北陸へ向かう道や北陸の道。古代に都より北陸を結んだ官道の北陸道(ほくりくどう)に対応して、中世以降にも京都と北陸を結ぶ中心道が北陸道となっていた。徳川政権成立により北陸道には1604年(慶長9)に幕府によって一里塚が設置され、また北陸道やその領内の主要街道には沿道の加賀藩・福井藩などにより宿駅や並木などの整備がされたが、北陸道は北国街道(ほっこくかいどう)(北国海道)ともよばれた。この街道は大津から琵琶湖西岸を通り越前の今庄宿(いまじょうしゅく)(現、福井県南越前町)へ向かう間が西近江路(にしおうみじ)、中山道の鳥居本宿(とりいもとしゅく)(現、滋賀県彦根市)から同東岸をへて今庄宿に結ぶ道が東近江路とも呼称される。江戸と北陸を結ぶ北陸路の北国街道は信州の中山道追分宿(おいわけしゅく)(現、長野県軽井沢町)より越後の高田(たかだ)(現、新潟県上越市)経由で出雲崎(いずもざき)(現、新潟県出雲崎町)を結び、またこの高田では北陸道へもつながった。三国峠(みくにとうげ)越えで江戸と越後寺泊(てらどまり)(現、新潟県長岡市)を結ぶ三国街道も北陸路の重要な街道である。
[深井甚三]
『大島延次郎著『日本の路』(1955・至文堂)』▽『滋賀県教育委員会編『北国街道・北国脇往還』(2003)』
江戸時代,近江国(滋賀県)の北東部を通って北国へ向かう街道。中山道の鳥居本宿のはずれより分岐して,米原,長浜を経由し木之本へと北上するコースと,中山道の関ヶ原宿で分岐して,伊吹山麓の藤川,春照(すいじよう)(現米原市,旧伊吹町)さらには小谷(おだに)山麓の伊部(いべ)(現長浜市,旧湖北町)を通って北上するコースがある。ふつう前者を北国街道という。また後者は北国脇往還と称し,加賀の前田家をはじめ北陸の大名が参勤交代に多く用いた。両者は木之本宿で合流し,栃ノ木峠を越えて越前国へ入り,以後加賀,越中,出羽の各国を経て陸奥国へと向かう。越前国以北は海路が多く用いられたので,あまり発達しなかった。
執筆者:江竜 喜之
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…そのほか福井藩五箇(ごか)の奉書や鳥の子紙,福井城下の絹織物,府中の打刃物,鯖江藩の漆器と漆搔き,大野藩の面谷(おもだに)銅山,勝山藩のタバコなどが著名。交通は,陸上で北陸街道(北国路)が北進し,近江国境の栃ノ木峠を越えた板取駅から加賀国境の細呂木(ほそろぎ)駅まで15駅置かれたほか,西街道,美濃街道などが通った。海上では三国,敦賀が古くから港町として栄え,また九頭竜,日野川の川舟も三国と結んで発達した。…
※「北国路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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