1万坏あるいはそれに準ずる多くの灯明をともして,仏・神を供養する法会。単に万灯ともいわれる。繁栄安穏を祈り,懺悔滅罪のために個人あるいは国家などが行ったもので,万灯会に対して千灯会といわれる法会も行われた。日本では651年(白雉2)味経(あじふ)宮で2700余の灯を燃やしたという《日本書紀》孝徳天皇条の記載が初見で,744年(天平16)に東大寺の前身である金鐘寺で1万坏の燃灯供養を行った例が最も古い。光仁天皇の皇女酒人内親王は,生前,東大寺で〈万灯之会〉を行い,没後のための供養に充てたといい,平安時代に入ると諸大寺では年中行事の一つとして盛んに行われた。東大寺では11月に法華堂で千灯会が,12月には大仏殿で万灯会が行われ,薬師寺では3月,飛鳥元興(がんごう)寺では10月に行われた。高野山では832年(天長9)空海により始められ,1088年(寛治2)白河法皇の高野山参詣には,奥院で3万灯が献灯された。その他四天王寺や中尊寺,北野天満宮などでも行われた。《阿闍世(あじやせ)王受決経》には長者の万灯より貧者の一灯の功徳を強調しているが,江戸時代には庶人に1灯の献灯を勧めて万灯会が行われた。盂蘭盆(うらぼん)会の精霊の送り火なども,この万灯会と関係が深いといわれている。
執筆者:堀池 春峰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1万坏(はい)あるいはそれに準ずる多くの灯明を燃(も)して仏神を供養する法会。単に万灯ともいう。万灯会に対して千灯会といわれるものもあった。日本では651年(白雉2)味経(あじふ)宮で2700余の灯を燃し、僧尼をして読経せしめたが、744年(天平16)12月に東大寺の前身金鐘(こんしょう)寺で1万坏の燃灯供養を行ったのが万灯会の初例である。光仁(こうにん)天皇の皇女酒人内親王は、生前東大寺で万灯会を行い、平安時代になると東大寺では年中行事として毎年12月に大仏殿で行われた。薬師寺では878年(元慶2)に没した慧達(えたつ)により万灯会が創始されてから毎年3月に、飛鳥(あすか)元興寺(がんごうじ)では毎年10月に行われた。また高野山(こうやさん)では832年(天長9)に空海により始められ、京都の諸寺でも盛んに行われるに至った。たとえば908年(延喜8)10月の極楽(ごくらく)寺の万灯会、1006年(寛弘3)10月の藤原道長による法興(ほうこう)院の万灯会、1023年(治安3)3月の法成(ほうじょう)寺の万灯会などや、四天王寺、中尊寺、北野天満宮などでも行われた。『阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)』には長者の万灯よりも貧者の一灯の献灯を強調しているが、室町時代後期ころからは広く庶民に一灯の献灯を勧進(かんじん)して万灯会が行われるに至った。
[堀池春峰]
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