日本大百科全書(ニッポニカ) 「京北」の意味・わかりやすい解説
京北
けいほく
京都府中央部、北桑田郡(きたくわだぐん)にあった旧町名(京北町(ちょう))。現在は京都市右京(うきょう)区の北部を占める一地区。旧京北町は1955年(昭和30)周山(しゅうざん)町と山国(やまぐに)、弓削(ゆげ)、黒田、宇津(うつ)、細野の5村が合併して成立。2005年(平成17)京都市に編入、右京区に編成。丹波(たんば)高地の南部に位置し、桂(かつら)川が中央を貫流している。中心地の周山の地名は明智光秀(あけちみつひで)が山城(やまじろ)を築いて周(しゅう)の武王の故事にちなんで周山城としたことによる。山国は中世禁裏御料(きんりごりょう)の山国荘(しょう)にあたり、戊辰(ぼしん)戦争の際、郷士たちの山国隊が東征に従軍したことから、京都の時代祭の先頭は山国隊と同装の鼓笛隊である。芹生(せりょう)は『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』寺子屋の段で知られている。旧町域の大部分は山地で、国道162号(周山街道)が南北に通じ、477号が東西に走る。主要な産業も林業で、京北磨き丸太を産する。北朝の光厳(こうごん)天皇が隠棲(いんせい)した常照皇寺(じょうしょうこうじ)の九重ザクラは国の天然記念物。片波川源流域一帯は巨大スギ群生の森で、京都府の自然環境保全地域に指定されている。
[織田武雄]
『『京北町誌』(1975・京北町)』