万徳寺(読み)まんとくじ

日本歴史地名大系 「万徳寺」の解説

万徳寺
まんとくじ

[現在地名]稲沢市長野町 東堤野

長沼山と号し、真言宗豊山派本尊阿弥陀三尊。境内一千二〇〇坪。神護景雲二年(七六八)慈賢(当寺所蔵「万徳寺由緒書」では慈眼)が創建し、草堂に阿弥陀三尊を安置、称徳天皇が官寺とした。その後鵜沼うぬま川の洪水(続日本紀)荒廃したが、承和元年(八三四)空海が再建した。天暦年中(九四七―九五七)の火災、永祚年間(九八九―九九〇)の大風で再び荒廃、建長六年(一二五四)常円が再興し、中興開山となった。


万徳寺
まんとくじ

[現在地名]岡崎市明大寺本町

明大寺みようだいじ町の中央菅生すごう川河畔近くにあり、亀井山と号し、真宗大谷派。もと野寺のでら(現安城市)本証ほんしよう寺末。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば高宮山万弘寺と称した天台宗の寺で、起覚(元久元年没)開創という。起覚は六名むつな郷出身で近江坂本西教寺の住職であったが、老後故郷に退隠して明大寺村字千本の地に一宇を建立した。二世慶円は承久の乱に京都方であったため寺を焼かれ、近江に漂泊し、後帰国して和田わだ村に住み、親鸞の弟子となって改宗し、宝治二年(一二四八)亀井戸かめいど道場を建てた。これが開宗開基である。慶円は親鸞聖人門侶交名牒(妙源寺蔵)にみえる念信法系の「慶円」にあたるか。七世了西は蓮如の弟子となって万徳寺と改めた。


万徳寺
まんとくじ

[現在地名]赤堀町下触 石山

現赤堀町の西端にあり、赤城山溶岩泥流が残した巨石群に南接して立地。真言宗豊山派で観音山と号する。本尊は阿弥陀如来。境内には延享二年(一七四五)修理の棟札がある観音堂、室町期に修理されたといわれる鐘楼、安永五年(一七七六)の棟札のある山門(仁王門)、天明四年(一七八四)製作の直径一九〇センチの大鰐口などがある。また正徳四年(一七一四)銘の釣鐘があったが第二次世界大戦のため供出


万徳寺
まんとくじ

[現在地名]瀬戸市塩草町

関尾山と号し、真宗高田派。本尊阿弥陀如来。親鸞門流荒木門徒の中心人物源海の弟子海円が関東から三河に来て、加茂郡越戸こしど(現豊田市)に道場を開いたことに始まり、正応元年(一二八八)に現在地へ移転した。赤津あかづの藤井姓は、この時、万徳寺とともに越戸から越してきた人々であるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「万徳寺」の解説

万徳寺

愛知県稲沢市にある真言宗の寺院奈良時代の創建と伝わる。多宝塔鎮守堂は国の重要文化財に指定されている。

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