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厳原[町] いづはら

百科事典マイペディアの解説

厳原[町]【いづはら】

長崎県対馬南部を占める下県(しもあがた)郡の旧町。東岸厳原は古く国府が置かれ,近世大陸貿易で栄えた宗氏城下町で,武家屋敷も残り,博多から定期航路が通じ,対馬の中心をなす。

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世界大百科事典 第2版の解説

いづはら【厳原[町]】

長崎県対馬南部,下県(しもあがた)郡の町。1908年町制を施行し,56年久田(くた),佐須,豆酘(つつ)の3村と合体。人口1万6367(1995)。町の中心をなす東岸の旧厳原町は県の出先機関が集中する対馬の中心地であり,博多港からフェリーが就航する。古代には対馬島の国府が置かれ,文明年間(1469‐87)宗貞国が,居城を上県郡峰町から移して以来金石城の城下町となり,近世まで府中または府内と呼ばれた。

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世界大百科事典内の厳原[町]の言及

【府中】より

…対馬国下県(しもあがた)郡与良(よら)郷に属した地名(現,長崎県下県郡厳原(いづはら)町)。地名は677年(天武6)対馬国府が置かれたことに由来し,国府,府内とも記される。律令制下では国衙,国分寺が置かれ,対馬の政治,経済の中心であったが,平安時代から室町時代にかけては権力者が必ずしも本拠を置かず衰えた。宗氏も1408‐86年(応永15‐文明18)は本拠を上県(かみあがた)郡三根(みね)郷(現,峰町)佐賀(さか)に置き,15世紀後半の戸数は申叔舟の《海東諸国紀》によれば府中100戸,佐賀500戸である。…

※「厳原[町]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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