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上野国の地名(現在の前橋の旧地名)。国衙に近接する東山道群馬駅(くるまのうまや)の近くの川(現在の利根川の前身)に架けられた橋から,地名がおこったといわれる。利根川は厩橋の北東を流れていたが,鎌倉末あるいは応永期(1394-1428)に現在の流路となった。戦国時代に箕輪城主長野氏の支族長野賢忠(厩橋賢忠,宮内大夫・藤九郎)が城を構え,周辺の大胡氏,引田氏らを旗下にして厩橋衆を形成していた。賢忠は1560年(永禄3)以降,関東に侵攻した上杉謙信に不慮の事故から謀叛の嫌疑をかけられ誅殺された。厩橋城には上杉氏の将北条(きたじよう)高広が配置され,沼田城とともに関東侵攻の拠点となった。1578年(天正6)御館(おたて)の乱がおこると,北条氏は自立するが,82年武田氏が滅亡し,織田信長の将滝川一益が厩橋に進出すると,北条氏は城を明け渡した。滝川氏の下,厩橋城では上野の諸将を集めて能興行などが行われたが,本能寺の変で信長が殺されると,滝川一益は後北条氏によって追い落とされ,厩橋城は北条氏照支配下の重要拠点となった。1590年後北条氏が滅亡し,徳川家康の関東移封にともない,その部将平岩親吉(3万3000石)が入部し,1601年(慶長6)酒井氏にかわった。もともと〈うまやばし〉だったのが,〈う〉が脱落して〈まやばし〉と混用され,さらに江戸時代初期に〈前橋〉と記されるようになり,江戸時代中期には〈前橋〉が定着し今日に至っている。
→前橋[市]
執筆者:峰岸 純夫
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群馬県前橋市の古名。古代東山道(とうさんどう)の宿駅で、うまつなぎ場の川の橋の名からおこったといわれる。江戸初期の厩橋城主酒井氏のころ前橋に改称したという。市内の広瀬川に架かる橋に厩橋の名が残る。なお、東京の隅田(すみだ)川に架かる橋の一つにも厩橋の名が付けられている。
[村木定雄]
東京都東部、隅田川(すみだがわ)に架かる橋、および橋の東側にある墨田区(すみだく)の旧地名。台東(たいとう)区と墨田区を結び、初代の橋は1874年(明治7)に架けられた木橋であった。それ以前は「御厩河岸の渡し(おんまやかしのわたし)」とよばれた渡し場のあった所。江戸時代に、浅草側に徳川家の厩(うまや)があったのが橋名のおこりという。現在の橋は、1929年(昭和4)竣工(しゅんこう)のアーチ橋で、長さ151.4メートル、幅21.8メートル。町名としては、かつて墨田区内にあったが、町名の変更で現在は本所(ほんじょ)とよばれる。
[菊池万雄]
…国衙に近接する東山道群馬駅(くるまのうまや)の近くの川(現在の利根川の前身)に架けられた橋から,地名がおこったといわれる。利根川は厩橋の北東を流れていたが,鎌倉末あるいは応永期(1394‐1428)に現在の流路となった。戦国時代に箕輪城主長野氏の支族長野賢忠(厩橋賢忠,宮内大夫・藤九郎)が城を構え,周辺の大胡氏,引田氏らを旗下にして厩橋衆を形成していた。…
※「厩橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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