日本歴史地名大系 「八日町」の解説
八日町
ようかまち
十日町の南端から西に延びる町。同町に続く羽州街道の両側町で、西は同じく街道沿いに
最上義光は山形城下建設にあたって当地を重視、多くの寺社を配した。当初
八日町
ようかまち
当町は城の南東にあたる商業街の中心地で、「此町へ入ると向ふに八日町見附見ゆ、呉服屋・薬種屋・合羽屋などあり、府中第一のよき所也」と記されるように(裏見寒話)、大商店が多かった。
八日町
ようかまち
久慈川下流右岸、
八日町
ようかまち
八戸城下の中央、表町通沿いに位置する町人町。東は
文久年間(一八六一―六四)の八戸御城下略図に八日町とあり、町家とされる。東端には小路の
八日町
ようかまち
八日町
ようかまち
八日町
ようかまち
八日町
ようかまち
八日町
ようかちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報