改訂新版 世界大百科事典 「厄病神」の意味・わかりやすい解説
厄病神 (やくびょうがみ)
疫病や災厄をもたらすという神。行疫神,疫病神,疱瘡神なども同種の神である。疫病(エヤミ,トキノケと称した)などの災厄は古くは神のたたりや不業の死をとげた者の怨霊や御霊(ごりよう)のたたりと観念され,厄病神も御霊の一つの発現様式とみられていた。古代の史書には,疫病が流行すると,疫神の祭りをしたり,改元,諸社奉幣,大赦,大祓などを行う記事がたびたびみられる。また京城の四隅での〈道饗祭(みちあえのまつり)〉や〈鎮花祭〉は疫神を防ぐために恒例の行事とされていた。律令の鎮花祭の条には〈春花飛散の時に在って,疫病分散し,厲を行う〉とある。追儺(ついな)式も悪疫退散のために,黄金四目の方相面をかぶって706年(慶雲3)の大晦日に疫神を四方に祓ったのがはじまりとされている。また,863年(貞観5)5月には都に疫病が大流行し死者が続出したために神泉苑で御霊会(ごりようえ)が盛大に催された。古代には,疫病は疫鬼・疫神によってもたらされるという中国の考え方の影響も受けながら,災厄の根源には御霊があるという心意がしだいに形成されていった。
中世には厄病神は擬人化され,説話集などには人語をささやいて群行し村を襲ったり戸口をうかがったりする疫神が登場し,赤い皮の衣に冠をつけた姿ややせて青ざめた白髭の老人,奇怪な老婆の姿でイメージされたものもある。また《餓鬼草紙》の鬼を思わせる疫神もあり,《春日権現験記》には病人の家の屋根から疫鬼が内部をのぞきこみ,戸口には魚頭を串で刺したり,表の通りでは,塞の神の石の前に髪をはさんだ御幣や供物,結界を示す縄などがおかれており,疫病神を祓った祭りの跡が描かれている。このように厄病神が人の姿をとると想像された背景には,御霊信仰があったことが考えられる。
厄病神に侵入された家では家人が疫病にかかると信じられていたため,家の戸口に護符をはったり,鍾馗(しようき)のような人形をおいてこれを防いだ。また民間には,厄病神送りといって,災厄をもたらす悪霊を人形にとりこめて村境や川に流す風習があり,鹿島流し,疱瘡流しや虫送りはその代表的なものである。茨城県では12月8日に一つ目の厄神が来るので,目の多い目籠を竿につるして軒先に立ててこれを追い払う風習もある。また地方によっては〈厄神の宿〉などといって,大晦日から正月にかけて,厄病神を村境や辻から迎えて丁重にもてなし,奥座敷に年神と同じ膳を別に供えてまつったあと,再び送り出す習俗がある。厄病から免れるために,厄病神を歓待したものであろうか。厄病神歓待の風習は,ある意味で盆の無縁仏や餓鬼仏を精霊とは別にまつる風に対応するものともいえる。厄病や疱瘡よけのため,〈鎮西八郎為朝御宿〉といった武将の名のほか,〈蘇民将来(そみんしようらい)子孫也〉とか仁賀保金七郎,小浜六郎左衛門,釣船清次など,厄神を助けたり泊めたりしたという者の名前を記して戸口にはっておく風習もある。厄病を免れる,または軽くするという旨の〈疫神のわび証文〉や〈疫神退散状〉も各地に伝えられている。
→疱瘡神
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報