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丸岡城 まるおかじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

丸岡城
まるおかじょう

福井県坂井市にある平山城。天正4 (1576) 年柴田勝豊の築城が初めという。その後,丹羽長秀,そして結城秀康の支城となり,江戸時代には本多氏,次いで有馬氏の居城として受け継がれて明治にいたった。

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百科事典マイペディアの解説

丸岡城【まるおかじょう】

福井県坂井市にある。1576年柴田勝豊が築城したもので霞ヶ城とも呼ばれ,1695年以降有馬氏の居城。天守は2重3階の石製本瓦ぶき(やぐら)の上に望楼をのせた形式で,犬山城天守に次いで古いものといわれる。
→関連項目丸岡[町]

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日本の城がわかる事典の解説

まるおかじょう【丸岡城〈山形県〉】

山形県鶴岡市にあった戦国時代から江戸時代にかけての城。県指定史跡鎌倉時代から天正年間(1573~91)まで庄内地方を支配した大宝寺武藤氏の支城。同地方は武藤氏のあと、上杉氏、次いで最上氏が領有し、丸岡城も最上氏の属城となった。1615年(元和1)の一国一城令により、城の楼閣は取り払われ、のちに廃城になった。1622年(元和8)の最上氏改易後、酒井氏が入部して庄内藩が成立したが、1632年(寛永9)、加藤清正の嫡子で肥後54万石の領主の加藤忠廣は幕府より領地を没収され、1万石の捨て扶持を与えられて庄内藩預かりとなった。酒井氏は廃城となっていた丸岡城を整備して、城内に忠廣と生母正応院の居館などを新築した。1653年(承応2)に忠廣が死去すると、1万石の領地は幕府領となり、丸岡城は再び廃城となり、城内の建物は移築され参勤交代の大名の休憩所や開墾場の建物として使われた。現在、城跡には内堀と外堀(一部は復元)や土塁の一部が残り、城域の北東の隅には同城の鎮守社だった御城稲荷がある。また再現された御殿庭園の泉(百間堀)には、太夫石、巫女石などの当時の庭石が残っている。城跡に隣接する天澤寺には加藤清正の墓碑がある。城跡は、清正の墓碑とともに山形県指定史跡になっている。JR羽越本線鶴岡駅から車。

まるおかじょう【丸岡城〈福井県〉】

福井県坂井市(旧坂井郡丸岡町)にあった平山城(ひらやまじろ)で、江戸時代には丸岡藩の藩庁が置かれた。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。天守が現存する城は日本国内に12あるが、丸岡城はそのうちの一つで、北陸地方では唯一の現存天守。また、石瓦を使った屋根をもつ現存天守としては日本最古である。天守は国の重要文化財に指定されている。丸岡市街の東にある独立丘陵に築かれた城だったが、近世の増築で丘の麓まで城域が広がり、その周囲に五角形の内堀がつくられた。越前の大部分を領有していた織田信長の重臣柴田勝家の甥柴田勝豊が、1576年(天正4)に豊原寺城に代わる新たな居城として築いた城である。勝家の居城である北ノ庄城(福井市)の支城としての役割を担った。1582年(天正10)の本能寺の変後に尾張の清洲城(愛知県清須市)で開かれた清洲会議で、勝豊は近江国の長浜城に移ることになり、丸岡城には勝家の城代安井家清が入城した。翌1583年(天正11)、勝家が羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に滅ぼされると、勝家の所領は丹羽長秀が引き継ぎ、長秀は青山宗勝(修理亮)を丸岡城主として入城させた。長秀死後、領地は秀吉の家臣となっていた青山宗勝とその子忠元にそのまま引き継がれたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍に与したため除封され、越前には徳川家康の次男結城秀康が初代福井藩主として入封し、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6000石で入城した。1612年(慶長17)、盛次は越前騒動に連座して失脚。福井藩の附家老本多成重が城主となった。1624年(寛永1)、福井藩2代目の松平忠直不行跡を理由に豊後配流になると、丸岡は福井藩より独立して丸岡藩が誕生。本多成重が初代藩主となった。1695年(元禄8)、本多氏が御家騒動で改易になると、有馬清純が入封し、以後、明治維新まで有馬氏6代が藩主をつとめた。1871年(明治4)、丸岡城は廃藩置県に伴い廃城となり天守以外のすべての建造物が解体された。残された天守は1901年(明治34)、旧丸岡町に買い戻されて解体を免れ、城跡は公園となった。1934年(昭和9)には、天守は国宝に指定されている。しかし、1948年(昭和23)の福井地震で倒壊、1955年(昭和30)に倒壊材を元通り組み直して修復された。本丸を囲んでいた五角形の内堀は、残念ながら大正後期から昭和初期にかけて徐々に埋められ消滅してしまった。ただし、この内堀を復元する計画もある。現在、城跡に残る遺構は、天守と石垣のみである。なお、城門が興善寺石川県小松市)と蓮正寺(あわら市)の山門として移築され現存するほか、坂井市内の民家に不明門と伝わる城門が現存している。JR北陸本線福井駅からバス約40分で丸岡城下車すぐ。◇霞ヶ城ともよばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

丸岡城
まるおかじょう

戦国末期~江戸期の城。福井県坂井(さかい)市丸岡町霞町(まるおかちょうかすみちょう)にある。福井平野の北東、丸岡盆地の丘陵(霞山)に築かれた平山城(ひらやまじろ)である。城は1576年(天正4)に柴田勝家(しばたかついえ)の甥(おい)勝豊(かつとよ)によって築かれた(75年説もある)。城主は次々とかわったが、1695年(元禄8)有馬清純(ありまきよずみ)が5万石で入城し、明治維新に至った。二重三層の天守閣は、初層大入母屋(いりもや)屋根上に回縁(まわりえん)勾欄(こうらん)付きの望楼をのせた、初期天守の形式がよく残されている。[小和田哲男]

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世界大百科事典内の丸岡城の言及

【丸岡[町]】より

…国道8号線とともに北陸自動車道が町内を南北に貫通,丸岡インターチェンジがある。【上田 雅子】
[丸岡城下]
 越前国の城下町。1576年(天正4)柴田勝家の甥勝豊の築城に始まる。…

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