厩橋(読み)ウマヤバシ

デジタル大辞泉 「厩橋」の意味・読み・例文・類語

うまや‐ばし【厩橋】

東京都隅田川に架かる橋の一。駒形橋の下流にある。江戸時代西岸浅草幕府馬小屋があり、御厩おんまやの渡しがあった。
群馬県前橋市古称

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精選版 日本国語大辞典 「厩橋」の意味・読み・例文・類語

うまや‐ばし【厩橋】

  1. [ 一 ] 東京都、隅田川にかかる橋。台東区蔵前・駒形と墨田区本所を結ぶ。明治七年(一八七四)創架。江戸時代には渡しがあり、渡しの西側に幕府の御厩があった。
  2. [ 二 ] 東京都墨田区本所の旧称。昭和五年(一九三〇)から同四一年までの地名
  3. [ 三 ] 群馬県前橋市の古称。慶安元年(一六四八改称

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百科事典マイペディア 「厩橋」の意味・わかりやすい解説

厩橋【まやばし】

上野国の中央,利根川左岸の群馬郡の地名。もと〈うまやばし〉だったものが,〈う〉が脱落して〈まやばし〉となり,さらに江戸時代初期に〈前橋(まえばし)〉と記されるようになって定着,現在の群馬県前橋市の名に引き継がれている。東山(とうさん)道群馬駅(くるまのえき)近くの川(利根川の前身)に架けられた橋から起こったともいわれる。戦国時代には厩橋城(前橋城)が築かれ,上杉謙信武田信玄北条氏康(ほうじょううじやす)らが関東の支配権をめぐって争った際の拠点の一つとなった。1394年に没したと伝える蒼海(おうみ)城(現,前橋市)城主長尾忠房が石倉(いしくら)に新城を築いたが,応永(1394年−1428年)から天文(1532年−1555年)にかけての洪水のため流失し,その後長野宮内大輔賢忠(厩橋賢忠,藤九郎)が残部をもとに築いた新石倉城が最初の厩橋城という。現在前橋城跡対岸にある石倉城跡とは別の城である。長野賢忠は箕輪(みのわ)城(現,群馬県高崎市箕郷町)城主長野氏の支族で,周辺の大胡氏・引田氏らを率いて厩橋衆を形成していた。賢忠は,1560年以降関東に侵攻した上杉謙信に誅殺され,厩橋城には上杉氏によって北条(きたじょう)高広が配された。1567年北条(ほうじょう)・武田両氏の連合軍は厩橋の上杉謙信を攻撃した。1578年御館(おたて)の乱が起こると北条(きたじょう)氏は自立したが,1582年武田勝頼を滅ぼした織田信長は滝川一益(たきがわかずます)を厩橋城に送り,北条高広ら上野の武士はこれに従った。本能寺の変後,滝川氏は小田原北条氏に追われ,厩橋城は北条氏照方の重要な拠点となった。1590年小田原北条氏は滅亡し,徳川家康の関東支配のもと平岩親吉が3万3000石で封じられた。1601年には酒井重忠,1749年には松平朝矩が15万石で入部した。→前橋藩

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改訂新版 世界大百科事典 「厩橋」の意味・わかりやすい解説

厩橋 (まやばし)

上野国の地名(現在の前橋の旧地名)。国衙に近接する東山道群馬駅(くるまのうまや)の近くの川(現在の利根川の前身)に架けられた橋から,地名がおこったといわれる。利根川は厩橋の北東を流れていたが,鎌倉末あるいは応永期(1394-1428)に現在の流路となった。戦国時代に箕輪城主長野氏の支族長野賢忠(厩橋賢忠,宮内大夫・藤九郎)が城を構え,周辺の大胡氏,引田氏らを旗下にして厩橋衆を形成していた。賢忠は1560年(永禄3)以降,関東に侵攻した上杉謙信に不慮の事故から謀叛の嫌疑をかけられ誅殺された。厩橋城には上杉氏の将北条(きたじよう)高広が配置され,沼田城とともに関東侵攻の拠点となった。1578年(天正6)御館(おたて)の乱がおこると,北条氏は自立するが,82年武田氏が滅亡し,織田信長の将滝川一益が厩橋に進出すると,北条氏は城を明け渡した。滝川氏の下,厩橋城では上野の諸将を集めて能興行などが行われたが,本能寺の変で信長が殺されると,滝川一益は後北条氏によって追い落とされ,厩橋城は北条氏照支配下の重要拠点となった。1590年後北条氏が滅亡し,徳川家康の関東移封にともない,その部将平岩親吉(3万3000石)が入部し,1601年(慶長6)酒井氏にかわった。もともと〈うまやばし〉だったのが,〈う〉が脱落して〈まやばし〉と混用され,さらに江戸時代初期に〈前橋〉と記されるようになり,江戸時代中期には〈前橋〉が定着し今日に至っている。
前橋[市]
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「厩橋」の意味・わかりやすい解説

厩橋(群馬県)
うまやばし

群馬県前橋市の古名。古代東山道(とうさんどう)の宿駅で、うまつなぎ場の川の橋の名からおこったといわれる。江戸初期の厩橋城主酒井氏のころ前橋に改称したという。市内の広瀬川に架かる橋に厩橋の名が残る。なお、東京の隅田(すみだ)川に架かる橋の一つにも厩橋の名が付けられている。

[村木定雄]


厩橋(東京都)
うまやばし

東京都東部、隅田川(すみだがわ)に架かる橋、および橋の東側にある墨田区(すみだく)の旧地名。台東(たいとう)区と墨田区を結び、初代の橋は1874年(明治7)に架けられた木橋であった。それ以前は「御厩河岸の渡し(おんまやかしのわたし)」とよばれた渡し場のあった所。江戸時代に、浅草側に徳川家の厩(うまや)があったのが橋名のおこりという。現在の橋は、1929年(昭和4)竣工(しゅんこう)のアーチ橋で、長さ151.4メートル、幅21.8メートル。町名としては、かつて墨田区内にあったが、町名の変更で現在は本所(ほんじょ)とよばれる。

[菊池万雄]


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世界大百科事典(旧版)内の厩橋の言及

【厩橋】より

…国衙に近接する東山道群馬駅(くるまのうまや)の近くの川(現在の利根川の前身)に架けられた橋から,地名がおこったといわれる。利根川は厩橋の北東を流れていたが,鎌倉末あるいは応永期(1394‐1428)に現在の流路となった。戦国時代に箕輪城主長野氏の支族長野賢忠(厩橋賢忠,宮内大夫・藤九郎)が城を構え,周辺の大胡氏,引田氏らを旗下にして厩橋衆を形成していた。…

※「厩橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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