南部郷(読み)なんぶごう

日本歴史地名大系 「南部郷」の解説

南部郷
なんぶごう

富士川右岸の河内かわうち路沿いで、支流戸栗とくり川との合流点北側付近に位置する。甲斐源氏加賀美遠光の子三郎光行が当地に拠って南部氏を称したという。彼は「吾妻鏡」文治五年(一一八九)七月一九日条ですでに南部を名乗っているから、少なくともその頃には当郷は成立していたことになる。文永一一年(一二七四)五月一二日に鎌倉を立った日蓮身延みのぶに向かう途中、一六日に南部に一泊した(「日蓮書状」日蓮聖人遺文など)。日蓮を迎えたのは光行の子南部(波木井)実長で、大檀那として日蓮に保護を加え、身延久遠くおん寺の発展に貢献したが、日蓮死後の正応元年(一二八八)頃、念仏者の行った「南部郷之内富士之塔供養」に寄進したことを日興に激しく非難された(一二月一六日「日興書状」興尊全集)。富士は「フクシ」(福士)とも記され(「日興置文」同全集)、また建治二年(一二七六)三月日の日蓮書状(日蓮聖人遺文)には「甲州南部波木井郷山中」とあるから、当時の当郷は富沢とみざわ福士ふくしから身延町波木井はきいまで含んでいたことになる。


南部郷
なんぶごう

和名抄」にみえるが、高山寺本・東急本とも訓を欠く。正倉院文書断簡のなかに、

<資料は省略されています>

とある。この文書は年月日表題を欠くが、天平勝宝九年(七五七)四月七日付の西南角領解(正倉院文書)と書式・内容ともに類似しており、一連のものとみてよい。「続日本紀」天平宝字五年(七六一)三月一五日条に百済・高麗新羅・漢からの渡来者たちに氏姓を賜与した記事があるが、右の史料中の戸主の竹志麻呂は百済人の項に分類されて坂原連の氏姓を与えられている。


南部郷
みなべごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「南部」と記し訓を欠く。「古事記」開化天皇段に「御名部造」とみえるが未詳。西隆寺出土木簡に「紀伊国日高郡南部郷戸主□□石 □調塩三斗□□景雲二年」とみえ、南部郷で製塩がなされていたことが知られる。「万葉集」巻九には「三名部の浦」がみえる。「法華験記」第一二八話には「三奈倍郷」の地の道祖神が、摂津天王寺の僧道公の誦する法華経の功徳によって補陀落浄土に往生したことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「南部郷」の意味・わかりやすい解説

南部郷【なんぶごう】

甲斐国巨麻(こま)郡の中世の郷。現山梨県南部町の富士川・戸栗(とくり)川の合流点北側一帯で,身延(みのぶ)町付近に及んだ。1274年身延へ向かう途中に南部に立ち寄ったという日蓮の書状が初見であるが,それ以前に甲斐源氏加賀美光行が南部氏を称しているので,12世紀末までには成立したとみられる。南部氏が地頭職を相伝し,13世紀前期ころの田地は8町余。南北朝合一後,南部一族の多くが陸奥に移住してから穴山氏の支配下となる。郷内南部宿駿州往還の重要宿駅であった。

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