井上八千代(読み)イノウエヤチヨ

デジタル大辞泉 「井上八千代」の意味・読み・例文・類語

いのうえ‐やちよ〔ゐのうへ‐〕【井上八千代】

日本舞踊京舞井上流の家元の名。現在は5世[1956~ ]。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上八千代」の意味・わかりやすい解説

井上八千代
いのうえやちよ

京舞井上流家元。

初世

(1767―1854)儒者井上敬助の妹サト。舞に優れ、仕えていた近衛(このえ)家から井菱(いびし)の紋を受け、八千代と名のり流祖となる。

[如月青子 2018年5月21日]

2世

(1790―1868)初世の姪(めい)アヤで、のち養女。能の金剛(こんごう)流の舞、人形浄瑠璃(じょうるり)の人形、歌舞伎(かぶき)からも摂取し井上流の基礎を固めた。

[如月青子 2018年5月21日]

3世

(1838―1938)2世の門弟。能の6世片山九郎右衛門(くろうえもん)の妻で本名片山春子。3世八千代を継承した後も、晩年まで本名で通していた。能観世流の影響を受け、人形浄瑠璃や歌舞伎からもさらに広く取り入れ、地唄(じうた)以外の作品も種々加えた。祇園(ぎおん)新地の舞の指導も行い、1872年(明治5)に行われた博覧会の余興の「都をどり」を振り付け、祇園との結び付きを固めた。

[如月青子 2018年5月21日]

4世

(1905―2004)3世の門弟。3世の孫片山博道(1907―1963)の妻で本名片山愛子。先代譲りの芸格を備え、規格正しく迫力ある舞が抜群。振付け作品数も100曲を超す。1955年(昭和30)重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。1975年文化功労者、1990年(平成2)文化勲章受章。2000年(平成12)5月に家元を孫の井上三千子(みちこ)に譲ったのち、井上愛子を名のる。

[如月青子 2018年5月21日]

5世

(1956― )4世の孫。前名井上三千子。父は9世片山九郎右衛門(1930―2015)、夫は9世観世銕之丞(かんぜてつのじょう)で本名観世三千子。1999年に芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞。2013年に紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章、2015年には人間国宝に認定された。

[如月青子 2018年5月21日]

『片山慶次郎編『井上八千代芸話』(1967・河原書店)』『遠藤保子著『京舞井上流家元 三世井上八千代』(1993・リブロポート)』

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20世紀日本人名事典 「井上八千代」の解説

井上 八千代(4代目)
イノウエ ヤチヨ

大正〜平成期の日本舞踊家 井上流家元(4代目)。



生年
明治38(1905)年5月14日

没年
平成16(2004)年3月19日

出生地
京都府京都市祇園

本名
片山 愛子(カタヤマ アイコ)

別名
名取名=井上 愛子(イノウエ アイコ)

学歴〔年〕
弥生小〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和26年〕,芸術祭賞〔昭和28年〕「雪まろげ」,NHK放送文化賞〔昭和46年〕,文化功労者〔昭和50年〕,勲三等宝冠章〔昭和51年〕,花柳寿応賞〔昭和60年〕,関西大賞(第3回)〔昭和63年〕,文化勲章〔平成2年〕

経歴
明治41年3歳の時に3代目八千代に入門。大正8年内弟子から養女となる。同年名取となり、井上愛子を名のる。12年祇園女紅場(芸妓養成所)舞踊科教師。昭和6年3代目の孫で能楽師片山博通と結婚。13年3代目の死去により家元代理となり、22年4代目を襲名。幼い頃から天才として評判で、たゆまぬ稽古により京舞井上流の古格を正確に伝承。能や歌舞伎などの様式を取り入れ一点一画のゆるぎをみせぬ所作の中に、足先や目線の微妙や動きで心の動きを表現し、最晩年に至っても高い品格とえもいわれぬ色気を持つ、深い味わいのある舞を披露した。23年祇園から門外不出といわれた井上流の舞踊会を東京で実現。また25年太平洋戦争で一時中断されていた“都をどり”が再開すると家元の立場で振付けや指導を行い、旧知の谷崎潤一郎や吉井勇らに脚本を書いてもらうなど、京都の春を代表する行事に育て上げた。30年人間国宝、32年芸術院会員、平成2年文化勲章受章。日本舞踊協会副会長も務めた。12年95歳の誕生日に孫の井上三千代に5代目と家元を譲り、再び井上愛子を名のった。得意曲に「長刀八島」「信乃」「山姥」「葵の上」「鉄輪」「海士」「虫の音」などがあり、地唄「鳥辺山」、義太夫「翁」などの振り付けを残した。著書に「井上八千代芸話」がある。


井上 八千代(3代目)
イノウエ ヤチヨ

明治〜昭和期の日本舞踊家 井上流3代目家元。



生年
天保9年2月1日(1838年)

没年
昭和13(1938)年9月7日

出生地
京都・堀川三条

本名
片山 春子(カタヤマ ハルコ)

別名
前名=井上 春

経歴
12、3歳頃から2代目井上八千代に師事、14歳で井上春を許され、明治5年都をどりが創始された時、振付けを担当、以来、祇園の舞の師匠として井上流を大成した。7年観世流の能役者片山九郎右衛門(6代目)と結婚。96歳から井上八千代を名乗る。昭和12年に100歳で「桶取」を舞った。

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改訂新版 世界大百科事典 「井上八千代」の意味・わかりやすい解説

井上八千代 (いのうえやちよ)

京舞井上流の家元。(1)初世(1767-1854・明和4-安政1) 本名井上さと。長州萩藩の浪人である儒者井上敬助の妹で,近衛家に仕え,舞を学ぶ。近衛家を退くとき〈井菱〉の紋を与えられ,それを定紋として井上流を成し,主人から賜った言葉から〈八千代〉を名のる。(2)2世(1790-1868・寛政2-明治1) 京都生れ。本名井上アヤ。敬助の娘で初世の姪に当たり,のち養女となる。金剛流の能や人形浄瑠璃から振りを取り入れて特色を出し,井上流の基礎を固めた。(3)3世(1838-1939・天保9-昭和14) 京都生れ。本名片山春子。初世,2世の門弟で,観世流能楽師6世片山九郎右衛門晋三の妻。地歌(じうた),義太夫物のほか,長唄,清元,常磐津物も加え,井上流を大きく発展させた。長年,祇園の舞の師匠として活躍し,1872年(明治5)〈都をどり〉を創始した。(4)4世(1905-2004・明治38-平成16)京都生れ。本名片山愛子。3世の門下で,師の孫である観世流能楽師片山博通の妻。1947年八千代襲名。重要無形文化財保持者,芸術院会員。芸風は厳格で,振付作品も多い。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「井上八千代」の解説

井上 八千代(3代目)
イノウエ ヤチヨ


職業
日本舞踊家

専門
京舞

肩書
井上流3代目家元

本名
片山 春子(カタヤマ ハルコ)

別名
前名=井上 春

生年月日
天保9年 2月1日

出生地
京都府 堀川三条

経歴
12、3歳頃から2代目井上八千代に師事、14歳で井上春を許され、明治5年都をどりが創始された時、振付けを担当、以来、祇園の舞の師匠として井上流を大成した。7年観世流の能役者片山九郎右衛門(6代目)と結婚。96歳から井上八千代を名乗る。昭和12年に100歳で「桶取」を舞った。

没年月日
昭和13年 9月7日 (1938年)

家族
夫=片山 九郎右衛門(6代目)(能楽師),養女=井上 八千代(4代目)

伝記
三世井上八千代―京舞井上流家元・祇園の女風土記 遠藤 保子 著(発行元 リブロポート ’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

百科事典マイペディア 「井上八千代」の意味・わかりやすい解説

井上八千代【いのうえやちよ】

京舞井上流家元。儒者井上敬助の妹が1800年ごろ近衛家から名を許されて創始。2世も宮中や近衛家に出入りした。3世〔1838-1938〕は祇園(ぎおん)に根をおろし〈都をどり〉を創始するなど活躍。4世〔1905-2004〕は3世の門弟で,舞の名手。1955年人間国宝。1990年文化勲章。5世〔1956-〕は4世の孫で2000年襲名。2013年紫綬褒章受章(5世)。
→関連項目上方舞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上八千代」の解説

井上八千代(5代) いのうえ-やちよ

1956- 昭和後期-平成時代の日本舞踊家。
昭和31年11月28日生まれ。4代井上八千代の孫。片山幽雪(9代片山九郎右衛門)の長女。9代観世銕之丞の妻。3歳のときから祖母に京舞井上流の稽古をうけ,昭和44年名取。平成11年芸術選奨,芸術院賞を受賞し,12年5代井上八千代を襲名。同年京都造形芸大教授に就任。25年芸術院会員。27年人間国宝。京都府出身。ノートルダム女学院高卒。本名は観世三千子。

井上八千代(4代) いのうえ-やちよ

1905-2004 大正-平成時代の日本舞踊家。
明治38年5月14日生まれ。能楽シテ方観世流の片山博通(8代片山九郎右衛門)の妻。片山幽雪(9代片山九郎右衛門)の母。明治41年3代井上八千代に入門,のち内弟子となる。京舞井上流の古格をまもり,昭和22年4代井上八千代を襲名。一点一画ゆるぎのない品位のたかい芸境をきずいた。27年芸術院賞。30年人間国宝,32年芸術院会員,平成2年文化勲章。12年家元をしりぞく。平成16年3月19日死去。98歳。京都府出身。本名は片山愛子。

井上八千代(3代) いのうえ-やちよ

1838-1938 幕末-昭和時代前期の日本舞踊家。
天保(てんぽう)9年2月1日生まれ。2代に師事。明治5年「都をどり」をふりつけた。7年観世流能楽師6代片山九郎右衛門と結婚。能と,長唄,常磐津(ときわず),清元曲をとりいれ,本行舞(ほんぎょうまい)を完成させた。96歳のとき井上八千代を名のる。昭和13年9月7日死去。101歳。京都出身。前名は井上春。本名は片山春子。

井上八千代(初代) いのうえ-やちよ

1767-1855* 江戸時代中期-後期の日本舞踊家。
明和4年生まれ。天明2年から近衛(このえ)家につとめ,曲舞(くせまい)や白拍子(しらびょうし)舞をまなんで指南した。寛政9年同家をしりぞく際,八千代の芸名と近衛菱(ひし)の紋をおくられ井上流をひらく。京都島原でも師匠をつとめた。安政元年12月5日死去。88歳。京都出身。本名はサト。

井上八千代(2代) いのうえ-やちよ

1791-1868 江戸時代後期の日本舞踊家。
寛政3年生まれ。初代井上八千代の姪(めい)。初代の養子となって2代を襲名。能の金剛流と人形浄瑠璃(じょうるり)の振りをとりいれ,舞の幅をひろげ,本行舞(ほんぎょうまい)を創始した。慶応4年3月1日死去。78歳。京都出身。本名はアヤ。

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朝日日本歴史人物事典 「井上八千代」の解説

井上八千代(3代)

没年:昭和13.9.7(1938)
生年:天保9.2.1(1838.2.24)
文化文政期(1804~1830)に礎が築かれた京舞井上流の3代目家元。大坂住吉の社家吉住彦兵衛の次女。観世流能楽師片山晋三の妻。本名片山春子。幼少のころ町の師匠に舞の手ほどきを受け,12,3歳ごろ井上流に入門。能や人形浄瑠璃の型を取り入れた直線的な舞を磨き上げ,その芸風は晩年まで本名で通すほどの厳格な性格を反映していた。井上流を京都の祇園に根付かせ,明治5(1872)年,「都をどり」を創始した。100歳で矍鑠たる舞を舞い,翌年大往生を遂げるが,のちに4代目となる片山愛子への厳しい稽古ぶりなど,並々ならぬ女傑ぶりを偲ばせる逸話は数多い。<参考文献>片山博道「京舞井上流のことゞも」(『上方』52号)

(丸茂祐佳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井上八千代」の意味・わかりやすい解説

井上八千代(1世)
いのうえやちよ[いっせい]

[生]明和4(1767)
[没]安政1(1854).12.5.
日本舞踊,京舞井上流家元。本名井上サト。儒者の兄敬助に養育され,また幼少より舞を習う。天明2 (1782) 年近衛家へ奉公に上がり,のちに舞を指南するようになった。寛政9 (1797) 年近衛家を辞し,一流を樹立。なお,八千代の名は近衛家から賜った「玉椿の八千代をかけて」の言葉に由来する。

井上八千代(4世)
いのうえやちよ[よんせい]

[生]1905.5.14. 京都
[没]2004.3.19. 京都
日本舞踊,京舞井上流家元。本名片山愛子。3世井上八千代の門弟となり,のち3世の孫で能楽師の博通と結婚。 1947年4世襲名。3世の高弟松本さだとともに,井上流を隆盛に導いた。 1955年重要無形文化財保持者。 1957年日本芸術院会員。 1975年文化功労者。 1990年文化勲章受章。

井上八千代(3世)
いのうえやちよ[さんせい]

[生]天保9 (1838).2.1.
[没]1938.9.7.
日本舞踊,京舞井上流家元。本名片山春子。2世井上八千代の門弟。観世流能楽師片山九郎右衛門の妻。明治5(1872)年都をどりの振り付けを創始し,京都祇園に井上流の地盤を築いた。

井上八千代(2世)
いのうえやちよ[にせい]

[生]寛政2(1790)
[没]慶応4(1868).3.1.
日本舞踊,京舞井上流家元。本名井上アヤ。1世井上八千代の兄敬助の娘で,1世の養女。天保9 (1838) 年頃,1世の剃髪後2世を襲名。能,人形浄瑠璃の型を取入れ,井上流の芸風を確立した。

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367日誕生日大事典 「井上八千代」の解説

井上 八千代(4代目) (いのうえ やちよ)

生年月日:1905年5月14日
昭和時代;平成時代の日本舞踊家
2004年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の井上八千代の言及

【京舞】より

…上方の舞は,朝廷に仕えた公家の女官などが手すさびにたしなんだ御殿舞から派生した舞と,大坂の歌舞伎から派生し,町師匠によって広められた座敷舞とがあり,京舞は前者の系統。幕末から明治初年にかけて,京の舞は篠塚流が盛んであったが,実力をそなえた統率者がおらずしだいに衰微し,明治に入って3世井上八千代の率いる井上流が隆盛を迎えて以来,京都はえぬきの流派は井上流だけとなった。したがって現在京舞といえば井上流の舞を指す。…

【都をどり】より

…花街舞踊。1872年(明治5)3世井上八千代が創始した。京都祇園町の舞妓,芸妓連中による観光舞踊で,現在は4月から5月にかけて催される。…

【猩々】より

…(4)江戸歌の曲名 長唄《寿二人猩々》を原曲として舞地に用いたもので,井上流に行われ,《猩々双の舞》とも《乱(双の舞)》ともいう。4世井上八千代振付。(5)一中節および山田流箏曲,清元の曲名 一中節は,1855年(安政2)8月,真国作詞,都一静作曲。…

※「井上八千代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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