出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
勝鬘院
しようまんいん
[現在地名]天王寺区夕陽丘町
四天王寺北西、愛染坂(勝鬘坂)を登りつめたところにある同寺別院で、和宗、本尊愛染明王。俗に愛染さんの称で親しまれる。沿革は明らかでなく、「天王寺誌」によると四天王寺四ヵ院の一つ施薬院がかつて当所にあったという。また聖徳太子の勝鬘経講讃の旧跡と伝える(四天王寺名跡集)。永仁三年(一二九五)六月一三日付の沙弥源蓮寄進状(石清水文書)に「四天王寺勝曼院内愛染王御宝前」とあるのが早く、北条時頼の近習沙弥源蓮が仏供僧食料および本尊と堂の修理料として、河内国若江北条錦部田(現八尾市)の田五反を寄進している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
勝鬘院
しょうまんいん
大阪市天王寺区夕陽丘(ゆうひがおか)町にある和宗の寺。荒陵山(こうりょうざん)勝鬘院愛染堂(あいぜんどう)と号する。本尊は愛染明王。593年(推古天皇1)聖徳太子が四天王寺内に設置した施設施薬院(せやくいん)の前身で、ここで太子が『勝鬘経(しょうまんぎょう)』を講じたことから現院号に改めたという。もと真言(しんごん)密教勝鬘流の根本道場であったが、数度の天災、兵火により焼失、1594年(文禄3)豊臣(とよとみ)秀吉が本堂、多宝塔(国の重要文化財)を再建、多宝塔は桃山建築の美を現在に伝えている。また、山門、中門、本堂、多宝塔が南北一線に並ぶ堂塔の配置は建築史上特異な様式を示すものである。本尊を開扉する愛染まつり(6月30~7月2日)には参詣(さんけい)者が多い。
[大鹿実秋]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
勝鬘院(しょうまんいん)
大阪府大阪市天王寺区にある寺院。和宗。荒陵山勝鬘院愛染堂と号する。沿革は不詳だが、聖徳太子が四天王寺に設置した施薬院の前身と伝わる。本尊は愛染明王。多宝塔は国の重要文化財に指定。通称、愛染堂、愛染さん。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
Sponserd by 