十石峠(読み)じっこくとうげ

精選版 日本国語大辞典 「十石峠」の意味・読み・例文・類語

じっこく‐とうげ‥たうげ【十石峠】

  1. ( 古く、一日一〇石の米がこの峠を越えて、長野県佐久地方から運び出されたというところから ) 群馬県南西端、長野県との境にある峠。烏帽子岳西側にあたり、武蔵と信濃の両国を結ぶ十石街道の要所。標高一三五六メートル。

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日本歴史地名大系 「十石峠」の解説

十石峠
じつこくとうげ

武州ぶしゆう(現国道二九九号)の信濃と上野の国境にあり、分水界をなす。標高一三五一メートル。佐久郡大日向おおひなた村から上州多野たの楢原くすはら村に越える峠。

佐久郡南部から上州山中谷さんちゆうやつ・武州秩父ちちぶ方面への米穀等の物資交流の道筋で、十石峠の名は、佐久側から一日に一〇石の米穀が運ばれたからとの伝承がある。大日向おおひなた峠ともいう。

峠の頂上はやや平坦で、茶屋があった。それより上州側へ約一・五キロの水戸みずのとには湧水があり、北相木きたあいき(現北相木村)からつが峠を越えて来た道と、小海こうみ親沢おやさわ(現小海町)から四方原よもがはら山を越えて来た道がいっしょになって、ここで大日向村からの武州道と合一する。ここから旧道くろ川の谷のはるか南方を尾根に沿って下り、黒川神流川の合流点近くの白井しろいに達する。


十石峠
じつこくとうげ

旧十石街道(現国道二九九号)の長野県境にあり、標高一三五六メートル。山頂付近は妙義荒船佐久国定公園の南端を形成する。名称は信州佐久米が一日に一〇石駄送されたことにちなむという。耕地皆畑の山中さんちゆう領は飯米のみならず酒造米まですべてを信州に依存し、白井しろい村の市場で取引される米穀を主とする物資の通り道であった。信州側から米・酒・味噌・醤油や衣類日用品が送られ、帰り荷として木炭・下駄・木鉢・紙・六尺の割竹(樽のたが)・薬草(雪割草の干した根)・繭・栗の実などがあった。元禄(一六八八―一七〇四)頃の上野国全地図(真下家蔵)によると、信州でも同名でよばれていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「十石峠」の意味・わかりやすい解説

十石峠
じっこくとうげ

群馬県南西部の多野(たの)郡上野村(うえのむら)と長野県南佐久(みなみさく)郡佐久穂町(さくほまち)の県境にある峠。標高1351メートル。神流(かんな)川と支流の黒(くろ)川に沿い、東西に走る十石峠街道唯一の重要な峠。群馬・長野両県を結ぶ。十石峠の名は、江戸時代に日に10石(1800リットル)の米を佐久地方から、米のとれない神流川流域地方に運んだことから出たという。馬の背に乗せて運んだもので、上野村白井(しらい)には白井関所があった。十石峠街道は蛇行して流れる神流川の北岸で、断崖(だんがい)や峡谷が多く、人や馬の転落事故が多かったので、かつては河岸のあちこちに供養卒塔婆(そとば)がみえた。いまは峠を通る人も少ない。妙義荒船(みょうぎあらふね)佐久高原国定公園に含まれる。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十石峠」の意味・わかりやすい解説

十石峠
じっこくとうげ

群馬県南西部の上野村と長野県佐久穂町との境にある峠。標高 1356m。十石峠街道 (国道 299号線) が通る。地名は1日 10石の米を佐久地方から米の乏しい神流川流域に運んだことに由来。付近一帯は妙義荒船佐久高原国定公園に属する。

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