平安末期から鎌倉初期の歌人、随筆家、説話集編者。京の賀茂御祖(かもみおや)(下鴨(しもがも))神社の神官鴨長継(ながつぐ)の子。少年期には菊大夫(きくだいぶ)といわれる。長明(ながあきら)と読むのが正しいが、普通、音読して長明(ちょうめい)とよぶ。出家後の法名は蓮胤(れんいん)。
父は河合社(かわいしゃ)(下鴨神社の付属社)の禰宜(ねぎ)を経て、若くして下鴨神社の最高の神官、正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)を務めたほどの有能な人物であったが、長明20歳前後のころに早世する。「みなしご」(『無名抄(むみょうしょう)』『源家長日記』)となった長明は和歌を源俊頼(としより)の子俊恵(しゅんえ)に、琵琶(びわ)を中原有安に学ぶ。30代に勅撰(ちょくせん)集『千載(せんざい)和歌集』(1187成立)に1首入集(にっしゅう)、初めて勅撰歌人となる。以後『正治(しょうじ)二年院第二度百首』(1200成立)のほか、多くの歌合(うたあわせ)に出席、歌人としての活躍が目だつ。1201年(建仁1)、後鳥羽院(ごとばいん)の命により和歌所が再興され、長明も寄人(よりゅうど)(職員)に任命されるに至る。藤原定家(ていか)や藤原家隆(いえたか)などの有力な専門歌人とも交じり合い、「まかり出づることもなく、夜昼、奉公おこたらず」(『源家長日記』)といわれるほどまで熱心に勤務、長明にとっても生涯のなかでもっとも光栄に満ち、充実した時期でもあった。長明の精勤ぶりを後鳥羽院は目に留め、父長継ゆかりの河合社の神官に推挙しようとするが、同族の鴨祐兼(すけかね)の反対によって実現せず、失意の長明は出家してしまう。『方丈記』(1212成立)の記述によれば50歳ごろのことと推定される。その後、大原(洛北(らくほく)、西山の両説あり)に隠棲(いんせい)、さらに知友の禅寂(ぜんじゃく)(藤原長親(ながちか))らの縁で日野法界寺(ほうかいじ)の近辺に移り、方丈の庵(いおり)を構え、建保(けんぽう)4年閏(うるう)6月8日ごろ、当地で没したと推定される。この日野在住時代には、鎌倉への下向、および源実朝(さねとも)との面談、『方丈記』の執筆などが行われた。
代表作『方丈記』は、世の無常と方丈の庵の平安を流麗な和漢混交文で描いたもので、後の兼好の『徒然草(つれづれぐさ)』(1331ころ成立)と並ぶ、隠者文学の双璧(そうへき)をなす。歌論書『無名抄』(1211以後の成立か)、仏教説話集『発心集(ほっしんしゅう)』(1215ころ成立か)などの著作のほか、家集『鴨長明集』(1181成立)があり、『千載和歌集』に1首、『新古今和歌集』(1205成立)に10首入集。
[浅見和彦]
『簗瀬一雄編『鴨長明全集』全1巻(1956・風間書房)』▽『三木紀人校注『新潮日本古典集成 方丈記・発心集』(1976・新潮社)』
鎌倉初期の歌人,文人。中世隠者の代表的人物の一人。法名蓮胤(れんいん)。京都下鴨神社の禰宜鴨長継の次男。7歳で従五位下となり二条天皇中宮高松院の北面に伺候するなど恵まれた幼少期を過ごしたが,1173年(承安3)19歳のころ父(35歳)を失って以後曲折多い生涯を送った。芸術的才能に富み,和歌は若くより俊恵主宰の結社〈歌林苑〉最末期の会衆に加わり,琵琶は楽所預中原有安に学び,ともに熱心に指導をうけた。81年(養和1)《鴨長明集》を自撰。1200年(正治2)後鳥羽院主催の〈正治二年院第二度百首〉の作者に加えられ,翌年《新古今集》撰進のため院が再興した和歌所(わかどころ)の寄人(よりうど)に選ばれて諸歌合に活躍,精勤ぶりに好意を抱いた院は亡父の旧職たる下鴨神社末社の河合社の禰宜に長明を任じようとしたが,下鴨神社惣官鴨祐兼の反対により成らず,04年(元久1)50歳で失踪遁世した。洛東大原で5年を送った後,08年ごろ洛南の日野に方丈の草庵を構え数寄を愛する生活を送った。11年鎌倉へ下向,源実朝に謁する。この年,歌論書《無名(むみよう)抄》,翌年随筆《方丈記》を執筆。説話集《発心(ほつしん)集》の完成は14年ごろ。《方丈記》《発心集》を通じて強烈な意志に支えられた遁世者の生きざまに憧憬を抱きながら,それに徹底しえないみずからの心の弱さを凝視告白している点が彼の魅力となっている。《新古今集》に10首入集。
執筆者:村上 学
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(三角洋一)
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1155?~1216.閏6.-
鎌倉前期の歌人。京都下鴨社の禰宜(ねぎ)鴨長継の次男。通称菊大夫。名は正しくは「ながあきら」。和歌を歌林苑の主宰者俊恵に,琵琶を中原有安に学んだ。1200年(正治2)後鳥羽上皇の「正治二度百首」に参加。01年(建仁元)和歌所寄人(よりうど)に抜擢された。04年(元久元)河合社の禰宜に就任しようとしたがはたせず出家(「文机談」の伝える異説もある),大原で隠遁生活を送る。法名蓮胤。08年(承元2)日野に移住。11年(建暦元)飛鳥井雅経とともに鎌倉に下向し源実朝と面談した。翌年3月「方丈記」を執筆。家集「鴨長明集」,歌学書「無名抄(むみょうしょう)」,仏教説話集「発心集(ほっしんしゅう)」。
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…偽りを正す神として朝野の信仰が厚く,《源氏物語》では光源氏も須磨退去に際し,参詣し〈憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば糺の神にまかせて〉と詠んでいる。また鴨長明はこの社の禰宜(ねぎ)に補せられることを願って果たさず,世をはかなんで遁世した。中世には森のはずれの糺河原で,勧進猿楽その他の芸能が盛んに興行された。…
…鎌倉時代の随筆。鴨長明(法名蓮胤)著。1212年(建暦2)成立。…
…鎌倉前期の説話集。鴨長明の編。〈発心〉とは,〈菩提心(ぼだいしん)(さとりを求める心)〉をおこすこと。…
…鴨長明が1211年(建暦1)以後に書いた晩年の歌論書。別名《無名秘抄》《長明無名抄》など。…
※「鴨長明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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