光林寺(読み)こうりんじ

日本歴史地名大系 「光林寺」の解説

光林寺
こうりんじ

[現在地名]玉川町畑寺

清水きよみずにあり、摩尼山宝塔院光林寺と称する。高野山真言宗本尊は不動明王。文武天皇勅願寺として大宝元年(七〇一)開山と伝えられ、当時は本堂方丈のほか大日堂・二重宝塔・釈迦堂・鎮守堂・鐘楼・経蔵・仁王門白山はくさん権現などが建立されていたという(「奈良原山略縁起」光林寺蔵)

寺の位置は、山岳信仰の中心である楢原ならばら山と府中を結ぶ中間地点にあり、山頂の蓮華寺(廃寺)とともにその中継地として創建されたという。


光林寺
こうりんじ

[現在地名]石鳥谷町中寺林

中寺林なかてらばやしの西部にあり、林長山と号し、時宗。本尊阿弥陀如来。寺林城主河野通重の子通次が従兄にあたる時宗開祖一遍に帰依し、弘安三年(一二八〇)念仏道場を開いたのが始まりと伝える(邦内郷村志)。天正一八年(一五九〇)九月二八日の浅野長吉寄進状(石鳥谷光林寺文書)によれば、寺領として「田地壱町畠壱町并居屋敷」などが寄進されている。


光林寺
こうりんじ

[現在地名]和賀町長沼

和賀川北岸、長沼ながぬま集落の中央にある。玄賀山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。「邦内郷村志」に「光林寺、元可山、浄土真宗西方」とみえる。寺伝によると、永正二年(一五〇五)岩崎いわさき城主和賀主馬政親の家臣武田玄賀が吉水よしみず御坊(現京都市東山区)で教導を受け発心出家し、浄智の法号を賜って岩崎村に帰り、坂水さかみずに草庵を建立し玄賀山と称した。


光林寺
こうりんじ

[現在地名]川西町大字保田

曾我そが川右岸に位置。将照山と号し、真宗仏光寺派。寺伝によれば、南北朝時代に空信によって伴堂ともんど(現三宅町)に創建された安養あんよう寺を天正一一年(一五八三)保田ほたに移して光林寺と改め、信旭を開基として真宗に転じ、仏光寺派に属したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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