歌舞伎舞踊の一系統。江戸歌舞伎では,顔見世興行の初日から3日間の早朝および正月元日の午前中,また柿(こけら)落しに,能楽の《式三番》を移した儀式舞踊を演じた。この行事を〈翁渡し〉といった。翁を太夫元,千歳(せんざい)を若太夫,三番叟を座頭役者が勤めるもので,天下太平,五穀豊穣(ほうじよう),芝居繁盛を祈願する心であった。毎日儀式を行うわけにはいかないところから,下級俳優による略式の《三番叟》がつくられ,これを〈番立(ばんだち)〉といった。明治中期までは小劇場で開演前に演じられ,今日は地方の地芝居にその習慣が残っている。
これらの儀式曲から離れて,さまざまな変型が作られ,特に三番叟の踊りに工夫がこらされている。その嚆矢は寛永年間(1624-44)に猿若勘三郎(初世中村勘三郎)が踊った《乱曲三番叟》とされ,のちに志賀山流の流祖志賀山万作に伝えられて《志賀山三番叟》となり,志賀山流を継いだ初世中村仲蔵が1786年(天明6)に《寿世嗣三番叟》の名で復活させた。1812年(文化9)中村座における仲蔵二十三回忌追善に3世中村歌右衛門が踊った《再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)》(長唄,清元)は,この系統をひくもので,〈目出とう栄屋仲蔵を〉のくだりで舌を出すところから《舌出三番叟》の通称で,今日もたびたび上演されている。このような洒落っ気のある三番叟物は,《操三番叟》(本名題《柳糸引御摂(やなぎのいとひくやごひいき)》,長唄)のように操り人形の趣向で踊るもの,《四季三葉草(しきさんばそう)》(清元)のように千歳を女にするものなどがあり,さらには《廓三番叟》(長唄)のように傾城が翁,新造と幇間が千歳と三番になる茶番的な発想まで生まれる。《雛鶴三番叟》は古い長唄曲で女の踊り。《今様四季三番三》(長唄)は,曾我の二の宮が姫の姿で白旗を布晒しにするところから《晒三番》ともいう。《剣烏帽子(けんえぼし)三番叟》(長唄)は平維茂が剣烏帽子で踊る。ほかに,《翁草霜舞姫(おきなぐさしものまいひめ)》(《菊三番》,長唄),《子宝三番叟》《祝言式三番叟》(ともに常磐津),《鴫立沢虎礎(しぎたつさわとらのいしずえ)》(《朝比奈三番》,清元),《花誘劇場踊(はなさそうかぶきおどり)》(《櫓三番》,長唄),《翁千歳三番叟》(《外記三番》,長唄),《二人三番叟》(猿翁十種の一。義太夫),《松廼寿(まつのことぶき)翁三番叟》(河東節の復活曲)などがある。
執筆者:藤田 洋
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[歌舞伎・音楽の翁]
顔見世や柿(こけら)落しで演じる式楽としての〈翁渡し〉のほかに三番叟と称してさまざまな祝儀舞踊曲がある。能楽の翁舞を基調としつつ,翁より三番叟が曲の中心となり,一般には〈三番叟物〉の名称で呼ばれる。初世中村勘三郎から伝えられた《乱曲三番叟(らんぎよくさんばそう)》が,のちに《舌出三番叟》として伝わるほか,江戸時代を通じてさまざまなバリエーションが生まれた。…
※「三番叟物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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