
[古代ギリシア・ローマの競技場]
古代ギリシアのスポーツ施設はギュムナシオンgymnasionと呼ばれている。もとは脱衣した青少年が競走したり,乗馬を学んだり,レスリングや拳闘をしたり,円盤を投げたりできる広い運動場のことであった。体育を,音楽や文学,哲学などの芸術や学問と共に青少年の教育に欠かせないものと考えていたギリシアでは,やがてギュムナシオンを総合的な教育施設として発展させた。…
※「レスリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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