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鴨長明 かものちょうめい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鴨長明
かものちょうめい

[生]久寿2(1155)頃.
[没]建保4(1216).閏6.8. 京都
鎌倉時代前期の歌人,随筆家。賀茂御祖 (みおや) 神社の禰宜 (ねぎ) 長継の次男。従五位下に叙せられ,南大夫または菊大夫と呼ばれた。琵琶を中原有安に,和歌を俊恵 (しゅんえ) に学ぶ。後鳥羽上皇の和歌所設置に伴い,寄人 (よりうど) に選ばれ,多くの歌会,歌合に参加。

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デジタル大辞泉の解説

かも‐の‐ちょうめい〔‐チヤウメイ〕【鴨長明】

[1155~1216]鎌倉前期の歌人。通称、菊大夫。名は「ながあきら」とも読む。京都下鴨神社禰宜(ねぎ)の家に生まれ、のちに社司に推挙されたが実現せず、失意のうちに出家。山城国日野の外山(とやま)に方丈の庵(いおり)を結び、隠遁生活を送った。著「方丈記」「発心(ほっしん)集」「無名抄」など。

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百科事典マイペディアの解説

鴨長明【かものちょうめい】

鎌倉初期の歌人,文人。中世隠者の代表的人物の一人とされる。賀茂神社の社家の出。和歌を俊恵に学び,後鳥羽院に歌才を認められ,和歌所寄人となり,《新古今和歌集》にも入集。
→関連項目海道記歌林苑東関紀行源家長日記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鴨長明 かもの-ちょうめい

1155?-1216 平安後期-鎌倉時代の歌人。
久寿2年?生まれ。父は京都下鴨神社の神職。琵琶(びわ)や和歌にすぐれ,後鳥羽(ごとば)上皇の和歌所寄人(よりゅうど)にとりたてられる。元久元年下鴨河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)に推されたが,一族の反対で実現せず出家。大原へ隠棲(いんせい)後,日野に方1丈の庵をむすぶ。「千載和歌集」に1首,「新古今和歌集」に10首はいる。建保(けんぽ)4年閏(うるう)6月8日死去。62歳?通称は菊大夫。法名は蓮胤。著作に「方丈記」「発心(ほっしん)集」「無名(むみょう)抄」。
【格言など】ゆく河の流れは絶えずして,しかも,もとの水にあらず(「方丈記」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

鴨長明

没年:建保4.閏6.8(1216.7.24)
生年:久寿2(1155)
平安後期・鎌倉初期の歌人,随筆家,文学者。名は「ながあきら」と読むのが正しく,法名は蓮胤。下鴨社正禰宜惣官長継の子。7歳で従五位下に叙爵されるが,18歳のころ有力な保護者の父を亡くすなどし,和歌と琵琶の道に進む。琵琶は師の楽所預中原有安に将来を嘱望され,和歌ははじめ勝命,のち俊恵に師事,養和1(1181)年ごろ『鴨長明集』を編む。文治2(1186)年かその翌年には紀行『伊勢記』を著したというが,散逸。正治2(1200)年,後鳥羽院第二度百首の歌人に選ばれ,翌年『新古今集』編纂のための和歌所寄人となり精勤するが,河合社の禰宜職に惜しくも就けなかったため,元久1(1204)年,50歳で遁世する。また57歳の年,飛鳥井雅経の推挙により鎌倉に下向,将軍源実朝に面会したが,和歌の師範には迎えられずに終わった。 建暦2(1212)年成立の主著『方丈記』は人とすみかの無常を主題とし,仏教に照らして内省を深めたエッセーで,安元3(1177)年の大火,治承4(1180)年の辻風と福原遷都による混乱,養和1(1181)年からの飢饉,文治1(1185)年の大地震のいわゆる五大災厄を描く部分は,見聞体験と実感にもとづく視覚的,迫真的な描写として高く評価される。さらに閑居静処し少欲知足する境涯を謳歌したのち,自らを問い詰めて黙止して終わる構成には,漢字交じり片仮名文による深い思索のあとが見られ,すぐれた教戒の文学となっている。また同時期の歌論書『無名抄』は約80段の歌話からなり,師の俊恵の歌論がうかがえ,新古今時代の歌風をめぐる論議もあって注目される。同じく同時期の仏教説話集『発心集』全8巻は約100話を収め,発心,往生や修行,数奇にまつわる説話には随想や批評を伴うことが多く,長明の人間性をうかがうのによい。『千載集』以下の勅撰集に25首入集。

(三角洋一)

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世界大百科事典 第2版の解説

かものちょうめい【鴨長明】

1155?‐1216(久寿2?‐建保4)
鎌倉初期の歌人,文人。中世隠者の代表的人物の一人。法名蓮胤(れんいん)。京都下鴨神社の禰宜鴨長継の次男。7歳で従五位下となり二条天皇中宮高松院の北面に伺候するなど恵まれた幼少期を過ごしたが,1173年(承安3)19歳のころ父(35歳)を失って以後曲折多い生涯を送った。芸術的才能に富み,和歌は若くより俊恵主宰の結社〈歌林苑〉最末期の会衆に加わり,琵琶は楽所預中原有安に学び,ともに熱心に指導をうけた。81年(養和1)《鴨長明集》を自撰。

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大辞林 第三版の解説

かものちょうめい【鴨長明】

1155頃~1216) 鎌倉初期の歌人・随筆作者。下鴨神社の禰宜ねぎ長継の次男。俗名、長明ながあきら。法名、蓮胤。和歌を俊恵に学び、和歌所寄人となる。父祖の務めた河合社かわいしやの神官を望んでかなわず、五〇歳頃出家。著「方丈記」「無名抄」「発心集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鴨長明
かものちょうめい
(1155?―1216)

平安末期から鎌倉初期の歌人、随筆家、説話集編者。京の賀茂御祖(かもみおや)(下鴨(しもがも))神社の神官鴨長継(ながつぐ)の子。少年期には菊大夫(きくだいぶ)といわれる。長明(ながあきら)と読むのが正しいが、普通、音読して長明(ちょうめい)とよぶ。出家後の法名は蓮胤(れんいん)
 父は河合社(かわいしゃ)(下鴨神社の付属社)の禰宜(ねぎ)を経て、若くして下鴨神社の最高の神官、正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)を務めたほどの有能な人物であったが、長明20歳前後のころに早世する。「みなしご」(『無名抄(むみょうしょう)』『源家長日記』)となった長明は和歌を源俊頼(としより)の子俊恵(しゅんえ)に、琵琶(びわ)を中原有安に学ぶ。30代に勅撰(ちょくせん)集『千載(せんざい)和歌集』(1187成立)に1首入集(にっしゅう)、初めて勅撰歌人となる。以後『正治(しょうじ)二年院第二度百首』(1200成立)のほか、多くの歌合(うたあわせ)に出席、歌人としての活躍が目だつ。1201年(建仁1)、後鳥羽院(ごとばいん)の命により和歌所が再興され、長明も寄人(よりゅうど)(職員)に任命されるに至る。藤原定家(ていか)や藤原家隆(いえたか)などの有力な専門歌人とも交じり合い、「まかり出づることもなく、夜昼、奉公おこたらず」(『源家長日記』)といわれるほどまで熱心に勤務、長明にとっても生涯のなかでもっとも光栄に満ち、充実した時期でもあった。長明の精勤ぶりを後鳥羽院は目に留め、父長継ゆかりの河合社の神官に推挙しようとするが、同族の鴨祐兼(すけかね)の反対によって実現せず、失意の長明は出家してしまう。『方丈記』(1212成立)の記述によれば50歳ごろのことと推定される。その後、大原(洛北(らくほく)、西山の両説あり)に隠棲(いんせい)、さらに知友の禅寂(ぜんじゃく)(藤原長親(ながちか))らの縁で日野法界寺(ほうかいじ)の近辺に移り、方丈の庵(いおり)を構え、建保(けんぽう)4年閏(うるう)6月8日ごろ、当地で没したと推定される。この日野在住時代には、鎌倉への下向、および源実朝(さねとも)との面談、『方丈記』の執筆などが行われた。
 代表作『方丈記』は、世の無常と方丈の庵の平安を流麗な和漢混交文で描いたもので、後の兼好の『徒然草(つれづれぐさ)』(1331ころ成立)と並ぶ、隠者文学の双璧(そうへき)をなす。歌論書『無名抄』(1211以後の成立か)、仏教説話集『発心集(ほっしんしゅう)』(1215ころ成立か)などの著作のほか、家集『鴨長明集』(1181成立)があり、『千載和歌集』に1首、『新古今和歌集』(1205成立)に10首入集。[浅見和彦]
『簗瀬一雄編『鴨長明全集』全1巻(1956・風間書房) ▽三木紀人校注『新潮日本古典集成 方丈記・発心集』(1976・新潮社)』

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世界大百科事典内の鴨長明の言及

【糺森】より

…偽りを正す神として朝野の信仰が厚く,《源氏物語》では光源氏も須磨退去に際し,参詣し〈憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば糺の神にまかせて〉と詠んでいる。また鴨長明はこの社の禰宜(ねぎ)に補せられることを願って果たさず,世をはかなんで遁世した。中世には森のはずれの糺河原で,勧進猿楽その他の芸能が盛んに興行された。…

【方丈記】より

…鎌倉時代の随筆。鴨長明(法名蓮胤)著。1212年(建暦2)成立。…

【発心集】より

…鎌倉前期の説話集。鴨長明の編。〈発心〉とは,〈菩提心(ぼだいしん)(さとりを求める心)〉をおこすこと。…

【無名抄】より

鴨長明が1211年(建暦1)以後に書いた晩年の歌論書。別名《無名秘抄》《長明無名抄》など。…

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