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ロココ美術 ロココびじゅつ Rococo art

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロココ美術
ロココびじゅつ
Rococo art

1720~70年頃,イタリアの影響を受けフランスで発展した美術様式,また 18世紀の美術の全般的な名称。バロックに続き,新古典主義美術に先立つものであるが,バロック後期の一様式とみることもできる。

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百科事典マイペディアの解説

ロココ美術【ロココびじゅつ】

1730年―1770年ころのヨーロッパ,特に南ドイツルイ15世治下のフランスで流行した美術様式。ロココrococoの語は,装飾モティーフを示すフランス語ロカイユrocailleに由来。
→関連項目ベルサイユ宮殿

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世界大百科事典 第2版の解説

ロココびじゅつ【ロココ美術】

18世紀,フランス国王ルイ14世時代(1643‐1715)末からルイ16世時代(1774‐92)初期まで,フランスにおこり,全ヨーロッパに及んだ装飾形式。ロココrococoはさらに,この時代の美術,文化を指す名称として用いられる。語源は,ルイ15世時代(1715‐74)に好まれたロカイユrocaille装飾にあり,おそらく〈バロック〉との対比から生まれた蔑称的な隠語である。しかし,19世紀後半より,しだいにこの時代の装飾形式の様式名として用いられ,バロックと同様に,18世紀の文化全般を特徴づける用語となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロココ美術
ろここびじゅつ
rococoフランス語、英語
Rokokoドイツ語

ロココとはロカイユ装飾に由来することばで、本来は18世紀フランスの、主として摂政(せっしょう)時代(オルレアン公フィリップ2世がルイ15世の摂政であった時代、1715~23)およびルイ15世(在位1715~74)時代に流行した装飾様式への蔑称(べっしょう)であるが、今日では室内装飾のみならず、絵画、建築をも含めたフランス革命前の18世紀のヨーロッパ美術様式の名称として用いられ、またさらに広く同時代の文化、風潮をもさす。
 形態や様式の原理そのものはバロック様式の延長とみることのできる部分が多いが、繊細さ、優雅さ、軽快さが強調され、精神的、感覚的には、むしろバロックの荘重さ、権威性に対立するものと考えられる。ベルサイユに象徴される大宮殿時代への反発、17世紀主知主義に対する感覚主義、そしてやがてフランス革命によって確立される社会的な自由の観念に先行する感覚的自由の自発的な表れが、ロココ様式の背景にあったというべきだろう。[中山公男]

建築と室内装飾

宮殿での大規模な祝宴よりも、私的な邸館(オテル)のサロンでの集いを好んだこの時期の建築は、若干の例外を除けば、小規模のオテル、マンション、あるいは田園の別荘に限られる。そしてしばしば外観はむしろ簡素にし――とくにルイ15世時代の新古典趣味の導入以来――室内の空間の典雅な調和に重点が置かれる。この新たな室内装飾の原理は、17世紀末、建築家ル・ポートルによってなされたマルリー・ル・ロワMarly-le-Roiの邸館の内部で現れたが、そこでは従来、彫刻や絵画によって全面に装飾されていた鏡板が、周辺部を飾る唐草文(からくさもん)のほかは白地、もしくは大半を白地とし、室内は軽やかさが強調されるようになっている。
 この形式を建築家ジェルマン・ボフラン、ジル・マリ・オプノールが発展させる。一方、画家たちも17世紀末以降、バロック装飾に比して平面的、そしてより自由で幻想的な情景や、サンジュリーと名づけられる中国風のモチーフを生み出し、クロード・オードラン3世、ワトーたちによって展開される。
 こうした装飾が、楕円(だえん)形などの曲線を重視するプラン、柱や梁(はり)を覆い室内を一体化する手法、多彩なロココ工芸などとともに室内空間を形成するとき、ロココ建築が完成するといってよいだろう。代表的な作例は、ボフランによるスービーズ公の邸館、あるいはフランスの建築家であるが主としてバイエルン地方で活躍したキュビエによるニュンフェンブルグ城内のアマリエンブルク宮、フリードリヒ2世自身のスケッチに基づいてクノーベルスドルフGeorg Wenzeslaus von Knobensdorff(1699―1753)が設計したポツダムのサンスーシ離宮などがあげられる。[中山公男]

絵画・彫刻

17世紀末、すでに古典主義を主流とするアカデミズムに対して、色彩的な魅惑を重視する姿勢が現れているが、この感覚主義の新しい才能としてワトーが登場する。彼の活動の大半はまだルイ14世の治下にあったが、彼の主題、技法はロココを先導しただけではなく、その精神をもっともよく代表している。アカデミー入会作品として描かれた『シテール島の巡礼』(1717・ルーブル美術館)など、田園での男女たちの会話、愛、音楽、ダンスの主題は、「雅宴」(フェート・ガラント)として新たなジャンルとなり、ランクレなどの後継者をもち、鏡板の図案や陶器の絵付(えつけ)にも大きな影響を及ぼした。愛の駆け引きという演劇的な設定と、自然と人間の調和という楽園図風の発想とがワトーの基本的な主題であるが、これは、ルイ15世時代のブーシェたちにも、ロココの終末期を代表するフラゴナールたちにも影響を与えている。
 ワトーの女友達であったイタリアの画家ロザルバ・カリエラの影響下に独自なパステル画技法を完成させ、『ポンパドゥール夫人の肖像』(パステル)を描いたモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールは、肖像画の分野で繊細な色彩、機敏な心理描写をみせる。同じような軽やかさと鋭い心理描写を彫刻で示したのがウードンたちである。
 18世紀後半にはギリシア趣味が流行し、大革命前にはディドロたちによって道徳的絵画が称揚される。またオランダ絵画の影響と、着実に成長する市民生活の目がシャルダンを生んでいる。しかし、ポンパドゥール夫人の庇護(ひご)下にルイ15世時代の新古典趣味をリードしたブーシェの世界も、神話的な装いをまとったロココ的情緒に属しているし、グルーズたちの道徳的絵画も、その逸話性、情緒性の点でやはりロココ的である。宮廷的生活と対照的な市民の日常となにげない静物を描くシャルダンの世界も、繊細な室内の光に対する感覚や、日常の逸話的情景を描くという点で、やはりロココ的である。[中山公男]

ヨーロッパ諸国への伝播

フランスにおこったロココ的感覚主義は、バロック趣味の残存、市民的な生活や自然への観察といった新たな要請と混在しつつ、ヨーロッパ各国に伝わり、なんらかの影響を与えている。南ドイツの建築や室内装飾はバロックとロココの混在を示し、イギリスに生まれたホガース、ゲーンズバラたちの肖像画や自然描写は、ロココの魅惑と新たな目との融合である。祝祭的な空間を描くことでは他に劣らなかったイタリア、とりわけベネチアでは、グアルディ、カナレットたちが港や運河の情景によって祝祭的な気分と自然主義を調和させ、ドイツのウュルツブルクの司教館の壁面装飾などヨーロッパ各地で多くの装飾画を描いたティエポロは、その壮大な神話的情景を、いわばオペラ風の世界として提示している。スペインでは、やがてその現実直視と幻想性において19世紀を予告するゴヤも、初期には多くのタペストリーの下絵によってロココ風俗を題材としている。[中山公男]

工芸・家具

バロック、とくにルイ14世様式の家具の荘重さ、彫刻性に対して、ロココの家具ははるかに繊細さと洗練を加え、たとえば椅子(いす)やたんすの脚なども優雅な曲線を加え、表面の仕上げも寄木(よせぎ)細工による平面的な装飾に変化する。
 さまざまな工芸品のなかで、もっともよくロココ時代を特徴づけるのは陶器類である。ドイツのマイセンは、すでに1710年に硬質磁器の焼成に成功したが、フランスではシャンティイ、セーブル、スペインではブエン・レティロ、イタリアではカーポディモンテ、イギリスではチェルシー、ダービーなどが、いずれも最初は軟質陶器であったが18世紀前半に開窯し、画家・彫刻家たちの供給するデザインによって多彩な陶器類を生み出している。[中山公男]

ロココの終末と影響

ロココ的な情緒は、フランス革命によって終末を迎え、ワトーたちの作品のみならずシャルダンたちの作品さえ、かなり長期にわたって顧みられなくなる。彼らの作品が再発見され、ルーブル美術館などでふたたび公開されるのは19世紀なかばになってからである。この再発見は、いうまでもなく、19世紀の美術の動向が、たとえば色彩的な技法や人物描写でワトーを再発見し、静物への目でシャルダンに伝統をみいだしたなどということに関連する。ロココの色彩、日常生活や自然への目の開発が、かなりの部分で19世紀美術の展開へとつながるといえるだろう。[中山公男]
『山田智三郎編者『大系世界の美術17 ロココ美術』(1976・学習研究社) ▽M・フォン・ベーン著、飯塚信雄訳『ロココ――18世紀のフランス』(1970・理想社) ▽坂本満・中村真一郎訳『グランド世界美術16 ワトーとロココ美術』(1977・講談社)』

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世界大百科事典内のロココ美術の言及

【フランス美術】より

…そのアカデミーの強力な指導者として活躍したル・ブランは,太陽王の栄光をたたえるのにふさわしい豪奢な宮廷芸術をつくりあげるのに貢献した第一人者であった。 18世紀にはいると,この宮廷芸術はいよいよ洗練されて精妙優雅となり,装飾性の強いロココ美術を生み出した。ポンパドゥール夫人の庇護を受け,絵画のみならずタピスリーのデザインなど室内装飾においても大きな成果を残したブーシェがその代表である。…

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