吉沢検校(読み)ヨシザワケンギョウ

デジタル大辞泉 「吉沢検校」の意味・読み・例文・類語

よしざわ‐けんぎょう〔よしざはケンゲウ〕【吉沢検校】

[1808?~1872]江戸末期の箏曲そうきょく家。2世。尾張の人。幕末期の復古的な精神を反映した純箏曲作曲し、新しい調弦法を工夫した。作品に「千鳥の曲」「春の曲」「夏の曲」などの古今組こきんぐみ5曲など。

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精選版 日本国語大辞典 「吉沢検校」の意味・読み・例文・類語

よしざわ‐けんぎょう【吉沢検校】

  1. 箏曲家。尾張の人。二世。名は審一(しんのいち)天保八年(一八三七検校となる。作品は雅楽の調弦法をとり入れた純箏曲の古今組五曲、新古今組四曲など。明治五年(一八七二)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉沢検校」の意味・わかりやすい解説

吉沢検校 (よしざわけんぎょう)

盲人音楽家。(1)初世儀一(?-1841(天保12)) 愛知県(尾張国)佐屋町明通寺住職の子。前名古川勾当(こうとう)。1831年(天保2)検校登官。(2)2世審一(しんのいち)(1801か08-72・享和1か文化5-明治5) 初世の子。主として名古屋で活躍,京都に移住。1819年(文政2)勾当,34年(天保5)検校登官。初名古川花の一。中村検校(1799年登官,平曲は荻野検校門下)やその師の藤田勾当にも師事し,地歌・箏曲・胡弓および平曲を習得。雅楽や国学和歌漢学にも通じ,光崎検校私淑し,和歌を歌詞とした新形式の箏組歌を作曲。《千鳥の曲》の後歌を除いて,《古今和歌集》から採っているので,古今組(《春の曲》《夏の曲》《秋の曲》《冬の曲》《千鳥の曲》),古今新組(《山桜》《唐衣》《初瀬川》《新雪月花》)と呼ばれている。この古今組の作曲にあたって考案した調弦は,古今調子と称し,雅楽の盤渉調(ばんしきちよう)をヒントにした雅俗折衷の調弦である。このほか《千鳥の曲》とともに胡弓本曲ともされる《蟬の曲》や,《新山姥》《玉くしげ》《深山木》《捨扇》などの三味線曲(箏その他の手付もある)の作曲もある。門下に駒井検校,吉山勾当,小松景和などがいる。名古屋で箏曲が興隆,また平曲も伝承される礎を築いた。なお,その子の代に国文学者吉沢義則が木村家から入籍。
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朝日日本歴史人物事典 「吉沢検校」の解説

吉沢検校(2代)

没年:明治5.5.19(1872.6.24)
生年:文化5.10.2(1808.11.19)
幕末に活躍した箏曲家。父は初代吉沢検校(尾張国海部郡日置村明通寺住職北条義照の子とされる)。初名は古川花の一。天保5(1834)年父を師として検校になり,父の没後吉沢審一と改名。平曲,地歌箏曲,胡弓のほか,雅楽を浄心寺住職羽塚秋楽に,国学と和歌を島津神社神官氷室長翁に学び,秦松州,奥田亮斎から漢学も修得。嘉永5(1852)年尾張盲人支配頭となり,毎年藩主祖祭に平曲を献奏。光崎検校に私淑し,その路線を推進した。『古今集』『新古今集』の和歌をそのまま歌詞とし,古今調子,半楽調子,想夫恋調子など新調弦を用いた新形式の箏組歌,古今組(「春の曲」「夏の曲」「秋の曲」「冬の曲」「千鳥の曲」,ただし「千鳥の曲」の後歌のみ『金葉集』による),古今新組(「山桜」「唐衣」「初瀬川」「新雪月花」)を作曲した。ほかに「玉くしげ」「深山木」や,胡弓入りの「蝉の曲」がある。小松景和をはじめとする箏曲界の重要人物を100人以上育成した。享和1(1801)年10月2日生まれ,明治5(1872)年9月19日没という説もある。<参考文献>平野健次監修・解説レコードアルバム『箏曲地歌大系』

(久保田敏子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉沢検校」の意味・わかりやすい解説

吉沢検校
よしざわけんぎょう
(1801/1808―1872)

江戸末期の生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)・地歌(じうた)の演奏家、作曲家。2世。初世吉沢検校(生没年不詳)の子。都名(いちな)は審一(しんのいち)。名古屋で生まれ、9歳で失明。父や藤田検校に箏曲・地歌、中村検校に平曲などを師事。1834年(天保5)検校登官後、雅楽、和歌、国学なども学んだ。尾張(おわり)藩主にも重用され、40代で尾州の盲人支配頭に列せられて五人扶持(ぶち)を得、藩主の祭祀(さいし)のおりにはつねに平曲を語った。55年(安政2)ごろ京都に移って光崎(みつざき)検校らの箏曲復古運動を受け継ぎ、雅楽の調子からヒントを得て古今調子などの独特な箏の調子を考案し、和歌を詞章とする新形式の箏組歌を生み出した。作品に古今組五曲(『千鳥(ちどり)の曲』『春の曲』『夏の曲』『秋の曲』『冬の曲』)や古今新組四曲(『山桜』『唐衣(からごろも)』『初瀬川』『新雪月花』)などがあるが、その斬新(ざんしん)的芸術活動は封建的箏曲地歌界からは敬遠され、不遇のまま没した。

[平山けい子]

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百科事典マイペディア 「吉沢検校」の意味・わかりやすい解説

吉沢検校【よしざわけんぎょう】

地歌・箏曲家。名古屋生れ。9歳で失明。名は審一。古川勾当花ノ一から,1834年検校となり,のち2世吉沢と改姓。父の初世吉沢検校および荻野検校門下の中村検校などから平曲,地歌・箏曲,胡弓を学ぶ。1862年以後京都に移住。光崎検校に私淑し,新調弦による新形式の箏組歌を工夫。《千鳥の曲》《冬の曲》などの〈古今組(こきんぐみ)〉5曲,《山桜》《新雪月花》などの〈古今新組(こきんしんくみ)〉4曲を作曲。地歌・箏曲・胡弓曲の作曲・編曲も数多い。門人は尾張を中心に100人余に及んだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉沢検校」の意味・わかりやすい解説

吉沢検校
よしざわけんぎょう

[生]享和1(1801)/文化5(1808).10.2. 尾張
[没]明治5(1872).9.19. 京都
地歌箏曲の作曲,演奏で知られる音楽家。平曲の演奏,伝承も行なった。明通寺住職義照の孫で,父は古川勾当 (初代吉沢検校儀一) と伝えられる。文化 13 (1816) 年失明,初名古川花の一,天保2 (31) 年勾当,同5年検校となり,のちに吉沢審一と改名。藤田検校門下の中村検校に師事。嘉永5 (52) 年尾張の盲人支配頭となる。京都の光崎検校の影響を受けて,新しい組歌形式の箏曲『古今組』5曲,『古今新組』4曲を作曲。古今調子,新古今調子などの新調弦を創案。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉沢検校」の解説

吉沢検校(2代) よしざわけんぎょう

1808-1872 江戸後期-明治時代の箏曲(そうきょく)家。
文化5年10月2日生まれ。父の初代吉沢検校に師事し,天保(てんぽう)5年検校となる。中村検校らに箏曲,地歌,胡弓,平曲をまなぶ。国学,雅楽,和歌にも通じ,光崎検校に私淑。「古今和歌集」の和歌を歌詞とした新形式の箏組歌(ことくみうた)「古今組」を作曲した。明治5年5月19日/9月19日死去。65歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。名ははじめ花の一,のち審一。

吉沢検校(初代) よしざわけんぎょう

?-1842 江戸時代後期の箏曲(そうきょく)家。
尾張(おわり)(愛知県)海東郡日置(ひき)村の明通寺住職の子。天保(てんぽう)2年検校になり,古川姓から吉沢姓にあらためた。天保13年3月19日死去。名は儀一。

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367日誕生日大事典 「吉沢検校」の解説

吉沢 検校(2代目) (よしざわ けんぎょう)

生年月日:1808年10月2日
江戸時代;明治時代の箏曲家
1872年没

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世界大百科事典(旧版)内の吉沢検校の言及

【秋の曲】より

…箏曲。2世吉沢検校作曲。手事(てごと)は松阪春栄補作。…

【千鳥の曲】より

…箏曲の曲名。吉沢検校審一(しんのいち)作曲の古今組5曲の一つ。歌詞は,前歌に《古今集》賀の部の読人しらずの歌を,後歌に《金葉集》冬の部の源兼昌の歌を用いる。…

【春の曲】より

…箏曲の曲名。吉沢検校作曲の古今組。手事および替手は松阪春栄(まつさかはるえ)(1854‐1920)が補作。…

※「吉沢検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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