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三職 さんしょく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三職
さんしょく

(1) 室町幕府の3管領 (細川斯波畠山) をさす場合もある (→三管四職 ) 。 (2) 慶応3 (1867) 年に設置された明治政府の政治機関で,総裁議定参与をいう。翌年1月 17日3職7科とし,次いで同2月3日3職8局に改めたが,閏4月 27日廃止。 (3) 明治4 (1871) 年8月 10日に設置された太政大臣,左右大臣参議総称

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百科事典マイペディアの解説

三職【さんしょく】

1867年明治政府が成立して,総裁・議定・参与の三職が創設された。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王,議定には皇族及び公卿・諸侯等,参与には岩倉具視(ともみ)以下の公卿と雄藩の藩士が就任。
→関連項目小御所会議

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世界大百科事典 第2版の解説

さんしょく【三職】

明治初年,政府により制定され,太政官制の布告によって廃止されるまで,約6ヵ月間存続した官制。1867年(慶応3)12月,王政復古大号令により,明治政府が成立するとともに,総裁,議定,参与の三職が設置された。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王が任ぜられて,国政を総理した。また議定には多くの皇族および公卿らが就任するとともに,参与には岩倉具視以下の公卿に加えて,尾張,越前,広島,土佐,薩摩の5藩の藩士らが着任した。

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大辞林 第三版の解説

さんしょく【三職】

王政復古により明治新政府の要職として設置された、総裁・議定・参与の総称。のち、太政大臣・納言(または左右大臣)・参議をも称した。
三管領の別名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三職
さんしょく

1867年(慶応3)12月9日から翌年閏(うるう)4月21日に至る間の、維新政府の中央組織。67年12月の王政復古によって誕生した維新政府は、摂政、関白、幕府などの統治機関を廃し、総裁、議定(ぎじょう)、参与からなる三職を置いた。三職は政策決定機構というべきで、着想の源泉は幕末の上下議院論にある。議定は上院に、参与は下院に相当する。したがって議定は上級廷臣、諸侯から、参与は下級廷臣ならびに西南雄藩の藩士から任命された。総裁が置かれ、有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が任命されたのは、明治天皇が弱年であったからであろう。なお、のちに副総裁が置かれて、三条実美(さねとみ)と岩倉具視(ともみ)が任命された。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに勝利を収め近畿、西日本を支配下に置いた維新政権は行政組織を必要とし、1868年(慶応4)正月17日、三職のもとに神祇(じんぎ)、内国、外国、海陸軍、会計、刑法、制度の七科を置いた(三職七科制)。科の長官たる総督には議定が、次官ないし高級官吏ともいうべき掛(かかり)には参与が任命された。2月3日、七科は廃され、八局となった(三職八局制)。七科はそれぞれ局(海陸軍のみは軍防と改称)となり、首位に総裁局が設置された。ここには、木戸孝允(たかよし)、小松帯刀(たてわき)、後藤象二郎(しょうじろう)、大久保利通(としみち)ら薩長土(さっちょうど)の有力藩士が顧問として任命された。有力藩士の政治指導が不十分ながら制度的に保証されたわけであり、中央集権的な色彩が強まったわけである。しかし、三職制はしょせん臨時の機構であり、閏4月21日に廃止されて、政体書に基づく太政官(だじょうかん)制がこれにかわった。[井上 勲]

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