静岡県浜松市天竜区(てんりゅうく)佐久間町佐久間(左岸)と愛知県北設楽(きたしたら)郡豊根村(とよねむら)(右岸)との間の天竜川をせき止めたダム。堤高155.5メートル、堤長293.5メートル、有効貯水量2億0544万立方メートル、湖水面積7.15平方キロメートルで、上流端は約33キロメートル上流の長野県下伊那(しもいな)郡天竜村平岡に達する。天竜東三河特定地域総合開発の一環として電源開発により建設され、3年4か月の工期で1956年(昭和31)完成。日本における大型土木機械の導入による工法や多目的ダム建設の出発となった。建設にあたって248世帯が水没し、飯田線の付替え工事も行われた。佐久間発電所は最大出力35万キロワットの発電能力をもつ。また当時の電力需要急増に対応するために周波数を50ヘルツと60ヘルツに変換できる周波数変換所を付置し、関東にも関西にも送電できるようになっている。下流に位置する浜松市天竜区龍山町(たつやまちょう)戸倉の秋葉ダムは佐久間ダムの水量調節機能をもつダムで、支流大入(おおにゅう)川に沿う愛知県豊根村の新豊根ダムは佐久間ダムの上池として揚水発電を行い、112.5万キロワットの最大出力をもつ。佐久間ダムは豊富な水量と曲流する峡谷部を立地条件として建設されたが、周辺山地の崩壊や上流からの土砂送流により堆砂(たいさ)量も多く貯水能力は減少している。そのため、堆砂排除施設の整備など、ダムの有効利用のための処理が行われている。3万2000キロワットの第二発電所も1982年建設された。JR飯田線中部天竜駅から2.5キロメートル。
[北川光雄]
『日本人文科学会編『佐久間ダム――近代技術の社会的影響』(1958・東京大学出版会)』
静岡県浜松市の旧佐久間町と愛知県北設楽郡豊根村の境を流れる天竜川中流部にある発電専用の重力ダム。電源開発株式会社によって1953年4月着工,56年10月完成された。高さ155.5mは重力ダムとしては日本第3位を誇る。堤頂長293.5m,堤体積112万m3,貯水池(佐久間湖)の湛水(たんすい)面積7.15km2,総貯水量は3.3億m3(日本第6位),有効貯水量2.1億m3。所属の佐久間発電所の最大出力は35万kW,50Hzと60Hzの周波数調整器があり,関東,関西両地域に送電できる。25km下流の秋葉ダム(高さ84m)で,この発電所による流量の不均一をならしている。
佐久間ダム地点は昭和の初期から絶好な大ダムの適地として注目されていたが,急峻な谷で大きな洪水から守りながら工事をするのは容易でないこと,深さ30mの河床砂れきを掘削しなければならないことなどから実現せずにいた。その後,第2次世界大戦で荒廃した国土の再建を目ざして1950年に国土総合開発法が制定,災害の防除,食糧の増産と並んで電力開発がその柱として取り上げられ,52年電源開発促進法が生まれ,火力発電所と有効に連係される佐久間ダムをはじめとする貯水池式発電所の建設に取り組むことになった。佐久間ダムの建設にあたっては,従来の日本独自の工法では建設ができないとの判断のもとに,アメリカから大型建設機械および施工技術を導入,基礎掘削,仮排水トンネルの掘削などに大きな成果をあげ,その後のダム建設技術の発展に転機をもたらした。総工費は360億円であったが,そのうち水没家屋248戸,耕地42ha,山林486ha,道路その他の公共施設を含む補償費は40億円,国鉄(現JR)飯田線の付替工事に53億円で,あわせて約1/4を占める。最盛期には1万人が昼夜2交替で働いたが,94人の犠牲者を出した。岩波映画社の《佐久間ダム》は記録映画の秀作として記憶されている。なお,貯水池はその後建設された新豊根ダム(アーチダム,高さ116.5m)との間で行われる揚水発電(最大出力112.5万kW)の下池として利用されており,また佐久間発電所と秋葉ダムの間の15mの落差を利用した中小水力発電も行われている。最寄りの駅はJR飯田線中部天竜駅。
執筆者:柴田 功
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…25km下流の秋葉ダム(高さ84m)で,この発電所による流量の不均一をならしている。 佐久間ダム地点は昭和の初期から絶好な大ダムの適地として注目されていたが,急峻な谷で大きな洪水から守りながら工事をするのは容易でないこと,深さ30mの河床砂れきを掘削しなければならないことなどから実現せずにいた。その後,第2次世界大戦で荒廃した国土の再建を目ざして1950年に国土総合開発法が制定,災害の防除,食糧の増産と並んで電力開発がその柱として取り上げられ,52年電源開発促進法が生まれ,火力発電所と有効に連係される佐久間ダムをはじめとする貯水池式発電所の建設に取り組むことになった。…
…しかし,日本で建設工事の機械化が本格的となったのは,第2次大戦後,電源開発,治山治水事業が国土復興の柱として実施されるようになってからで,当初はアメリカ軍払下げの中型ブルドーザーが主力であったが,その後ブルドーザー,パワーショベル,スクレーパーおよびダンプトラックの国産化が進み,土木工事に広く使用されるようになった。なかでも,日本初の高さ150m級のダムである佐久間ダムの建設は,従来の日本の技術ではとても不可能と判断されていたものを,アメリカから大型建設機械および施工技術を導入,巨大な洪水量,30mにも及ぶ河床砂れきなどの障害を克服するとともに,ダム工法を革新した点でも画期的なものであった。
[建設機械の構成と特徴]
建設機械は,一般に原動機,動力伝達機構,作業装置,運転機構などから構成されている。…
…また,もし途中で地質の悪いところに遭遇するなどして部分掘削工法に変更しなければならなくなった場合,全断面掘削用設備を全部替えなければならず,このため,全断面掘削工法の採用の決定には地質がトンネルの予定全区間にわたって良好であることを事前の地質調査で十分確認しておく必要がある。佐久間ダム建設のためアメリカから導入された全断面掘削工法は,鋼アーチ支保工の使用,大型高能率な各種建設機械の導入など,トンネル技術を一変させる衝撃を与えた。それ以後,機材の国産化も進められ,全断面掘削は鉄道,道路,あるいは水力発電に伴うトンネル掘削にしばしば用いられるようになった。…
…ダムの形式もこのころから多様化し,日本最初の表面遮水壁型ロックフィルダムとして53年に石淵ダムが,同じく日本最初の中空重力ダムとして57年に井川ダム,アーチダムとして55年に上椎葉ダムが完成した。さらに56年に完成した佐久間ダムでは画期的な大型機械をアメリカから輸入して建設にあたり,大型機械による最新の施工技術を確立,その後多数の100m級の大ダムがつくられていった。 60年代に入ると,有利な水力地点が少なくなり,伸び続ける電力需要に対して発電原価の安い重油専焼の大容量火力発電が開発され,水力発電は負荷変動に対する即応性を利用するものに重点がおかれるようになって,揚水発電のダムが登場してきた。…
※「佐久間ダム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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