日本大百科全書(ニッポニカ) 「南越前」の意味・わかりやすい解説
南越前(町)
みなみえちぜん
福井県の中央部に位置する町。2005年(平成17)に南条郡(なんじょうぐん)南条町、今庄町(いまじょうちょう)、河野村(こうのむら)が合併して成立。西は若狭湾に面し、南は滋賀県、南東は岐阜県に接する。中央部をほぼ北流する日野川の上流域を占める。町域の大部分は山地で、南部から南東部の県境には上谷(かみたに)山、三国岳、美濃俣丸(みのまたまる)、笹ヶ峰など1000メートル級の山がそびえる。日本海側は断層海岸を成し越前加賀海岸国定公園に含まれる。日野川に沿ってJR北陸本線が南下、南今庄から北陸トンネルで南西方の敦賀に到る。同じく日野川に沿う北陸自動車道は今庄インターチェンジ辺りから南西に向かい、敦賀トンネルで敦賀市に入る。海岸寄りを国道8号、305号、内陸寄りを365号、476号が走る。
古来、越前国の入り口に位置する。古代の北陸道が敦賀から越前国府(現、越前市)に到る道は2筋あった。敦賀市との境、海岸に近い山中峠越えと南方の木ノ芽峠越えの道で、今庄で合流した。中世には交通・軍事上の要衝である同地に燧(ひうち)城や関が設けられた。日本海側の今泉浦・河野浦は浦馬借が居住し、府中(古代の越前国府)を起点とする西街道で運ばれた塩・榑(くれ)が積出された。河野浦は漁業や製塩も盛んであった。北東部には杣山(そまやま)荘が成立し、日野川東岸に瓜生氏の拠点となった杣山城(城跡は国指定史跡)が築かれ、対岸の鯖波(さばなみ)宿とともに戦国期に到るまで重要な位置を占めた。織田政権下には近江国境の栃ノ木峠が柴田勝家によって整備されたといわれる。江戸時代は多くの村が福井藩領であった。栃ノ木峠を越えて日野川西岸を通る北陸街道(北国街道)の宿駅として鯖波・今庄などが発達した。今泉浦・河野浦では遠隔輸送が行われるようになった。
1896年(明治29)に国鉄(現JR)北陸本線の敦賀―福井間が開業。敦賀―今庄間は山中峠越えの隘路区間であった。1962年(昭和37)に木ノ芽峠直下を通る北陸トンネル越えのルートで新線が開通、複線電化された。トンネルは当時の日本最長である13.87キロメートル。産物はエチゼンガニが著名。またウメが特産で多様なウメ製品が造られている。吊るし柿やソバ、スイセンのほか花ハスの栽培が盛んで、全国有数の生産量を誇る。若狭湾を望む河野に1990年(平成2)「北前船主の館 右近家」が開設された。江戸時代から明治にかけて西廻(にしまわり)航路で活躍した北前船をテーマとした資料館である。面積343.69平方キロメートル、人口1万0002(2020)。
[編集部]