改訂新版 世界大百科事典 「信徳丸」の意味・わかりやすい解説
信徳丸 (しんとくまる)
説経節の曲名。古説経の一つで上中下の3巻から成る。河内国高安郡信吉(のぶよし)長者の一子信徳丸は,継母の呪いを受けて癩になり,天王寺の南門念仏堂に捨てられるが,いいなずけの乙姫の献身と清水観音の利生(りしよう)によりもとの身によみがえるというのがその内容である。天王寺西門(さいもん)の前の引声(いんぜい)堂(念仏堂)や後(うしろ)堂にたむろした説経師によって語られたもので,業病におかされた信徳丸を抱きとり,天王寺七村を袖乞い(そでこい)する乙姫の姿は最も印象に残る。この語り物は母子神信仰に由来する女性の庇護と育成の愛を描いたもので,源流は死と復活の成年式儀礼を物語化した大国主命の求婚神話にまでさかのぼることができる。
信徳丸のイメージの前身には,《今昔物語集》巻四〈拘拏羅(くなら)太子,眼を抉(くじ)り,法力に依って眼を得たる語〉がある。この話は継母の邪恋をしりぞけて追放された太子が,父大王の命令と思い誤って,みずからの眼を抉り捨てる悲劇で始まる。妻を連れた放浪の末に父大王と再会した太子は,羅漢の説法に集まった人々の涙を集めて,その涙で眼を洗って開眼する。純粋に仏教的な霊験を語る話ではあるが,継母の讒言や奸計によって盲目となる太子には,後の信徳丸の面影がある。能の《弱法師(よろぼし)》もまた忘れてはならぬ作である。さる人の讒言とあって継母の姿はないが俊徳丸の名が見え,天王寺の西門,右の鳥居を舞台とする日想観(につそうかん)信仰が取り入れられ,盲目の俊徳丸の心眼に映る四方の景観が,そのまま悉皆(しつかい)成仏の浄土を思わせる美しさに輝く。盲目なるがゆえに可能な法悦としてそれは描かれており,開眼ではなく,盲目を選びとることによって即身成仏的な至福の世界を心眼に納めとるという逆の演出法に成果を示している。《今昔》の系譜や,能の《弱法師》を踏まえて,説経《信徳丸》は構想されているが,乙姫という女性の活躍や開眼の奇跡に趣向の中心を置きながらも,引声堂に籠る盲目の信徳丸の閉ざされた世界に《弱法師》の俊徳丸との深い因縁を見いだす。近世の浄瑠璃《摂州合邦辻》における俊徳丸は,説経の信徳丸の分身としての位置を占めている。近代になると,折口信夫は小説《身毒丸》(1917-23稿)を描いているが,癩にむしばまれていく田楽法師身毒丸の美形に重ねて,旅に生きる芸人のはかなさや,芸に賭ける執念のようなものをとらえており,罪深く重苦しいなかにも華やかな哀れさを包みこんだ世界となっている。
執筆者:岩崎 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報